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”出会う人みな、仕事の先生”コミュの【教訓】ひとつのことに集中して突破口を切り開く「きりもみ戦術」こそ、景気不景気に関係なく弱者が強者に勝つ普遍のルールである/「出会う人みな仕事の先生」より

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(☆掲載文章の無断転写、無断掲載はご遠慮ください)
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私の行動理念は「自分の足元を掘る」です。
これは、「何かひとつに絞り、それを研ぎすまして勝負する」という意味です。

何に絞るかというところにポイントがあるのですが、それは今、目の前にあるものに集中すべきということです。
この考え方に私は助けられました。

 私は88年の2月に会社をつくりはしましたが、ずっと迷いの連続でした。

 事業を興した以上は成功したい、売れる商品を作りた
い・・・というのが私の念願でした。

 これは、誰でもそう思うに違いないと思います。
他社の新商品が発売されればすぐに購入して確かめたり、流行っているお店があると聞くと調査に行ったり、また新聞の切り抜きでスクラップ・ブックをつくったりと、とにかく周りのことが気になって迷ってばかりでした。

 一方、世間は学生起業家や脱サラ起業家、大企業の新規事業など、ベンチャー企業ブームでした。 

そんな新進起業家たちは新聞雑誌にもどんどん取り上げられ、派手に事業を推進していました。

 私は焦るというよりも、自分らしい起業の形を追い求めていたのかもしれません。
自分らしさをもった新商品をつくることを求めていたのでしょう。

 しかし、そんな新商品がすぐに見つかるはずもなく、果てしない苦闘が続きました。

 今まで中華料理店のコックをしていた私は、美味しい料理を作れば流行っていましたし、商売は商品だと信じていました。

ですから、良い商品が見つかれば、事業は順調にすすむものだと錯覚をしていたと思います。

 実際には何が自分に足りないのか? そしてどこへすすめばよいのか? 私は何も判っていませんでした。

 88年当時、ベンチャー企業を興した方々のほとんどが、それまでに無い切り口の新商品や新サービスを引っさげての登場でしたが、現在はそのほとんどが残っていないことをみると、やはりポイントとなるキーは商品だけでは無かったようです。

 当時は、そんなことまで知るはずもなく、事業がうまく進まないのは商品が悪いからだと思っていました。

 そんな私を迷いから救っていただいた恩人がいます。

 その恩人とはアシックス創業者の鬼塚喜八郎さんです。
 私の妹と鬼塚さんのお嬢さんはたまたま友達同士でした。
そんな関係で,お名前は良く聞いていましたし、アシックスという会社は憧れの会社でした。
 そんな鬼塚さんが話された創業時の秘話は、私を迷いから救い出し、私のビジネスへの取り組み方を大きく変えたのです。そのお話をしたいと思います。

 鬼塚さんは、終戦直後は自転車の荷台にミカン箱をくくりつけて、運動靴を一杯積んで販売をされていました。

その時、ペダルをこぎながら「いつか日本一の運動靴メーカーになってやる」と思われていたそうです。

 そして、関西で運道靴メーカーを創業されます。

 私の子供の頃は、まだアシックスの前身のオニツカタイガーという社名でした。
関西出身の私などは今でもアシックスという社名よりもオニツカタイガーという名前の方に馴染みがあります。

 鬼塚さんは会社がある程度の規模になった時、全社員にある命令を出します。

 それは、「日本で一番人気のない運動靴を探せ」でした。
社員は驚いたそうです。人気のある運動靴ではないのか? 
しかし、指令は人気のない運動靴でした。

 そして探しだされた運動靴が、「バスケットボールシューズ」でした。
 戦後の人気スポーツは野球で、バスケットボールというのはマイナーなスポーツだったようです。

 そのバスケットボールシューズ、いわゆるバッシュの開発に全社を挙げて取り組みました。
 当時の大手のメーカーでも、人気のない運動靴の開発にそんなに多くの人数を充てるはずがありません。
当然、オニツカタイガーは素晴らしいバッシュをつくり上げました。
 次に、鬼塚さんは二つ目の命令を出します。

「全国でバスケットボールの強い高校のチームを探せ」でした。

 北海道から鹿児島の中で、高校のバスケットボールの強豪チームが選び出されました。
社員はレギュラー選手の足型を取り、バッシュを作り上げ寄贈してゆきました。

 やがて、全国大会の試合が行われ、優勝するチ―ムは皆同じデザインの派手なラインの入ったバッシュを履いています。

 そうしているうちに優勝するチームは皆、オニツカタイガーのバッシュを履いているという噂になり、遂には縁起をかついで「オニツカタイガーを履かなければ優勝できない」というジンクスまで出てきたといいます。

 こうしてオニツカタイガーはバッシュで日本一のシェアを獲得してゆきます。

 その後、東京オリンピックではマラソンシューズ、そしてバレーボールシューズなどなど、同じ戦略を軸にさまざまなシューズの開発販売を縦横に繰りひろげれてゆかれました。

鬼塚さんは、こう言われました。
「事業をする場合、必ず目の前に大きな壁のような困難な障害がある。
それを避けて通っても永久にその壁を乗り越えることはできない。
方法は、目の前の壁を突破する以外にない。

そんな時、手持ちの商品の中で何かひとつを選び、それを研ぎ澄ますこと。
それをキリに見立てるならば、目の前の壁に押し当てて、一所懸命に穴を開けること。
穴が開けば、その穴を攻撃拠点として、その中で生きてゆける会社を維持することだ。
私にとって、そのキリは「バッシュ」だったわけや。
その次に、もう少し大きいキリを同じ穴に当てて、穴を大きくしてゆく。

これを何度も何度も繰り返すこと。
そうすると、その壁の穴はどんどん大きくなってゆき、どんな困難な障害もいつか必ず突破することができるようになるんや」

 鬼塚さんは、これを「キリモミ戦術」と名付けられました。

 この「キリモミ戦術は、好況不況に関係なく、弱者が強者に勝つための唯一のルールである」ということを教えていただいたのです。
 では、キリにあたる商品をどうして見つけるのか?
 私がその時悩んでいたことと同じ疑問がそこにありました。
 そして答えは、本当に身近にあるものでした。

 何を選んでも良かったのです。
大切なことは、何かに決めるということでした。
そして、キリになるものが決まれば、それを徹底的に研究してスペシャリストになるのです。

 鬼塚さんは当時、一番人気のない運動靴を選ばれました。
一番人気のないものであれば、競合も力を入れませんし、マーケットも小さいはずです。
しかし、そんな小さなマーケットでも頑張ってシェアを獲得すれば、それなりの勝ちパターンを作り上げることができるはずです。
 鬼塚さんはその後、東京オリンピックのマラソンで同様の戦略で成功し知名度を上げてゆかれました。
実は商品ではなく、「何かに特化集中することこそ大切」なのだ、ということを教わったのです。


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