ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

Gaia・ガイア 動物の世界コミュの多摩動物公園(東京都)

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
●多摩動物公園
http://www.tokyo-zoo.net/zoo/tama/index.html
★ソデグロヅル★ヤクシカ★ニホンコウノトリ★トウホクノウサギ★モルモット★トウキョウトガリネズミ★ヤギ★ツル類★マレーバク★ガン・カモ★ムフロン★ヒマラヤタール★アジアゾウ★アムールトラ★ニホンカモシカ★ハクビシン★シフゾウ★ゴールデンターキン■ユキヒョウ★ヨーロッパオオカミ★オラウータン★レッサーパンダ★エミュー★アカカンガール★パルマワラビー★ウォンバット★コアラ★オーストラリアガマグチヨタカ★ワライカワセミ★ユリカモメ★インドサイ★トナカイ★ホンドタヌキ★フクロウ★オジロワシ★オオワシ★ダルマワシ★イヌワシ★キジ★ハト★インコ★モウコノウマ★エゾヒグマ★ニホンザル★チンパンジー■チーター★サバール★アミメキリン★グレービーシマウマ★シロオリックス★アフリカゾウ★ライオン★オオフラミンゴ★コフラミンゴ★昆虫生態園:アゲハ(ナミアゲハ):アサギマダラ:カブトムシ:コバネイナゴ:トノサマバッタ他

■ここではヒョウはおりませんが、ユキヒョウとチーターがご覧いただけます。

コメント(23)

●スリランカゾウ来日50年=雄で最高齢−東京・多摩動物公園
5月12日18時1分配信 時事通信

東京都多摩動物公園(日野市)で12日、スリランカから贈られた象の「アヌーラ」の来日50年を祝う会が、三笠宮ご夫妻らも出席して開かれた。国内で飼育されているアジアゾウの雄としては最高齢の54歳。プレゼントされたリンゴやバナナをおいしそうに食べるなど、健在ぶりを「アピール」した。 


画像1:多摩動物園アジアゾウ
画像2:多摩動物園アフリカゾウ
*耳の大きさが違いますが判りますか?
●ユキヒョウなどベビーラッシュ 多摩動物公園

 多摩動物公園(日野市程久保)で絶滅危惧(きぐ)種のユキヒョウの赤ちゃんが生まれ、テレビモニターでの公開が始まった。親子の状況によっては公開を中止する場合や録画映像を放映する場合がある。赤ちゃんは5月19日、母親のマユ(8歳)と父親のシンギズ(推定16歳)の間に生まれた。マユは平成17年にも2頭の子供を出産している。同園のユキヒョウは7頭になった。

 同園では4月27日にニホンコウノトリの2羽のひなが孵化(ふか)し、20年連続の繁殖に成功した。元気にすくすく育っているが、現在は非公開ケージで子育てを行っている。

 野生ではすでに生息していないシカ科の「シフゾウ」のオスの赤ちゃんも5月6日に誕生。生まれた季節にちなんで「アオバ」と名付けられ、同25日からアジア園のシフゾウ舎で一般公開されている。 ヨーロッパオオカミの赤ちゃんも同13日に誕生するなど同園はベビーラッシュとなっている。

(2007/06/03 02:31)

●多摩動物公園の51歳オランウータン、自分で袋破いて粉薬
8月8日18時38分配信 読売新聞


 東京都日野市の多摩動物公園で飼育されているオランウータン「ジプシー」が、自分で袋を破いて粉薬を飲むようになった。 「自分で薬を飲む動物は珍しい」と飼育員も驚いている。ジプシーは推定51歳の“おばあちゃん”。梅雨の時期に体調を崩したため、人間が服用するのと同じ整腸剤が与えられた。 腸が弱いジプシーには、これまでも整腸剤が投与されたことがあるが、飼育員が封を切って口の中に薬を入れていた。 ところが、6月27日夕、飼育員の黒鳥英俊さん(55)が誤って、整腸剤をジプシーのオリの中に落としてしまった。翌朝、薬を回収しようとしたところ、袋が破れ、中の薬がなくなっていた。

最終更新:8月8日18時38分
[ 撮 影 日 ] 2007.10.28

[ 撮影場所 ] 多摩動物公園

[動物名など] ヒグマ
[撮 影 日 ] 2007.10.28

[ 撮影場所 ] 多摩動物公園

[撮 影 日 ] 2007.10.28

[ 撮影場所 ] 多摩動物公園

●マレーバク:赤ちゃんの「咲子」あすから公開−−多摩動物公園 /東京
12月22日12時1分配信 毎日新聞


 多摩動物公園(日野市程久保)で12日に生まれたマレーバクの赤ちゃんが23日から一般公開される。
 赤ちゃんは母リザと父スリスクの間に生まれた雌。来年の開園50周年にちなみ、未来に花咲く女の子になるようにと、「咲子(さこ)」と名付けられた。
 誕生時の体重は8・35キロ。生後2日目からヨチヨチ歩き、リザの乳を飲みながらすくすく育っているという。
 マレーバクの赤ちゃんは「ウリボウ柄」と呼ばれる親と異なる黒白の縞(しま)模様。生後4〜6カ月で親と同じ柄になる。
 教育普及課の片田菜美さんは「この時期にしか見られない可愛い赤ちゃんを見に来てください」と話す。多摩動物公園では、咲子親子のほか雄雌1頭ずつマレーバクを飼育している。
 マレーバクは東南アジアの水辺がある森林から草地の湿地帯に単独で生活する。森林伐採などの影響を受け、生息数が激減し、国際自然保護連合はレッドリストの絶滅危惧(きぐ)種に指定している
●多摩動物公園50周年 自然を生かし先駆的試み
1月9日8時1分配信 産経新聞


 「アリからゾウまで 出会えるところ TAMA ZOO」−。開園50周年を迎える多摩動物公園(東京都日野市)のキャッチコピーだ。約52.3ヘクタールもの自然あふれる園内には375種、約2万8000点の動物・昆虫が“生息”している。昨年度までに延べ6000万人以上が来園。日本初のライオンバスや昆虫園、コアラの飼育など、さまざまな試みに取り組んできた。(田中夕介)

 昭和33年5月5日、「こどもの日」。雲ひとつない好天。関係者は5万人の来園者があれば大成功とみていた。しかし、早朝から続々と詰め掛け、午後の無料開放を午前10時ごろには開門しなければならなかった。

 「最寄り駅も大混雑で、(直線距離で約2.5キロ離れた)中央線日野駅まで人の列が続いた」と、成島悦雄・同園教育普及課長(58)。当日は無料開園だったため正確な入場者は定かでないが、推定25万人とされる。

                   ◇

 順調な滑り出しとみられたが、早くも壁にぶつかった。初年度に約84万人(開園日は除く)だった入場者は翌年度約80万5000人、35年度は約71万人までに落ち込んだ。

 「アジアの動物を見るなら多摩動物公園」を目指し、日本産動物を中心にインドゾウやインドサイ、トラなどアジア動物の展示でスタートした。

 しかし、「動物園といえばキリンやライオン」。「こういうイメージを持っていた人には不満だった」(成島課長)。開園からわずか3年。方針変更を余儀なくされた。35年から人気のあるアフリカ産動物の導入計画を進め、キリンやライオンなどを収容するアフリカ園を整備した。

 ここで画期的な試みがライオンバスの導入だ。ライオンが放し飼いされた敷地内に観客を乗せたバスを走らせる。発案は当時、管理事務所長だった故林寿郎氏。「事故があったらどうするんだ」。都議会でもめた。

 しかし、林氏の熱心な説得で実現。人気は戻り、入場者は年間100万人を突破した。林さんは「アイデアマン」(成島課長)で、生きた昆虫を展示する、日本初の昆虫園も実現させた。

                   ◇

 「三食昼寝付き」。飼育動物たちは餌をとる苦労も外敵から身を守る心配もない。こうした動物たちに、より野生に近い生活をさせる「環境エンリッチメント」にも取り組んでいる。チンパンジーには自動販売機による“買い物”を学習させるなど遊びを通して生活を豊かにするようさまざまな試みがなされている。

 コアラの来園(60年)やコウノトリの日本初繁殖(63年)など数々の歴史を持つ同園。繁殖の技術水準の高さは世界的な評価を得ている。

 土居利光園長(56)は「50年はひとつのきっかけ。今後の50年、100年に向けてどのような動物園をつくるかだ」と、さらなる新しい動物園の姿を求めている。
●いのち紡いで:多摩動物公園の50年/1 動物園の主―アジアゾウのアヌーラ /東京
1月14日11時0分配信 毎日新聞


 多摩動物公園は今年5月、開園50周年を迎える。日野市南部の多摩丘陵にあり、約60ヘクタールの広大な敷地の6割はクヌギやコナラなどの雑木林。半世紀の歩みは、自然の中で動物の自然な姿を見せるという国内初の試みと重なる。この間、動物園に求められる役割も変わり、レクリエーションに加えて、野生動物の保護・繁殖も重要な仕事の一つになった。野生の「いのち」を紡いできた多摩動物公園。かかわった人たちの思いと成果を追った。【斉藤三奈子】
 ◇幾千万の子供の友に
 正門から続くなだらかな坂道を進むと、丘の上に少し色あせた赤い三角屋根の城が見える。アジアゾウの飼育施設だ。城の主は開園時からいる雄のアヌーラ(55歳)。壁につり下げた漁業用ブイを鼻先で揺らすと、中から固めた干し草が足元に落ちてくる。この遊びが気に入っている。
 小春日和の6日、ベビーカーを押す父親は傍らに立つ男の子に話して聞かせた。「このゾウさんはね、お父さんが子どものころからここにいるんだよ」
   ×  ×  ×
 1940年、日中戦争が拡大する中で上野動物園の年間入園者は300万人を超えた。混雑と動物たちのストレス。欧米の動物園を調査していた当時の園長、古賀忠道さん(86年死去)は、なるべく檻や柵を使わずに動物を見てもらう無柵放養式を取り入れた「第二動物園」を構想した。「アジアの動物を中心に」とも考えていた。
 構想の具体化は戦後。48年、新宿区の旧陸軍施設跡地が候補だったが、連合国軍総司令部の「動物園より住宅」との命令で振り出しに戻った。7年後、七生村(現日野市)が京王電鉄の協力を得て山林28・7ヘクタールを買収して都に寄付。国内では前例のない「自然の中の動物園」を一から作り上げることになった。
   ×  ×  ×
 初代のアヌーラ担当の飼育係で定年後も動物解説員を務める川鍋富義さん(70)は56年11月9日、上野動物園でスリランカから贈られた3歳のアヌーラと出合った。ところが、水を飲まないため、度々便秘でおなかにガスがたまり、パンパンに膨れ上がる。「8人がかりで腹をもんだ」と振り返る。

 アヌーラと川鍋さんは開園直前の4月28日、雌のタカコ(11歳)と一緒に多摩へ移った。夏を思わせる暑さ。アヌーラは「城」に入ると、ゴクゴクと水を飲む。それから便秘の回数は減った。
 雌のガチャコ(3歳)も59年11月に加わった。3頭のアジアゾウは子どもに人気だったが、雌たちが先立つまで相性は悪いまま。子孫は残せなかった。99年から担当する熊谷岳さん(31)は、シャイな性格のアヌーラが時折、来園者に反応して鼻を持ち上げる姿を見ながら、余生をのんびり楽しく暮らしてほしいと願う。
   ×  ×  ×
 58年、こどもの日に合わせた開園日。午後の開門を午前10時に繰り上げざるを得ないほどだった。入園者は推定で25万人に達した。
 当時の飼育動物は、哺乳(ほにゅう)類や鳥類約130種、約550点と若干の魚類。07年11月末現在、哺乳類や鳥類、昆虫類など366種、2万6160点に増え、敷地も2倍になった。累計の入園者は6000万人を超えている。

■ことば
 ◇無柵放養式展示
 動物をできるだけ自然の生態に近い形で展示するため、檻や柵の代わりに濠(ほり)で仕切った放飼場に展示する方式。多摩では英国の事例を参考にした。日本の動物園は都市型が多く、実施している動物園は少ない。
…………………………………………………………………………………
 ◇多摩動物公園のあゆみ
58年 5月 東京都多摩動物公園として開園。初日の入園者は推定25万人
62年11月 アフリカ園一部公開
64年 4月 京王多摩動物公園線開通▽年間入園者100万人突破
    5月 ライオン園完成。世界初のバスによるライオンの観覧(サファリ式)が始まる
69年 7月 昆虫園本館開館
73年 4月 シンボルマークがライオンに決定
74年 7月 動物病院完成
84年10月 豪ニューサウスウェールズ州から雄のコアラ2頭寄贈。85年9月には雌2頭寄贈
86年 3月 100頭目のアミメキリン誕生
88年 4月 国内で初めてニホンコウノトリのふ化に成功▽昆虫生態園オープン
89年 4月 ナベコウも国内初ふ化に成功▽雄のコアラ・ラムを国内初のブリーディングローンで名古屋市東山動物園へ貸与
93年11月 アジアゾウ・ガチャコ死ぬ(推定37歳)
96年 5月 入園者5000万人達成▽クロツラヘラサギの繁殖に世界の動物園で初めて成功
    6月 ソデグロヅル人工繁殖に国内で初めて成功
    7月 多摩生まれの世界最長寿のスイギュウ・ミタケ死ぬ(34歳11カ月)
97年 4月 ゴールデンターキンとニホンイヌワシの繁殖に成功
    7月 国内最長寿のアミメキリン・ナガエ死ぬ(29歳10カ月)
98年 1月 150頭目のアミメキリン誕生
    4月 アフリカゾウ・アイに第1子パオ誕生
99年 3月 ニホンコウノトリの有精卵4個を保護繁殖事業に取り組む韓国国立教員大学へ贈呈
00年 4月 多摩都市モノレール多摩センター−立川北間開通
    7月 世界で初めてクロツラヘラサギを人工ふ化
   10月 ユキヒョウ・シンギズがカザフスタン共和国のアルマティ動物園から寄贈
   12月 ホームページを開設
02年 6月 アフリカゾウ・アイに第2子マオ誕生
   10月 ハキリアリを国内初公開
04年 7月 年間パスポート販売開始(一般2400円)
   12月 台北市立動物園と友好協定締結
05年 2月 国内最長寿のコアラ・タムタム死ぬ(22歳1カ月)
    8月 トウキョウトガリネズミを国内初公開
06年 4月 野生生物保全センター新設
    5月 コアラの短期共同繁殖計画でモミジ誕生
    9月 162頭目のアミメキリン誕生
07年 4月 20年連続でニホンコウノトリふ化に成功。累計152羽に
   12月 分散飼育のためトキ4羽が佐渡トキ保護センターから移動▽国内最長寿のシフゾウ・スマ死ぬ(22歳7カ月)


●いのち紡いで:多摩動物公園の50年/2 逆転の発想−ライオンバス /東京
 ◇群れる自然、見せたい

 シマウマ模様のバスがライオン放飼場(約1ヘクタール)を8分ほどかけて回る。お立ち台のライオンがバスの窓にぶら下がる馬肉に食らいつき、ガラス越しに見つめる乗客は手を差し出して歓声を上げる。生態を間近で観察できる「ライオンバス」は1964年から運行し、入園者の4割が乗車するほどの人気だ。

   ×  ×  ×

 「ライオンやキリンを見たかったのに」

 アジア中心を掲げたものの、アフリカ産動物の展示要望が相次いだ。開園の58年に約83万人を数えた入園者数は59年に80万人、60年には71万人と減少。60〜61年にかけアジア園北側の土地約15ヘクタールを買収し、アフリカ園の整備が始まった。

 ライオンバスの発案者は初代園長(多摩動物公園管理事務所長)の故林寿郎さん。上野動物園勤務だった51年、アフリカに渡り動物の生態と性格を研究した。車中からサバンナで群れをなす動物を見て、動物園でも野生に近い形で多頭飼育すべきだと感じた。この体験がアフリカ園のライオン放飼場に結実した。

 アフリカの現地を知らない人が檻(おり)の中のライオンを見ても本当の姿は分からない。それなら人間がバスに乗ってライオンを観察すればいい。逆転の発想だった。

 「ライオンに襲われたら」「バスが故障したら」。都の幹部は首を縦に振らない。63年、上野動物園のライオン施設にゴーカートを持ち込んだ。エンジンをかけると、ライオンは驚いて逃げ出す。安全性に問題がないことを納得させた。

 64年5月16日、放飼場に9頭のライオンが放たれ、世界初のサファリ形式のライオン展示が始まった。この年、年間入園者数は初めて100万人を突破した。

 ライオンは現在、25頭にまで増えた。飼育係の谷口敦さん(40)は「これまで以上に野生の群れの構成に近づけたい」と話す。

   ×  ×  ×

 多頭飼育はアミメキリンやアフリカゾウの飼育でも取り入れた。

 アミメキリンの繁殖数162頭は世界第2位。キリンやシマウマを担当する清水勲さん(33)は「国内外の動物園で多摩血統のキリンを飼育している。多摩以外の血統を探すのが難しい」と話す。

 06年8月、人気者の雄のアフリカゾウ・タマオ(推定38歳)が急死し、雌4頭が残った。国内でアフリカゾウの繁殖の成功は6例しかなく、2頭はタマオの子だ。タマオの寝室だった部屋には写真と花が飾られている。「壁の黒は腹をこすったところ。梁(はり)の白は鼻をこすったところ」。アフリカゾウ班班長の片柳雅之さん(39)はいとおしそうに室内に残るシミを指した。=つづく

==============

 ■ことば

 ◇多頭飼育

 野生で群れを作っている動物は、なるべく群れで飼育したほうが繁殖しやすい。国内では多摩で初めて本格的に導入された。野生のライオンは血縁関係のある雌を中心に、その子と少数の雄でプライドと呼ばれる群れを構成する。

毎日新聞 2008年1月15日

●いのち紡いで:多摩動物公園の50年/3 チョウ舞う世界−昆虫園 /東京
 ◇童心遊ぶガラスの城

 上空から多摩動物公園を見下ろすと、巨大なチョウとトンボの形をした建物が目に入る。チョウは1988年に完成した昆虫生態園、トンボは69年に開館し、02年に改築した昆虫園本館。天井までの高さが16メートルもある生態園の大温室では、約700匹のチョウが一年中舞っている。

 国内の動物園では初めての昆虫展示施設。50年近く前の準備段階からかかわった元園長の矢島稔さん(77)らは、身近な昆虫の生死を通して子どもたちに命の重さと自然の大切さを教えたいと考えていた。

   ×  ×  ×

 昆虫学者の矢島さんが20代だった59年夏、林寿郎園長が勤務先の豊島園昆虫館に突然現れ、「多摩でバッタを殖やしてくれないか」と頼まれた。園内で飼育している鳥や小動物のエサとなるバッタを一年中供給するシステムを研究してほしい。将来は昆虫展示場もつくりたい。「酒を酌み交わすうち意気投合してね」と懐かしむ。

 矢島さんら3人の昆虫チームは60年に結成され、翌年にはアジアゾウのアヌーラがすむ三角屋根の城の2階に、飼育試験室ができた。しかし、バッタの飼育や生態に関する資料は皆無の時代だった。「明けても暮れてもバッタの顔を見ていた」。すべてが手探りで、通年飼育のめどがつくまでに4年かかった。

 次の目標だった展示施設は66年、チョウとバッタの育成を兼ねた温室の公開で実現し、昆虫園本館は3年後に完成。02年の本館改築では、青白く光るグローワームが話題を集めた。

 日野市をはじめ周辺の11市町村長も都に昆虫園の設置を働きかけて後押しした。矢島さんが悪戦苦闘していたころ、多摩にも都市化の波が押し寄せ、ホタルや野鳥の姿がめっきり減った。昆虫採集も動物愛護の立場から批判され、昆虫の生態と植物の関係を通した学びの場が望まれていた。

   ×  ×  ×

 「終生の昆虫の案内係」を自任する矢島さんは定年退職後、今も園長を務める群馬県桐生市の県立ぐんま昆虫の森の開設に携わった。日本の里山を再現した一画で、「命の尊さを教えるのにお題目を唱えても子どもは理解できない。自分で虫を捕ればうれしいし、大事にする感情も生まれる」と力説した。

 多摩の昆虫園で飼育展示係を約30年務める三枝博幸さん(57)は、子どもたちと接する機会が多い。昆虫の名前だけはよく知っているのに、本物のカブトムシやバッタなどを見せると、「僕が知っている虫とは違う」と平気で言う子どもが増えてきたと感じる。昆虫園の仕事に終わりはない。=つづく

==============

 ■ことば

 ◇グローワーム

 豪州やニュージーランドの洞窟(どうくつ)の天井に生息するヒカリキノコバエの幼虫。天井からクモの巣のような粘液状の糸を垂らす。お尻に青白い光を放つ発光器官を持ち、その光に引き寄せられて糸にかかった小さな虫を食べる。蚊のような成虫は何も食べない。

毎日新聞 2008年1月16日

●いのち紡いで:多摩動物公園の50年/4 エキスパート−飼育係 /東京
 ◇チンパンジーと会話

 トレードマークの赤いキャップを後ろ向きにかぶるチンパンジー班の班長、島原直樹さん(53)。仲間はチンパンジーを担当して30年になるベテランを「アニキ」と呼ぶ。

 「ベロさん、ベロさん。顔を見せてください。うっ、タマネギ食べたの? におうよ。手を見せてください。はい、ありがとう」

 アニキは人と会話するかのように雌のチンパンジーに声を掛けた。水を掛けたり脅したりすれば、言うことは聞くが、信頼関係は築けない。我が子と同様に接してきた。

 現在、島原さんら4人が21頭のチンパンジーを担当する。知能が高く、接する人にも順位をつけるチンパンジーの性格は一頭ずつ違い、ベテランの飼育担当は喜怒哀楽を表情から読み取る。時間をかけて受け入れてもらうしかない。

 夕方の閉園が近づくと、チンパンジーを放飼場から個室の寝室に戻さなければならない。体調や体格によって与えるエサの種類や量が異なるためだ。

 島原さんは強い性格のチンパンジーには、「早く入れよ」「そこはお前の部屋じゃないだろう」などときつい言葉を使い、体調が悪そうなら優しく語りかける。気弱なチンパンジーには同じように怒鳴っても、すぐ「ごめんね」とフォローする。「納得して動いてもらうには、こちらが状況に応じて使い分けるカードを何枚持っているかだ」と語る。

   ×  ×  ×

 アニメに登場する愛らしい表情のモグラ。ゲームセンターのモグラたたきもおなじみだが、生きた姿を見る機会はほとんどなく、その生態や行動も分からない部分が多い。

 多摩動物公園では1998年からモグラの飼育を始めた。担当の菊地文一さん(57)の発案で03年8月から、一畳ほどのスペースをアクリル板で囲い、地中の生態を見やすくした「モグラの家」でアズマモグラとコウベモグラを展示する。

 菊地さんは今、世界初となる飼育下での繁殖に向けた準備を進めている。開園50周年記念事業の一環として繁殖に利用できる施設が完成する今夏から本格的に取りかかる。

 モグラは8時間ごとに活動と休息を繰り返し、外観による雌雄の区別は難しい。それぞれが縄張りを持ち、繁殖期を除いて単独で暮らす。飼育下で繁殖を成功させるには、まず性別を見極め、適切な時期に交尾させなければならない。

 雌雄の区別は微細な毛から性差を示すDNAを増幅するPCR法で成功。他の動物の繁殖経験から発情期特有の行動も分かるという。「繁殖を成功させ、子育てなど多くの謎に包まれた生態を明らかにしたい」と意欲を見せる。=つづく【斉藤三奈子】

==============

 ■ことば

 ◇PCR法

 DNAの特定部位を化学的にコピーして大量に増幅することで、わずかな試料から短時間で簡便に特定の遺伝子を増幅できる。性別判定や親子判定など、野生動物の研究や保護繁殖でも活用されている。Pはコピーに使う酵素・ポリメラーゼ、Cは連鎖、Rは反応を表す英語の頭文字。DNA合成酵素連鎖反応とも呼ばれる。

毎日新聞 2008年1月17日

●いのち紡いで:多摩動物公園の50年/5 希少種の繁殖―ユキヒョウ /東京
1月18日12時1分配信 毎日新聞


 ◇100年先見据えて飼育
 飼育係の福田愛子さん(28)は04年から、アフガニスタンやカザフスタンなど中央アジアの山岳地帯に生息するネコ科の希少動物、ユキヒョウを1人で担当している。
 多摩で飼育する推定17歳の雄シンギズの両親は野生。カザフスタンで保護され、00年10月に寄贈された。各国の動物園が協力する繁殖計画では、シンギズをはじめ世界の動物園に数頭しかいない野生のユキヒョウの子孫を増やすことを優先している。近親交配を避け、遺伝的な多様性を確保するためだ。
 福田さんは希少動物の繁殖を担う緊張感について「ハラハラする」と表現する。多摩に異動して間もなく、雌のミカ(当時8歳)が死んでショックを受けた。エサに混じった骨が腸壁に刺さったのだ。
 シンギズとの交尾が確認され、繁殖への期待が膨らんでいた時だった。ミカの具合が悪そうだと感じていただけに、後悔の念が生まれた。「わずかな変化も見逃さない」と改めて思った。
 ユキヒョウの生後1年以内の死亡率は4割と高い。原則として人工飼育はしないため、母親の子育てを注意深く観察する。子供の体重測定では、福田さんは母親が子供から離れるすきを見計らい、寝室で壁や床にこすりつけたり、尿を染み込ませたりした布で子を抱き上げる。子供に人間のにおいが移ると、母親が育児放棄したり、殺したりする場合がある。
 シンギズの子のうち順調に育った7頭は英国や札幌、和歌山、熊本など国内外の動物園に送り出された。福田さんは昨年5月に生まれた雌のマイヤを含め6頭の繁殖に成功。民間団体の表彰も受けた。今、7頭を飼育している。
   ×  ×  ×
 ユキヒョウの生息数は人の生活圏の拡大や内戦、毛皮目当ての密猟などで4000〜7000頭に減少している。
 動物園が希少動物の保護繁殖に取り組む目的の一つは野生復帰。生息地に保護センターや保護区を設け、動物園で増やした個体を徐々に自然に慣らし、完全復帰を図る例が多い。しかし、ユキヒョウの場合現地の態勢づくりが進まず、福田さんは「今は無理でしょう」と語る。
 マイヤはすくすくと育ち、7月に一般公開された。福田さんは公開の初日、見学者の後ろに立ち、ほほ笑んでいた。担当者としては1頭でもいいからシンギズの子を多摩に残したいと思う一方で、「100年先を考えると、まだまだシンギズの子を送り出し、各地で増やさなければ」と自覚する。
…………………………………………………………………………………………
 ■ことば
 ◇希少動物
 国際自然保護連合(IUCN)が作成した絶滅に瀕(ひん)した動物の「レッドリスト」に記載された動物を指す。IUCNは各国に保護を呼びかけている。絶滅の危険性を生息個体数や繁殖の可能性などに基づき(1)絶滅種(2)野生絶滅種(3)近絶滅種(4)絶滅危惧(きぐ)種(5)危急種(6)近危急種(7)低危険種――の7種に分類。06年現在でほ乳類は5416種が記載されている。ユキヒョウは絶滅危惧種。

1月18日朝刊
●いのち紡いで:多摩動物公園の50年/6 自然で絶滅―モウコノウマほか /東京 1月19日12時1分配信 毎日新聞


 ◇「復帰」の大切さ見せる
 絶滅した野生種の子孫を飼育展示し、野生動物の保護に理解を深めてもらうことも動物園の役割になる。
 好天に恵まれた昨年12月2日、モンゴル原産の野生馬、モウコノウマを担当する前田由里香さん(32)が来園者にモウコノウマの特徴を懸命に説明していた。飼育係が担当の動物について説明し、質問に答えるキーパーズトークの一こまだ。
 「たてがみが短くて、家畜馬のような前髪はない。背中からお尻にかけて鰻線(まんせん)と呼ばれる焦げ茶色の線が通っているのも特徴です」
 モウコノウマは1879年、モンゴルのゴビ砂漠で発見されたが、乱獲のため1960年代に絶滅。92年からオランダの自然保護団体とモンゴルの研究機関が協力し、飼育下のモウコノウマを自然に戻す取り組みが始まった。欧州の動物園で飼育していた野生から10世代前後の個体で、現在、モンゴルの2カ所の保護区で約200頭が生息する。
 多摩動物公園では81年、英国の動物園から5頭が来園し、現在雄1頭、雌3頭を飼育する。5頭が繁殖した。
 前田さんは昨年4月からモウコノウマを担当。動物園の役割が希少種の繁殖だけなら非公開で構わないと考える。だが来園者に「あれはポニーですか」と聞かれると、モウコノウマの存在を知ってもらわなければと思う。「動物に対する理解や愛情は、間近に見ることで格段に深まる」と展示の意義を語る。
   ×  ×  ×
 顔はウマ、角はシカ、体はロバ、蹄(ひづめ)はウシのような中国原産の動物が飼育されている。そのどれでもないことからシフゾウ(四不像)と呼ばれる。来園者が名前の由来を説明したカードや角の生え替わりサイクル図と実物を見比べて関心している。
 シフゾウは1865年、北京の皇帝の狩猟場で、フランス人宣教師が「新種のシカ」として発見。1920年に絶滅が確認された。しかし、英国の貴族が1895年ごろに入手した15頭の系統が生き残り、第二次世界大戦後、欧米の動物園を中心に分散飼育。1985年から中国の狩猟場跡と保護区で、飼育下で増えた個体を放し始めた。
 日本には1888年、中国から雄1頭、雌2頭が上野動物園に寄贈され、2回繁殖した記録が残る。多摩動物公園では63年9月、スイスの動物園から雄2頭が来園したのが飼育の始まりで、現在は雄2頭、雌4頭。これまで25頭繁殖し、継続展示している。昨年4月からシフゾウ担当の松本徹郎係長(42)は「不思議な動物を知ってもらう工夫を凝らしていきたい」と話す。

1月19日朝刊

●いのち紡いで:多摩動物公園の50年/7 繁殖成功の実績―コウノトリとトキ /東京 1月21日11時1分配信 毎日新聞


 ◇全国初のヒナも誕生
 兵庫県豊岡市で昨年5月、国の特別天然記念物コウノトリが43年ぶりに自然孵化(ふか)で生まれた。日本では1971年に絶滅したコウノトリの野生復帰。飼育下で増やしたコウノトリを放し、繁殖を試みる兵庫県の計画の一環だった。多摩動物公園も放鳥候補の繁殖や孵化技術の開発で貢献してきた。
   ×  ×  ×
 88年4月、多摩動物公園は飼育下では国内初となるコウノトリの繁殖に成功した。80年から鳥類を担当する杉田平三さん(52)は、立ち上がった親鳥の足元にヒナを確認し、「まさか」と目を疑った。失敗続きであまり期待していなかったのだ。「国内初」が注目され、「ヒナを死なせられない」と、ヒナが食べられる大きさのドジョウを求めて奔走した。
 多摩のコウノトリ繁殖の試みは72年10月、日中国交正常化を記念して中国から贈られた1ペアの来園から始まった。最初のペア以外にも来園したが、初繁殖までは有精卵さえできない。試行錯誤の中で、ペアの相性だけでなく交尾姿勢の不自然さに気づいた。コウノトリが物音に驚いて飛び立ち負傷するのを防ぐため、翼を切っていたのが原因だった。88年以降は20年連続で繁殖に成功している。
 併用する人工孵化でも実績を上げ、孵卵器内部の温度管理に必要なデータを豊岡(県立コウノトリの郷公園)に提供した。02年には豊岡の要請を受け有精卵を孵化させた。
   ×  ×  ×
 相性のいいペアを作るため、飼育施設同士で個体を交換することがある。多摩から豊岡へはこれまでに19羽が移った。このうち雄雌3羽ずつが五つのペアを作り、47羽のヒナを育てた。
 こうした交換を決めるのは対象の動物ごとに全国に1人ずついる種別調整者の役割。小川裕子さん(33)は上野から多摩に戻った06年から再びコウノトリの種別調整者を務める。血統データなどに基づき、優良なペアになるよう各地のコウノトリの飼育担当者らと情報交換している。「どのペアが多く繁殖しているかを見極めて計画を立てるのが重要だ」と語る。
 06年12月末現在、国内で飼育下にあるコウノトリは14園202羽で、豊岡(107羽)と多摩(66羽)が8割を占める。
   ×  ×  ×
 昨年12月、鳥インフルエンザ感染の危険を分散するため、新潟県の佐渡トキ保護センターからトキ4羽(雄2雌2)が多摩動物公園に移った。約30種の鳥類の国内初繁殖に成功した実績から選ばれた。杉田さんは「佐渡のトキは100羽足らず。多摩でも積極的に繁殖していきたい」と意気込む。
●いのち紡いで:多摩動物公園の50年/8 世界最高齢―オランウータン /東京 1月22日12時1分配信 毎日新聞


 ◇画伯を「必ず幸せに」
 オランウータン放飼場に出て来た雌のモリー(推定56歳)に来園者が「モリーさん」と声をかけると、閉じている右目のまぶたを左手の指でヒョイと持ち上げ、来園者の方を見つめる。モリーの左目はもう見えない。
 米フロリダ州マイアミのメトロ動物園で昨年12月29日、飼育下のオランウータンとしては世界最高齢だったノンジャ(雌、推定55歳)が死んだ。その時点でモリーが最高齢となった。多摩動物公園はギネスブックに申請する予定だ。
   ×  ×  ×
 1955年11月5日、推定3歳の雌のオランウータンがインドネシアのバンドン動物園から親善大使として上野動物園に来園。公募で「モリー」と名付けられた。モリーは国内初繁殖に成功し、61年5月29日に初子(雌)を出産。さらに81年までにサブ、敬太、つくもの3頭を生んだ。
 都立4動物園は90年以降、ズーストック計画に基づき希少動物の保護繁殖を分担する。オランウータン担当は多摩だが、高齢のモリーは上野に残った。02年から画用紙にクレヨンで絵を描き始め、個展も開催。「モリー画伯」は人気者だった。
 モリーが多摩へ来たのは05年11月。新しい飼育施設の完成に合わせた。オランウータン担当の黒鳥英俊さん(55)は01年まで上野でオランウータンやゴリラを担当し、モリーの世話もしていた。「一人になったモリーさんは、のんびり暮らしていました」と振り返る。
 「モリーを上野に残して」。画伯の移動が決まると、ファンから抗議が殺到し、黒鳥さんは「必ず幸せにする」と説得した。今では上野当時のファンが、8頭の仲間に囲まれたモリーを訪ねてくる。メーンの放飼場と雑木林を生かした放飼場の間は約150メートルのワイヤを伝って移動する。その姿を見ながら黒鳥さんは「今の方が元気みたい」と話す。
   ×  ×  ×
 動物園でオランウータンの保護繁殖を図るには、オランウータンに育てさせる必要がある。人工飼育された動物はうまく繁殖させることができない。
 昨年7月、インドネシアから単独で来園した雌のキキ(7歳)は今、子育て上手な雌のジプシー(推定52歳)と一緒にいる。ジプシーの娘チャッピー(34歳)親子と同居させる試みは、神経質になっていたチャッピーがキキを追いかけ回してうまくいかなかったが、ジプシーが受け入れて面倒を見ている。
 黒鳥さんは「ジプシーは早い段階で親から離れたキキの母親代わりをしている」と説明する。
 キキはぞうきんがけするジプシーをまねてTシャツを水に浸し、画用紙を渡せばモリーのように絵を描こうとする。
………………………………………………………………………………………
 ■ことば
 ◇ズーストック計画
 都が動物園で希少動物を保護繁殖するため90年に策定した計画の名称。上野と多摩、井の頭、大島の都立4動物園が50種を分担することになった。多摩動物公園はオランウータンやユキヒョウなど15種を担当している。

●いのち紡いで:多摩動物公園の50年/9 人気者の素顔―コアラ /東京
1月23日14時0分配信 毎日新聞


 ◇貸借契約で共同繁殖
 上野動物園勤務の7年間を除き、1991年から昨春まで多摩動物公園のコアラ担当だった横田利明さん(39)の左ふくらはぎに、長さ10センチほどの2本の鋭いつめ跡が残る。担当して間もないころ、雌のコアラの体重を測った際、においが横田さんの体に移ったらしく、発情期の雄が脚にしがみついてきたのだ。「のんびりしていると思ったが、素早い動きと強くて鋭いつめに驚いた」。コアラの意外な一面を振り返る。
   ×  ×  ×
 ライオンバスと並び、初めて多摩を訪れる人のお目当てはコアラ。84年10月、豪州から初めて日本に贈られた6頭のうち、2頭が多摩に来た。直前の6月、都は飼育班3人をシドニーのタロンガ動物園へ1カ月もの研修に出した。目的は飼育技術の習得と来園予定のコアラに合うユーカリの見極めだった。
 コアラは約600種のユーカリのうち約50種類を食べるが、個体ごとに好みが異なる。代用食はない。豪州がコアラの禁輸を解く条件の一つはユーカリの自給。研修では、夢の島公園で栽培したユーカリを毎週空輸して試した。今も城北中央公園や園内温室など6カ所で異なる種類のユーカリを栽培する。
 直接触るな。音の刺激を与えるな。温度と湿度の管理に気を付けて――。豪州はエサ以外にも厳密な条件を示した。体重測定ではコアラを枝につかまらせたまま、飼育係が体重計に乗る。適切なユーカリの種類と摂取量をつかむため、葉の水分蒸発量を調べ、フンの量も毎日記録して健康管理に注意を払った。横田さんが引っかかれた時も、しゃがんでフンを数えていた。
   ×  ×  ×
 コアラの初来日から24年、日本のコアラ界は少子高齢化に直面している。国内9園で繁殖数のピークは96年の16頭から05年には4頭まで減少した。
 1年間の補助を経て昨年4月からコアラ担当の高橋孝太郎さん(39)はそれでも「日本のコアラは徳俵ぎりぎり踏みとどまっている状態」と語る。国内9園が06年、短期共同繁殖計画に乗り出したからだ。血縁関係も考えて繁殖適齢期のコアラを貸し借りする。
 2日には、埼玉県こども動物自然公園で飼育するメイのおなKの袋から多摩のコウの子が顔を出した。共同繁殖では4頭目。今後も短期の園間移動を積極的に進めたいと考えている。
 飼育舎のコアラ5頭にラジオを聞かせて音に慣れさせる。風速1メートル以上の風に当てるのも厳禁だったが、窓を開けて外気を入れる。
 「豪州の指示を厳密に守ってきた多摩のコアラは、過保護で神経質になった」。そう感じていた高橋さんは飼育方法を少しずつ変え始めた。
…………………………………………………………………………………………
 ■ことば
 ◇短期共同繁殖計画
 希少動物の繁殖を目的に、通常は2カ所の動物園の間でブリーディングローン(繁殖を目的とした動物の貸借契約)を実施する。コアラの場合、国内9園が2カ月〜半年程度で貸し借りし、繁殖の機会を増やそうとする試み。

1月23日朝刊

最終更新:1月23日14時0分

[ 撮 影 日 ] 2007.10.28

[ 撮影場所 ] 多摩動物公園

未掲載の写真がありました。

ヨーロッパオオカミ
[ 撮 影 日 ] 2008.02.11

[ 撮影場所 ] 多摩動物公園

[動物名など] インドサイの新飼育施設オープン
[動物名など] マレーバクの赤ちゃん公開
[動物名など] ちょっと珍しいユーカリの木から降りて床を激走するコアラ
   
●ボルネオオランウータン:福岡→多摩動物公園来園1カ月 ユキ、仲間入り順調 /東京 3月16日12時2分配信 毎日新聞


 ◇2世誕生に期待
 多摩動物公園(日野市)で、福岡市動物園から来園して1カ月になる雌のボルネオオランウータンのユキ(推定38歳)の仲間入りが順調に進んでいる。多摩ではユキ以外に9頭(雄3、雌6)のボルネオオランウータンを飼育。野生のオランウータンの場合、母子以外は単独行動だが、多摩では雄のキュー(推定39歳)やボルネオ(22歳)との繁殖を目指す。力が強い雄と暮らす前段階として、雌たちとの同居を試みている。
 オランウータン担当の黒鳥英俊さん(55)によると、ユキは面倒見の良いジプシー(推定52歳)とは和やかな雰囲気。現在はキキ(7歳)と合わせて3頭で放飼場に出ている。「ユキはおっとりした性格」と黒鳥さんは話す。
 放飼場では、おやつにもらったヤシの実の皮を器用に歯ではがし、人間がガムを食べるようにヤシの実の繊維を口に含むユキの姿も見られる。訪れたファンたちは、早くも2世誕生を期待していた。
 ユキの来園は先月13日。福岡市動物園では、老朽化に伴い改修工事が進められており、オランウータンの飼育施設が完成する12年まで、繁殖も兼ねて多摩で預かることになった
●16年ぶりにチーター誕生! 名前募集 2008/03/28

 多摩動物公園で16年ぶりにチーター(オス2頭、メス2頭)が生まれました! チーターの繁殖は非常にむずかしく、飼育下での繁殖例は多くありません。これまでの事例では、あたらしくやってきた個体どうし、あるいは、あたらしく来た個体と以前からいた個体とのあいだで繁殖が見られることが多いのですが、今回も、昨年(2007年)10月にやってきた2頭のあいだで繁殖しました。

 生まれたの2008年3月5日(水)。母親はキキョウ(2003年4月23日生まれ、4歳)、父親はカエデ(2002年8月1日生まれ、5歳)、いずれも南アフリカ共和国の繁殖センターで生まれ、10月10日に多摩動物公園にやってきた個体です。

 2頭に交尾か確認されたのは2007年12月2日でした。出産は3月5日。午前0時10分に最初の赤ちゃんが誕生。初産なので心配もありましたが、2頭目以降は赤ちゃんの世話をするようすにも落ちつきが見られるようになりました。4頭目が生まれたのは午前4時11分ごろです。

 3月26日に2回目の体重測定をおこなったところ、4頭の平均体重は 1,235グラムでした。誕生時の体重は約 300グラムといわれています。公開はしばらく先になります。

◎4頭の名前募集

 2008年3月28日(金)〜3月31日(月)の4日間、ウォッチングセンター内の動物ホールで、応募用紙に赤ちゃんの名前を書いて投函してください。動物ホールでは、4頭のビデオを上映しています。

 名前には簡単なルールがあります。両親の名前にちなみ、オスは「カ」、メスは「キ」を含むこと、そしてカタカナ5文字以内であることです。投票場所に「除外名」を掲示します。なお、投票はお1人1枚まで。締切後、得票数の多い候補から、当園選考委員会が名前を決定します。決定後、命名式を開催。決定した名前に投票された方には、命名式のご案内と記念品をお送りします。

(2008年03月28日)
チータ−の赤ちゃんはその後、どうなったんだろう?

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

Gaia・ガイア 動物の世界 更新情報

Gaia・ガイア 動物の世界のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング