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Gaia・ガイア 動物の世界コミュのニホンオオカミ/エゾオオカミ

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★ニホンオオカミ(フリー百科事典に画像追加)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%9B%E3%83%B3%E3%82%AA%E3%82%AA%E3%82%AB%E3%83%9F
★エゾオオカミ(フリー百科事典に画像追加)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%BE%E3%82%AA%E3%82%AA%E3%82%AB%E3%83%9F

●ニホンオオカミ(Canis lupus hodophilax Temminck,1839) とは、日本の本州、四国、九州に生息していたオオカミ。1905年(明治38年)1月23日、奈良県東吉野村鷲家口で捕獲された標本を最後の標本として最近まで考えられていた。しかし近年、1910年(明治43年)8月、福井城址で捕獲された犬科動物が、ニホンオオカミであったとの論文が発表され、従来よりも最終捕獲年度が5年延びる事となった。過去50年間生存の確認がなされない場合、学術的には絶滅となっているのでニホンオオカミは絶滅種である。同じく絶滅種である北海道に生育していたエゾオオカミとは別亜種であるとして区別される。ニホンオオカミを記載し、飼育し解剖学的にも分析したシーボルトによると、ニホンオオカミはハイイロオオカミと別種であるという見解である(ニホンオオカミの分類に関する議論については「ノート:オオカミ」を参照のこと)。このように大陸産のハイイロオオカミの亜種ではなく、Canis hodophilaxとして独立種であるとすることもある。この場合でもエゾオオカミはハイイロオオカミの亜種とされる。★脊椎動物亜門 哺乳類綱 ネコ目(食肉目) イヌ科 イヌ属に属する。絶滅種。 体長95〜114cm、尾長約30cm、肩高約55cmが定説となっている(剥製より)。 他の地域のオオカミよりも小さく中型日本犬ほどだが、中型日本犬より脚は長く脚力も強かったと言われている。耳が短いのも特徴の一つ。★生態は絶滅前の正確な資料がなく、ほとんどわかっていない。本州・四国・九州に生息していた。エゾオオカミと違って、大規模な群れを作らず2、3頭〜10頭程度の群れで行動した。山峰に広がるススキの原などにある岩穴を巣とし、そこで3頭ほどの子を生む。自らのテリトリーに入った人間の後ろをついて来る(監視する)習性があったとされ、所謂「送りオオカミ」の由来ともなった。しかし、人間からすれば手を出さない限りニホンオオカミは殆ど襲ってこない相手であり、むしろイノシシなどが避けてくれる為、送りオオカミ=安全という図式であった。一説にはヤマイヌの他にオオカメ(おおかみ)と呼ばれる痩身で長毛のタイプもいたようである。シーボルトは両方飼育していたが、オオカメとヤマイヌの頭骨はほぼ同様であり、彼はオオカメはヤマイヌと家犬の雑種と判断した。オオカメが亜種であった可能性も否定出来ないが今となっては不明である。

★現存する標本: 日本
国立科学博物館(剥製、全身骨格標本)
東京大学農学部(剥製)
和歌山県立自然博物館(剥製、和歌山大学より寄贈)
和歌山県立博物館の剥製
埼玉県秩父市の秩父宮記念三峯山博物館(二例の剥製、2002年に相次いで発見・確認)
熊本市立博物館(全身骨格標本)
熊本市立博物館の全身骨格標本は、熊本県八代郡京丈山洞穴より、1976年から1977年にかけての調査で発見された。放射性炭素法を使って骨の年代測定を行った結果、この個体は室町時代〜江戸時代初期に生きていたことが分かった。このほか1969年に、同じく熊本県泉村矢山岳の石灰岩縦穴からも頭骨が発見されている。
★現存する標本:国外
オランダのライデン王立博物館(剥製)
江戸時代にシーボルトが日本から持ち帰った多くの動植物標本の内の一点、ヤマイヌという名称で基準標本となっている。愛知万博で里帰り展示された。
イギリス・ロンドンの大英博物館(毛皮)
ドイツ・ベルリンの自然史博物館(毛皮)
★頭骨など
本州、四国、九州の神社、旧家などに、ニホンオオカミのものとして伝えられた頭骨が保管されている。特に神奈川県の丹沢ではその頭骨が魔よけとして使われていた。2004年4月には、肉や脳の一部が残っているイヌ科の動物の頭骨が山梨県で発見され、国立科学博物館の鑑定によりニホンオオカミのものと断定された。DNA鑑定は可能な状態という。

★江戸時代の1732年(享保17年)ごろに、ニホンオオカミの間で狂犬病が流行したことが文献に記されているが、これは絶滅の150年以上前のことであり、要因の1つではあるにしても、直接の主原因とは考えにくい。近年の研究では、明治以降に輸入された犬からのジステンパーなどの伝染病が主原因とされている。なお、1892年の6月まで上野動物園でニホンオオカミを飼育していたという記録があるが、残念ながら写真も残されていない。当時は、その後10年ほどで絶滅するとは考えられていなかった。★紀伊半島山間部では、1970年代に、ニホンオオカミを目撃したという証言が度々話題となり、ニホンオオカミが生存しているのではないかとの噂が絶えない。現在でも、紀伊半島山間部ではニホンオオカミの目撃証言を募るポスターをしばしば目にする。秩父山系でも、ニホンオオカミ生存の噂は耐えない。★ヤマイヌとオオカミ:ニホンオオカミという呼び名は、明治になって現れたものである。日本では古来から、ヤマイヌ(豺、山犬)、オオカミ(狼)と呼ばれるイヌ科の野生動物がいるとされていて、説話や絵画などに登場している。これらは、同じものとされることもあったが、江戸時代ごろから、別であると明記された文献も現れた。ヤマイヌは小さくオオカミは大きい、オオカミは信仰の対象となったがヤマイヌはならなかった、などの違いがあった。このことについては、いくつかの説がある。ヤマイヌとオオカミは同種(同亜種)である。 ヤマイヌとオオカミは別種(別亜種)である。
ニホンオオカミはヤマイヌであり、オオカミは未記載である。 ニホンオオカミはオオカミであり、未記載である。Canis lupus hodophilaxはヤマイヌなので、ニホンオオカミではない。 ニホンオオカミはオオカミであり、Canis lupus hodophilaxは本当はオオカミだが、誤ってヤマイヌと記録された。真のヤマイヌは未記載である。 ニホンオオカミはヤマイヌであり、オオカミはニホンオオカミとイエイヌの雑種である。
ニホンオオカミはヤマイヌであり、オオカミは想像上の動物である。 ニホンオオカミを記載したシーボルトは前述の通りオオカミとヤマイヌの両方飼育していた。現在は、ヤマイヌとオオカミは同種とする説が有力である。なお、中国での漢字本来の意味では、豺はドール、狼はタイリクオオカミで、混同されることはなかった。現代では、「ヤマイヌ」は次の意味で使われることもあるので、注意が必要である。ヤマイヌが絶滅してしまうと、本来の意味が忘れ去られ、野犬のことだと解釈されるようにもなったが、これは本来は間違いである。英語のwild dogの訳語として使われる。wild dogは、イエイヌ以外のイヌ亜科全般を指す(オオカミ類は除外することもある)。「ヤマネコ (wild cat)」でイエネコ以外の小型ネコ科全般を指すのと類似の語法である。
★各地の神社に祭られている犬神や大口の真神(おおくちのまかみ)についてもニホンオオカミであるとされる。これは、農業社会であった日本においては、食害を引き起こす野生動物を食べるオオカミが神聖視されたことに由来する。
★ニホンオオカミ絶滅の弊害とオオカミ導入計画:ニホンオオカミが絶滅したことにより、天敵がいなくなったイノシシ・シカ・ニホンザル等の生物が異常繁殖することとなり、人間や農作物に留まらず森林や生態系にまで大きな被害を与えるようになった。アメリカでは絶滅したオオカミを復活させたことにより、崩れた生態系を修復した実例がある。それと同様にシベリアオオカミを日本に再導入し対応するという計画が立案されたこともあった。しかしながら、ニホンオオカミよりも大型で体力の強いシベリアオオカミが野生化することの弊害が指摘されて中止になった経緯がある。現在も、祖先がニホンオオカミと同じという説がある中国の大興安嶺のオオカミを日本に連れてきて森林地帯に放すという計画を主張する人々がいる。

いずれのオオカミにしても種あるいは亜種レベルでニホンオオカミと異なる別の動物であり、日本の気候・土地に適応できるか不明である。また、オオカミの行動範囲は広いことが知られており、人と接触する可能性も否定できない(北米ハイイロオオカミの群れの縄張りの広さは20-400平方キロメーター程度あり、1日約20km移動するという[1])。 さらには、沖縄でハブ駆除のために放たれたマングースのように外来種としての被害を与える可能性もあるという議論もある。しかしながら、マングースは同じ生態系地位を占める動物が存在しなかったのに対して、アジア系のハイイロオオカミはニホンオオカミとほぼ同じ生態系地位を占める動物であることが異なる。

以上がニホンオオカミの概要である(フリー百科より)

画像:エゾオオカミ/ニホンオオカミ

1888年(明治21年)07月に岩手産ニホンオオカミが上野動物園に来園した記録がある。http://www.shimono.co.jp/corp/history/history4.html


ドル袋

コメント(32)

3月18日まで山梨県立博物館にて、シンボル展「オオカミがいた山 消えたニホンオオカミの謎に迫る」開催中。
3月11日には午後2時より山根一眞氏による特別講演「取材10年−ニホンオオカミの謎を解く」あり。
http://www.museum.pref.yamanashi.jp
私も行けそうにありません。

なお、山梨日日新聞社刊行「ザやまなし」2月号にも記事があります。
面白いですね・・・

昨年上野動物園で戌年の特別企画としてオオカミ展が
あり見てきました。 でも講演は魅力です。
2006年1月オオカミ特別展(上野動物園)

ニホンオオカミ
東京大学農学部所蔵

ニホンオオカミ
和歌山大学所蔵

ニホンオオカミの頭蓋骨
2005.08神奈川県立自然博物館?
ニホンオオカミ(レプリカ)
朝鮮オオカミの画像だが、やはりニホンオオカミに
似ていると思う。
2007.03.10国立科学博物館
ニホンオオカミ
http://komadori.com/okami-t.html
オオカミ神社参拝の記事がありました。

今度行こうかな?
http://www.yezodeer.com/bookshelf/shiretoko&yellowstone.html
【書名】世界自然遺産 知床とイエローストーン:野生をめぐる二つの国立公園の物語
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20070209/mng_____tokuho__000.shtml
食物連鎖の復元・食害防止に『オオカミ放て』論

http://osaka.yomiuri.co.jp/flower/fl20609t.htm
ニホンオオカミが最後に姿を見せた奈良県東吉野村
オオカミ神社、読んでみたら三つとも行ったことがありました。まぁ、御嶽は本殿だけでの大口真神社は知らなかったので行ってませんが。
オオヤマツミを祀っていて眷属がオオカミという神社、うちの近くにも一つあります。あ…二つか。
●害獣対策 オオカミ浮上 ―絶滅の天敵 復元?―

 かつて日本の森にはオオカミがすみ、シカやイノシシを捕食していた。天敵オオカミの復元で森の生態系バランスを戻し、害獣対策にも生かそうというアイデアが現実味を増している。ただ、絶滅してから既に百年近い。未知の大型獣を野に放つ、不安が行く手をさえぎっている。 特 集(03.5.31)

オホーツク海に臨む観光の町、北海道東部の斜里町。知床国立公園内に残る大正時代の開拓地跡で、町は森林再生を進めている。約九百ヘクタールの跡地は一九七〇年代、民間のリゾート開発に狙われた。危ぶんだ住民が町を巻き込み、二十年かけて買い取った。森では絶滅動物の復元もめざす。シマフクロウ、カワウソなど七種の候補に、オオカミの名前がある。「樹木だけじゃなく、生態系を丸ごと再現しないと、森がよみがえることになりませんから」。誇らしそうに説明していた町環境保全課の村上隆広さん(33)も、オオカミ復元の話に進むと、口調が少しよどむ。 町はオホーツク海の流氷や千メートル級の山並みなどの自然に恵まれ、年間百八十万人の観光客が訪れる。明治時代に滅び、見慣れないオオカミへの恐怖感が観光産業のあだにならないか、懸念がぬぐえないのだ。牧畜文化の欧州のおとぎ話で育った、若い世代には「オオカミ=悪者」の見方が刷り込まれている。  一方で、地元では八〇年代から、エゾシカによる農林業被害が目立っている。ナラやニレの苗木を植えたそばから食いちぎる。畑の被害額は二〇〇二年度、町全域で約二千四百万円に上る。天敵のオオカミがエゾシカを減らしてくれれば、金網フェンスの設置や苗木の防護など獣害対策の手間は軽くなる。 町が森林再生の構想作りに委託した、生態学者など専門委員六人がオオカミの復元案を持ち出したのもエゾシカの天敵効果も狙う一石二鳥の提案だった。観光客の反応が気掛かりな町は「絶滅したオオカミまで、海外から輸入して復活させる必要があるかどうか…。まだ検討段階」と、今は慎重だ。
「オオカミの餌は、イノシシやシカ。天敵の人間を襲う危険は、本能的に冒しませんよ」。東京農工大の丸山直樹教授(60)=野生動物保護学=は、習性への理解を訴える。九三年に日本オオカミ協会(約八百人)を創設し、国内で復元運動を進めている。
「肉食でも小さなキツネやイタチじゃ、シカやイノシシなど大型獣の天敵になれない」と丸山教授。近年の獣害は、オオカミを滅ぼし、森の生態ピラミッドの頂点を崩した結果と映る。

 協会には、オオカミと暮らしている会員もいる。北海道標茶(しべちゃ)町の牧場地帯に住む、英会話講師桑原康生さん(41)。米国アラスカ州に留学し、オオカミのいる大自然に触れた。金網フェンスに囲われた約五千平方メートルの運動場で、モンゴルや米国から輸入した十九頭の遠ぼえが聞こえる。九八年から自宅を開放し、オオカミに親しんでもらう体験学校を開いている。
 「オオカミを入れるなら、どんな動物なのか、習性を知ってもらうことから始めないと」と桑原さんは考えた。日本では、いきなり森に放さず、フェンスで山ごと囲ったような管理域での生態調査が必要と踏む。
 オオカミ復元の先例が海外にある。四国の半分ほどの面積を誇る、米国北西部のイエローストーン国立公園。開拓時代の一九二〇年代に滅ぼしたオオカミの復活に向け、政府が九〇年代半ば、カナダから三十一頭を輸入した。現在は、約二百五十頭に増えている。増え過ぎていたヘラジカが減るなどの効果が表れだした。人を襲う事故も起きていない。斜里町の調査では、八八年に町内の面積一キロ四方に二頭だったエゾシカの生息密度が、九六年には十八頭に急増した。「オオカミ導入だけで抑えきれるかどうか…」。丸山教授たちはオオカミ復活に希望をつなぐ一方で、現状を冷静に見つめる。牛など家畜を襲う可能性や人畜被害が起きた時の補償制度など、詰めるべき課題も多い。丸山教授は言う。「獣害の問題は、オオカミ任せじゃあ片付かない。本来の天敵、人間も頑張らないと」

●日本のオオカミ
 明治時代に乱獲や狂犬病の流行などで生息数が激減。本州や四国、九州にいたニホンオオカミ(体長約140センチ)は1905(明治38)年、北海道のエゾオオカミ(同約160センチ)は1900年ごろを最後に、目撃例がない。いずれもユーラシア大陸に生息しているオオカミの亜種とみられている。復元運動では絶滅した種の復活と違い、遺伝子の似通った大陸オオカミを輸入する意味合いから「再導入」と呼ぶ場合もある。

●害獣を狩ってくれるオオカミに、日本社会は信仰心さえ抱いた。その名残が岡山県久米町の貴布弥(きふね)神社にある。境内の奥御前(おくみさき)神社は「狼(おおかみ)様」と呼ばれ、今も盗難よけの神としてまつられている。
「農家にとって米や野菜は、オオカミの力を借りてでも守りたいもんですからなぁ」。宮司の柳二郎さん(61)が和紙を差し出した。向き合う二頭のオオカミが刷ってあった。この守り札を竹の棒に挟み、田畑に立てる農家が今もあるという。
年末の大祭で、農家は一年間使い古した守り札を神社に持ち寄る。ここ数年、イノシシ被害に悩む県北部の鏡野町や大原町などから参拝客が増えている。
市内の神社のオオカミではないかと思われる“狛犬”です。
画像1:東京上野科学博物館のニホンオオカミの剥製(旧館展示時)

画像2:明治時代に上野動物園で飼育されていた時代に撮られたと思われるニホンオオカミの写真(コメントが無かったので憶測)

画像3:多摩動物園において飼育されていた時の朝鮮オオカミの写真

●大陸オオカミやシンリンオオカミのイメージと比べるとやや茶褐色の傾向が強く感じるが、ニホンオオカミはグレーと言うより少し茶褐色の傾向が強かったのかも知れない。神奈川県の箱根口にある県立自然博物館?にはニホンオオカミのレプリカがありますが、幾分かはグレーが入った茶褐色の感じを受ける。画像は下↓
神奈川県の箱根口にある県立自然博物館?にはニホンオオカミのレプリカ
2007.07.21国立科学博物館

ニホンオオカミ
2007.07.21国立科学博物館

ニホンオオカミの骨格標本
最後のニホンオオカミ 福井市(6)朝日新聞社記事転記
2007年01月09日

★松平康荘侯爵が撮影した獣。ポーズは人為的につけたものらしい。写真はこのほか、福井市内の写真店経営者が撮影したものも現存。(県立図書館松平文庫蔵)
★捕殺後剥製にされた獣。「純日本種狼」とプリントがある。福井市内の女性が69年に郷土歴史博物館へ寄贈したアルバムより(福井市立郷土歴史博物館提供)
★明治から大正にかけて福井城跡にあった松平試農場。現在の福井市大手2丁目付近にあたる(県立図書館松平文庫蔵)

 福井市下馬町の県立図書館に、旧福井藩主の越前松平家から寄託された1枚の古写真が保管されている。 写っているのは、作業服姿の3人の男性と、その足元に横たわる犬のような1頭の獣。首より上の毛が長く、尾は短くて太い。1910(明治43)年、福井城跡で撮影されたものだ。「これこそ、絶滅したニホンオオカミの最後の確認例だと思います」。元国立科学博物館研究員で東京農大教授も務めた吉行瑞子さん(74)=東京都新宿区=は確信を持って力説する。 ニホンオオカミは1905年、奈良県東吉野村で捕殺された1頭を最後に生存が確認されていない、というのが学界の定説だ。でも、本当の「最後」は、この写真の獣かもしれないのだ。この獣が福井の街に現れたのは1910年8月3日のことだった。当時、城跡一帯には越前松平家18代当主の康荘(やすたか)侯爵によって松平試農場が開設され、畑や果樹園が広がっていた。試農場の当時の日誌によると、「城内に野犬が逃げ込んだ」という情報が寄せられ、研究生らが捜索。夕方になって、ようやく銃で獣を射止め、撲殺した。翌日、松平邸で研究生らとともに写真撮影したという。日誌はこの出来事を「狼(おおかみ)捕殺」と記している。だが、半世紀後の62年、残された写真をもとに獣の正体を議論した日本哺乳(ほにゅう)動物学会は「ニホンオオカミである可能性は低い」との結論を下した。実は捕殺の数日前、県内で興行中の巡回動物園から、大陸産のチョウセンオオカミが逃げ出す事件があり、この脱走オオカミだとみる意見が大勢を占めたという。その後も、写真に写った獣の姿形を分析した複数の研究者が、この結論への支持や不支持を唱えて散発的に議論は続いた。だが、獣の剥製(はくせい)はすでに戦時中の空襲で焼失しており、それ以上の証明手段はなかった。「やはり、あれは動物園の脱走オオカミなんかじゃない。ニホンオオカミだったんだ」90年代後半、吉行さんは福井から取り寄せた一冊の文献に目を通した瞬間、そう確信した。当時、東農大教授だった吉行さんは、チョウセンオオカミ説に疑問を抱く今泉吉典・元国立科学博物館動物研究部長(92)とともに、獣の正体特定につながる新資料を探していた。そして発見したのが、試農場関係者が67年に福井の農業雑誌に寄稿していた「松平試農場誌」。そこには「捕殺の翌日、動物園職員が福井を訪れて死体を調べ、同園のオオカミではないと判明した」「同日、福井中学の動物学教諭が、純粋なニホンオオカミだと鑑定した」といった新事実が書き記されていた。吉行さんらは03年、こうした資料をもとにニホンオオカミ説を主張する論文を発表。翌年にはメディアにも大きく取り上げられた。だが、この論文も定説を書き換えるには至っていない。発表後、吉行さんらの元には、特に反論は寄せられなかったが、積極的な支持や定説修正を求める声があがることもなかった。現在、環境省のウェブサイトにある絶滅動物などのデータベースでは、ニホンオオカミの最後の確認例は依然、奈良県のケースとされている。記述のもととなったレッドデータブックの執筆を担当した石井信夫・東京女子大教授(動物生態学)は「やはり、この分野で決め手になるのは標本の有無。標本が現存する奈良のケースに比べ、『最後の例』と認定するには不確実と言わざるを得ない」と話す。福井のオオカミ騒動から、もうすぐ100年。絶滅したはずのニホンオオカミは、現在でも全国各地でしばしば「目撃情報」が報告され、生存を信じる人々から追い求められる存在であり続けている。吉行さんは「確かに物証こそありませんが、最後のニホンオオカミが福井で捕獲された可能性が高いということは、何らかの形で記録しておくべきだと思います。せめて福井の人々には、貴重な動物が明治末まで生き続けた場所だということを、記憶に刻んでおいてほしい」と話している。
エゾオオカミの剥製を直に見たことがあり
当時の写真からデジタルで撮り直した。
1984.09.14札幌郊外・開拓記念館にて
[ 撮 影 日 ] 2008.02.17

[ 撮影場所 ] 国立科学博物館

[動物名など] ニホンオオカミ

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