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福井県勝山市コミュの勝山の由来に驚き

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昨日、台風の去った勝山を回っていました。
すると村岡山(むろこやま)で勝山の由来を
知ることができ感動しました。

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《勝山の由来》
勝山藩は越前勝山藩ともいい、
江戸時代初頭に越前松平家の衛星的な小藩として成立した。

越前松平家は、家康の二男で
豊臣秀吉の養子となった結城秀康が、
関ヶ原役後に福井68万石に封じられて起こした家であるが、
相次ぐ御家騒動で、その度に藩領が縮小されていった。

勝山の地もその余波を受けて一時天領となったが、
元禄4年(1691年)に美濃高須から小笠原貞信が
2万2千7百石で入封し、明治まで八代180年に渡って支配した。

戦国時代に越前国を領していたのは、
一乗谷に本拠を置いた朝倉氏であったが、
勝山の地は天台宗白山平泉寺が支配しており、
その門前の若猪野、上高島、北市、下高島、
下毛屋、猪野毛屋、猪野の村々が寺域とされていた。

平泉寺は領主朝倉氏と良好な関係を維持し、
そのために加賀を中心に猛威を振るった
一向一揆とは対立する関係にあった。

天正元年(1573年)8月に朝倉氏が織田信長に
よって滅ぼされると、越前の地は一向一揆が盛んに起り、
平泉寺も焼き討ちされた。

一向一揆は対立していた平泉寺を攻撃するために、
平泉寺から4キロほど離れた村岡山(むろこやま)に城を築き、
平泉寺焼亡後は戦勝を祝して、村岡山を勝山(かっちゃま)と改めた。
これが勝山の由来である。

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凄い歴史のある街に驚きました。

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