ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

NO 神輿 NO Life!コミュの浅草・三社祭

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
言わずと知れた江戸・東京のお祭りで一番盛り上がる神社。
観音さまは浅草寺(せんそうじ)。
三社さまは浅草神社(あさくさじんじゃ)

〜御祭神〜
土師真中知命〔はじのまつちのみこと〕
桧前浜成命〔ひのくまのはまなりのみこと〕
桧前竹成命〔ひのくまのたけなりのみこと〕
〈相殿〉
徳川家康〔とくがわいえやす〕
大国主命〔おおくにぬしのみこと〕

画像は左から三ノ宮、一ノ宮、二ノ宮
同じ配列で神輿庫に安置されている。

コメント(7)

浅草神社HP
http://www.asakusajinja.jp/index.html

由緒
推古天皇の三十六年三月十八日のことでした。
  漁師の桧前浜成・竹成兄弟が隅田川で漁労に精を出していましたが、その日に限り一匹の漁もなく網にかかるのはただ人型の像だけでした。幾たびか像を水中に投げ捨て、何度場所を変えて網を打ってもかかるのは不思議と人型の像だけなので、最後には兄弟も不思議に思い、その尊像を捧持して今の駒形から上陸し、槐(えんじゅ)の切り株に安置しました。そして、当時、郷土の文化人であった土師真中知にこの日の出来事を語り、一見を請うたところ、土師氏は、これぞ聖観世音菩薩の尊像にして自らも帰依の念心仏体であることを兄弟に告げ、諄々と功徳、おはたらきにつき説明しました。
 兄弟は初めて聞く観音の現世利益仏であることを知り、何となく信心をもよおされた二人は、深く観音を念じ名号を唱え、「我らは漁師なれば、漁労なくしてはその日の生活にも困る者ゆえ、明日はよろしく大漁を得させしめ給え」と厚く祈念しました。
  翌十九日に再び網を浦々に打てば、願いのごとく大漁を得ることができました。
  土師真中知は間もなく剃髪して僧となり、自宅を改めて寺となし、さきの観音像を奉安して供養護持のかたわら郷民の教化に生涯を捧げたという。いわゆるこれが浅草寺の起源です。
 土師真中知の没した後、間もなくその嫡子が観世音の夢告を受け、三社権現と称し上記三人を神として祀ったのが三社権現社(浅草神社)の始まりであるとされています。
 これによると創建は今を去る千三百五十年程の昔ということになりますが、これは少々無理のようで、平安の末期から鎌倉にかけて権現思想が流行しだした以後、三氏の末裔が崇祖のあまり浅草発展の功労に寄与した郷土神として祀ったものであろうと推定されます。
 奇しくも明治維新の神仏分離令により浅草寺との袂を分かち、明治元年に三社明神社と改められ、同6年に現在の名称に至ります。
 今もなお、「三社さま」として親しまれている浅草神社ですが、元来三人の神様をお祀りしたことからそのようによばれています。
日程
5月17日(木) 本社神輿神霊入れの儀

5月18日(金) 大行列
びんざさら舞奉納
各町会神輿神霊入れの儀

5月19日(土) 例大祭式典
氏子各町連合渡御  浅草四十四ヶ町のお神輿100基の渡御。
奉納舞踊

5月20日(日) 宮出し  浅草神社本社神輿三基の渡御。
本社神輿各町渡御
宮入り
本社神輿神霊返しの儀
現地はすでに盛り上がってるようですが、私は明日の高速バス始発で行きます。
各町会連合渡御から参加します。
西浅三北町会で出ます。
明日の夕方からバスで行きます!
日曜日の宮出しで神輿触れるかな?
ケガしないように頑張ってきます!!!手(グー)
高速バスの20%オフチケットが見つからないバッド(下向き矢印)
浅草寺のエピソードは、浅草寺に御参りに行く参道に書いてありますよね。もうすでに人でごったがえしてるだろうなぁ。
お祭の雰囲気が目に浮かびます。
みんな楽しんできて〜。
一日目終了
町会出し〜宮入〜町会戻り、町会渡御とガッツリ担いじゃいました。
浅草の街は人でいっぱいで疲れる・・・
明日は4時起きで宮出しの見学。今年は警備が厳しいらしいから境内入れるかなぁ。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

NO 神輿 NO Life! 更新情報

NO 神輿 NO Life!のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング