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三浦哲郎−笹舟日記−コミュの寄稿 『三浦哲郎文学を読む会 』会報

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三浦哲郎氏のゆかりの地、
作品にもよく出てくる岩手県〜青森県の地元で活動する会があります。

http://blogs.yahoo.co.jp/onikosato


私はこの地方出身で、縁あって哲郎先生の実姉でいらっしゃる三浦貴実恵先生に、
幼少より琴を習いました。
現在手芸作家として東京都下にて活動していますが、
大学の卒業論文では哲郎先生の『白夜を旅する人々』を中心として取り上げたこともあり、
このたびこちらの会より依頼を頂き、寄稿させていただきました。
会報紙上では2回に分けての掲載ですが、管理人さまの承認をいただき、
こちらで全文掲載をさせていただきます。

長文ですが、よろしければお付き合いください。

***********************************************************



東京の女子大で、卒業論文に作家・三浦哲郎の自伝的小説群を取り上げてから、
もう何年になるだろう。
岩手の県北に生まれ育ち、気づいたら琴(筝・十三絃)を習っていた。
その師匠が三浦先生、つまり哲郎先生の実姉の貴実恵先生だった。
私の子供時代には、いつも「お琴の先生」の姿がある。
振り返ると私は、三浦哲郎文学そのものの研究というより、
大好きだった琴の師匠の世界に触れていたかったのかも知れない。
哲郎先生の目を通した貴実恵先生、自分の中の貴実恵先生、その接点。

哲郎先生の作品に出てくる「たった一人残った姉」の、アナザーストーリー。

目が弱く、抜けるように色白なのはそのままだが、
あれだけの曲をすべて口伝で教える堂々たる姿は、
普段のはかなげな様子とは無縁のものだった。
いまどきの、楽譜を渡して独習させ、ほんの少しの時間だけ面と向かい、
褒めておだてるような指導法では決してなかった。
全曲を通して少しずつ弾いてみせては手を移し、
淡々とときには少しシニカルに、個性的な弟子たちに稽古をつけていた。
その緊張感が、子供心にも心地よかった。
高校を卒業して岩手を去るときまで、休まずに稽古を続けた。

少しだけ、気難しい先生。馴れ合って打ち解ける様子はない雰囲気。
けれどその先生が、私が稽古場に行くときはおそらく、楽しんでくださっていたように思う。
頭の柔らかい子供時代、曲の覚えも早く、少しは稽古の付け応えがあったのかもしれない。
プロからするとまだまだのところまでしかいけなかったけれど、
高校時代はいわゆる「隣町の稽古場」と、ご自宅の稽古場にそれぞれ通い、時を過ごした。

先生の瞳の薄い灰色。
すっと結んだ貝の口の帯。
琴の油単の紐を縛るときにきゅきゅっという衣擦れの音。
カラカラ鳴る格子の木戸。
夏の団扇。
炬燵にあたりながら雪見障子から眺めた、庭の雪景色。
濃い上等の玉露。
そして、
哲郎先生の本の並んだ、小さな書棚……。




私が三浦哲郎文学に出会ったのは、中学校の国語の教科書の中に、
『おふくろの筆法』という随筆が載っていたのが初めてだった。
弟さんが作家であることは知っていたけれど、まさに「出会った」のはその時だ。
五歳から習っていたお琴の先生と教科書の中のそれが関係あるということに、
慌てるような気持ちでドキドキしながら読み進めた。
もともと文章が好きで、そしてお琴の先生が大好きだった私は、
そこから慕わしい気持ちで哲郎先生の作品を読むようになった。
長編、短編、随筆、童話……。
お母上が亡くなられたとき私は中学生だったが、
我が家の両親は、葬儀に学校を早退させて連れて行ってくれた。

数年後私は高校生になり、ちょうど、三浦哲郎自薦全集が順に刊行されていた頃。
私が哲郎先生の本を読んでいると知ると、他に弟子の来ない時間を見計らって、
「ちょっとこれ、読んでくれない?」と音読を頼まれるようになった。

私は勇んでその役を引き受けた。
柱時計の音以外ほとんど音のない空間で、大げさにならぬよう、
けれど文章の美しさを損なわないよう、自分なりに入り込んで読んだ。
喉の渇きにも気づかず読んで一区切りすると「ありがと、おつかれさん」と、
お茶と「東京から届いたお菓子」を振舞ってくれた。
やがて、休日にもときどき、よかったら来てくれないかと請われ、
たまに伺うようになった。


家族のことが出てくる箇所では、心して読んだ。
意識して低く、安定する声を出すようにした。
先生はため息など漏らすまいというふうに口をきゅっと結んで、
かすかに顎を揺らしながら聞いていた。
終わるとしおりを挟み、いつものようなお茶の時間に入るのだ。
きっと心の中では、頷いたりちょっとした反論もあったりしたかもしれない。
けれどそれをこぼすことなく、ふっと力を抜いてお茶の用意をなさる。

二人で話す、他愛もない話。
自薦全集に載っていた哲郎先生の若い頃の写真が、それはもうとてもハンサムで、
私が「カッコいい!」というたび、くっくと声を立てて、面白そうに笑う。
哲郎先生はとても達筆で、原稿の美しさはよく知られているところだが、
三浦社中の弾き初めの題字を書かれたりもされていた。
そういうときは、「弟が書いてくれてね……、」と、少し誇らしげだった。
バスケットボールをしている写真について訊くと、
運動もそれなりにできてねえ、と目を細めながら、
決まって最後には「もうおじさんよ」と言うのだった。
そこにはきっとどこか惚気に近い、兄弟への思いがあったのだと思う。
まるで好きな人が同じ思春期の女の子同士のように、おしゃべりは続いた。

先生はもっぱら聞き役でぺらぺら話すことはなかったけれど、
私の話すことに思わず声を上げて笑っては、
明らかに「しまった」というように口を閉じるのだった。
それがとても嬉しくて、先生をもっと笑わせたくて、
学校でのちょっとした話などを次々と面白おかしく話した。

それが、学校ではあまり、はしゃいで話すタイプではなかった私が、
意識して人を笑わせたいと思った始まりだった。
ひとしきり笑うと先生は、身体が暖まる、内緒だといいながら、
ブランデーを数滴垂らした甘いミルクティーを淹れてくれた。
そんなときの先生は、いたずらっ子のようだった。



いよいよ故郷を出る数日前。
私は客人として改まって先生のお宅に招かれた。

まだ寒い北国の春先のこと、
哲郎先生の本で知った貴美恵先生の好きな花、水仙を花束にして伺った。
いつもなら客間には稽古用の琴が並び、お茶をするときは茶の間だったのだが、
その日は琴のない広い客間に通された。

やがてお鮨が届き、いそいそと玄関に向かわれる先生。
鮨屋は元気に「お待たせいたしやんした、○○円になりゃんす!」
慌ててそんなおっきな声で!と先生が嗜める。
それは、とても上等なお鮨だった。
先生の故郷の八戸名物「いちご煮」のお吸い物を添えて、ご馳走になった。
それから、私が別の土地で琴を続けるために、
自分がどういう流派の流れを汲み、芸歴をどう説明すればよいか、
大相撲のような、往年の演奏家の番付表を見せながら話してくれた。
旅立つ弟子への、師匠の温かい心遣いだった。
そして私は文学部国文学科に進み、三浦文学を掘り下げることになる……。



あの卒論からやがて社会へ出て。
東京で結婚をして子供を産んだ。
そして今自分の道を見つけて、子育てをしながら手探りで歩いている。
仕事柄、たくさんの人を相手に説明したり指導したりすることが多いが、
あの頃、貴実恵先生を笑わせたかったように、
今も生徒の皆さんが思わず笑ってしまうようだと、嬉しいと思う。
どんな話題に相手が喜ぶかを考え、
口を結んだ後も、微笑みの余韻が頬に残るようだと嬉しい。
そんな役目を果たせる自分でありたい。


生まれながらに背負うしかなかった影、濃い血の哀しい宿命。
散っていったきょうだいそれぞれに思いを馳せて文章に乗せていった哲郎先生と、
ひっそりとけれどたくましく、美しい爪音を武器に自立して生き、
ときにはお腹を抱えて笑っていた貴実恵先生。

私は、お二人に影響を受けて育ったのだと思う。
文章を書くときは哲郎先生の『一尾の鮎』のように、
無駄のなくすっきりとした、それでいて気高い文章が書けたらと願う。
生きる上で遣り様のないつらいことにであったときには、
騒ぐでもなく、できることをきちんと果たし、
しなるけれど折れない柳のようでありたいと願う。


人は順番に老い、先生方も先を歩んでいる、
それがときにとても切なくなるけれど。
私は私で自分の役目を果たすように、その背中を遠目に見つめながら、
続いて歩いていけばいい。

夢中で大曲を弾ききった後で先生が、
悪くないじゃない?というふうに満足げに、にやっと笑ってくれた瞬間を、
いつまでも覚えていよう。
そして自分もどこかで次に続いてくる人たちに、
遠く目指す背中を見せられるようになれたらいいな、と、願う。






☆福田りお プロフィール
ニードルフェルト作家 岩手県二戸市出身
2003年羊毛フェルトと出逢い独学で手法を確立し、主にスイーツをモチーフとした立体作品を発表している。著書「羊毛フェルトのスイーツ」「福田りおの羊毛フェルトのスイーツレシピ」(ともに日本ヴォーグ社)後進の指導にもあたり、全国各地で講習をしている。
NHK教育TV「おしゃれ工房」2008年10月講師。
雑誌別冊PHP連載、せんねん灸広告他。 


☆画像は、岩手県二戸市在住の私の父、菅原孝平の水彩画です。
http://www.noii.jp/com/suisaiga/index.html

コメント(3)

夢のようで羨ましい限りです。全集は私の宝物です。

高校生のときに三浦哲郎文学に出会い、今卒業論文を三浦哲郎氏で書かせていただいています。
本当に三浦文学が大好きで、このお話も微笑ましく読ませていただきました。
貴実恵先生の訃報が届きました。

寂しいです。

ほんとうに寂しいです。


21日にはお元気だったそうなのですが...

寂しいです。


週末にはお別れに行ってこようと思っています。

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