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ダンテス・ダイジコミュのラヒリ・マハサヤの系統のクリヤ・ヨガ

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マハー・アヴァター・ババジに出逢ったシュリー・エムというかたの自叙伝の翻訳が出ていることに気がつきました。『ヒマラヤの師と共に』青木光太郎訳です。ざっと目を通してみました。翻訳で気になる所をKindleの原著・英語版に照らし合わせてみると若干の誤訳もあるようですが、良い翻訳であるように思います。
気になったことの一つにターラーバーヤ・クリヤという言葉があって、これはタラビヤ・クリヤの間違いではと思い、原著に当たってみるとtaalabya kriyaとありました。
ラヒリ・マハサヤの系統のクリヤ・ヨガについてはEnnio Nimisが調査結果を報告しているので、技法自体は誰でも知ることができます。
クリヤ・ヨガの教師によっては失われた高度のクリヤ技法があることに気づいて、それを探求していくうちに、教師によって誤った教え・技法を学んだ生徒が被る被害を考えて公開するほうがしないよりもマシであると考えて公にされたものです。
その後、彼の二番煎じでクリヤ・ヨガの技法公開する書籍が沢山出たました。
そのうちの一人の方がtalabya kriyaをYouTubeで公開しているのを見まして、ここまで来たらこちらで技法について議論してもいいかと思い、トピックを立てました。

Ennio NimisのPDFダウンロードのURL
http://www.kriyayogainfo.net/Eng_Downloads1.html

こちらは今見たばかりですが参考になりそうなホームページ(まだ内容を検証していません)
http://oaks.nvg.org/kriya-guy.html

コメント(13)

シュリー・エム『ヒマラヤの師と共に』の私的インデックス
p. 15 「羊飼いたちが描いたキリスト」誤訳、原文 Jesus Christ as the shepherd depicted in pictures 「羊飼いとして描かれたキリスト」
p. 23 「私の優れた弟子であるカビール」、最後のクリヤ ケーチャリー・ムドラー
p. 167 ガウダパーダ(アディ・シャンカラの師[ゴーヴィンダ]の師)は仏教徒
p. 169 バーラクナート(シュリー・グル・ババジの別名)
p. 170 クリヤー・プラーナーヤーマ
p. 174 ナービー・クリヤ
p. 184 シュリー・グル・ババジの絵
p. 189 マヘーシュワルナート「かの偉大なヨーギー、シャーマ・チャラン・ラヒリ(ラヒリ・マハサヤ)がシュリー・グル・ババジに会ったとき、彼を洞窟の師匠の座っている席へと案内したのは私なのだよ」
p. 193 ティル・マンティラム、タミル・シッダ、ナータ派、カシミール・シャイヴィスムとシュリー・グル・ババジとの関係
p. 194 シュリー・グル・ババジの別名のマハー・アヴァタール・ババジは、彼の直接の弟子ではない作家が提唱した名前 cf. 319
マントラ シュリー・グルビョー・ナマハ
p. 197 トカール・クリヤ
p. 201 ブラフマン・スートラ(原文Brahmasutras ブラフマ・スートラの間違い)、ピスティス・ソフィアPistis Sophia
29章 サルパ・ローカの代表
p. 224シュリー・グル・ババジとの出会い
p. 236 マヘーシュワルナート・ババジの絵
p. 242 シュリー・ヴィッデャー
p. 253 ターラーバーヤ・クリヤ (原文taalabya kriya ターラビヤ・クリヤの間違い、サンスクリットでtālu 口蓋、tālavya 口蓋の、ベンガル語でtālabya)
p. 257 シヴァ・ラージャ・ヨーガ、ティルムーラルのヨーガ
p. 274 スワミ・トライランガ
p. 279 シュリー・デーヴィー
p. 280 妹(シュリー・デーヴィー)
p. 286 ニーム・カローリ・ババ LSDの逸話
p. 301 シルディ・サイババ
p. 319 マハー・アヴァタール・ババジは『あるヨギの自叙伝』の著者であるヨガナンダ・パラマハンサが広めた敬称。cf. p. 194
p. 330 シュリー・ラクシュマン・ジュー、マヘーシュワルナート・ババジから20歳のときに与えられた大粒のルドラクシャ
p. 340 クリシュナムルティ グルの必要性に懐疑的
p. 341 クリシュナムルティの問い 「ババジは神智学協会の師と言われる存在について何か言っていましたか?あなたもご存知でしょう。ヒマラヤに住むとされる、例の謎の人々です」
p. 350 最後のクリヤ cf p.23, 353
p. 352 シュリー・グル
p. 384 シュリー・グル・ババジに教えを受けた人々 エーサ(イエス)、ゴーラクナート、ナーナク、パドマサンバヴァ(グル・リンポーチェ)
Ennio Minis を知るに至った経緯ですが、私はマーシャル・ゴヴィンダン師のクリヤ・ヨガの伝授を中級まで受けました。
ある日インドの直系のグル・Swami Styeswarananda Giri がヨガナンダの伝えたクリヤ・ヨガがオリジナルと違う、ケーチャリ・ムドラを実現するための行法タラビヤ・クリヤをヨガナンダが受けていないと非難しているのを知りました。
また集団で受けるイニシエーションは無効であると主張されていたので非常に悩みました。
それでオリジナルのクリヤ・ヨガについて調べていくうちに Ennio Minis に行き着いたわけです。

以前書いたブログです。
http://bkshanti.blogspot.com/2010/10/talabya-kriya.html
ケーチャリ・ムドラを実現するために舌の裏側の小舌帯をカミソリで徐々に切っていく行者がいますが、ラヒリ・マハサヤはもっと安全な技法を伝えていたのです。

私はといえばタラビヤ・クリヤを試しているうちに顎が外れそうになって中止しました。
無理しすぎたのかもしれません。

こちらはEnnio Minisの後に書籍でクリヤの技法を公開された方のYouTubeです。
https://www.youtube.com/watch?v=-14GH7NxNYg

Talabya Kriya しか見ていませんが、ひょっとして全部YouTubeで公開しているのでしょうか?
驚きました。

taalabya がサンスクリットかと思い調べてみましたが、サンスクリットの語形ではありませんでした。tāluが「口蓋」で形容詞化するとtālavya「口蓋の」になるのでこれがもとの形でしょう。ベンガル語ではtālabyaでvがbに変化するので、途中でベンガル語を使う伝承者がいたのかなと想像しています。
『あるヨギの自叙伝』にラヒリ・マハサヤのベンガル語の手記があったのでtālabyaはラヒリ・マハサヤの言葉そのままですね。
ぶんぶんさん、

ババジ、クリヤ・ヨガということで、ダイジと全く無関係ではないので今回は良いですが、微妙なところです。出来れば、ご自分のお部屋か「精神世界のトピック」あたりに書いていただいた方が良かったです。

議論が深まって行くことを予見してのトピ立てだと思われるので、今回は承認します♪
>>[4]
了解しました。
承認いただき、ありがとうございます。
>>[5]

はい、何故あまり良くなかったかと言うと、マハサヤのトピがOKなら、ババジのトピ、ヨガナンダのトピ、マハリシのトピ、ラーマクリシュナのトピ、クリシュナムルティのトピ、和尚のトピ、EOのトピ、ヨグマタのトピ…etcと、精神世界関係なら何でもOKになってしまうので、まあ、そんなにどれも出るとは思いませんが、もしそういうのが出たときに、「以前、マハサヤが承認されましたよね?でもこれはだめなんですか?」と言われてしまうと、認めざるを得なくなるのです。そうなると困るので、管理人としてはトピ立てには慎重にならざるを得ないのです。
ヨガナンダは『あるヨギの自叙伝』の第二十六章でクリヤ・ヨガについて詳説しています。

そこで kriyā が「行う・作用する・反応する」等の意味の動詞語根 √kṛ から派生する言葉で、karma もこれから派生すると言い、kriyā yoga を「特定の行法[クリヤ]による神との合一[ヨガ]」と定義しています。
原文も挙げておきましょう。
Kriya Yoga is thus "union (yoga) with the Infinite through a certain action or rite".

ババジがラヒリ・マハサヤにこう言ったそうです。
「この十九世紀の世に、私がお前を通じて世界の人々に贈ろうとしているこのクリヤ・ヨガは、何千年も昔、クリシュナがアルジュナに授け、後に、パタンジャリ、キリスト、ヨハネ、パウロ、およびそのほかの弟子たちにも知られるようになったものと同一の科学である」

ヨガナンダはバガヴァッド・ギーターでクリシュナがクリヤ・ヨガに言及している箇所として4章29節、5章27〜28節を挙げています。翻訳を引用します。

4章29節
「吸う息を吐く息に提供し、吐く息を吸う息に提供することによって、ヨギはこれら二者を中和する。こうして彼は、心臓からプラーナを解放し、生命力を自己の支配下に置く」

5章27〜28節
「至高の目標を求めつつ、視線を内なる眉間の一点に固定し、鼻孔と肺の内を流れるプラーナとアパーナの均衡した交互の流れを制止することによって外界の刺激を断ち、感覚と理知の働きを制し、我欲と恐怖と怒りを追放せる瞑想の熟達者(ムニ)は、永遠の解脱を得るに至る」

またパタンジャリのヨーガ・スートラ2章1節がクリヤ・ヨガに言及している箇所として挙げられています。『あるヨギの自叙伝』の翻訳を引用してみます。

「クリヤ・ヨガは、肉体の訓練と、精神の統御と、オームに対する瞑想よりなる」

原文(ヨガナンダによるヨーガ・スートラの英訳)
Kriya Yoga consists of body discipline, mental control, and meditating on Aum.

「肉体の訓練」はサンスクリットのtapas 、原義は「熱」で宗教的「禁欲・苦行」の意味が派生します。

「精神の統御」はsvādhyāyaで分解するとsva(自己の)・adhyāya(読誦・学び)で「聖典の読誦」、「自己学習」などと訳されます。これを「自己の探究」と訳しているものもありますが、Monier-Williamsを見るとこうあります。

svādhyāya
m. reciting or repeating or rehearsing to one's self , repetition or recitation of the veda in a low voice to one's self

自分自身に対してヴェーダやマントラを低声で読み上げることですね。

adhyāyaにstudyの意があるので自己の[自己を目的の対象とする]探究と読めなくもなく、そういう定義を挙げている辞書もありますが、ヨーガ・スートラの古い註釈書がそのように説かないので、原義から離れているのでしょうが、ヨガナンダは mental control としているので自己探究の意で受け止めています。

オームに対する瞑想は īśvara praṇidhāna 、「自在神への瞑想」ですが、オームは神の御名・神そのものとも言えるのでこう訳されています。

kriyā yoga という言葉の初出はヨーガ・スートラのこの箇所です。

ヨガナンダは彼の伝えるクリヤ・ヨガはヨーガ・スートラのそれと同一であると主張しますが、違うという意見もあり(Swami Satchidananda)、そこからまたkriyā の原義はなんなのだろうかとずっと疑問に思っていました。
クリヤー・ヨーガの語義についての問題意識を持ち始めた頃、参照することができた図書としては佐保田鶴二の『ヨーガ根本経典』、『解説ヨーガ・スートラ』とスワミ・サッチダーナンダの『インテグラル・ヨーガ』(題名からは分かりにくいですがヨーガ・スートラの註解書)くらいでした。

ヨーガ・スートラ第二章にあるクリヤ・ヨガを佐保田鶴二は「行事ヨガ」、スワミ・サッチダーナンダの翻訳は「実行のヨーガ」と訳していましたが意味が分かりませんでした。

中村元の kriyā の訳語を列挙すると「実践」、「行作」、「行為」、「行動的」。
彼は「行為」を karma yoga の karma の訳語にも使っていますし、辻直四郎も「行作」をバガヴァッド・ギーターの karma yoga の訳語に用いていて、結局、原義が分からないと、こんがらがるばかりですが、最近、ここの kriyā は ヨーガ・スートラの サマディー章1-12 にあるヨーガの定義、「ヨーガとは、心のはたらきの止滅(citta-vṛtti-nirodha)である」に対応しているのに気付きました。

vṛtti が「はたらき」ですが、「行動」、「活動」、「機能」などを意味します。
本来のヨーガはこの動き、活動の滅したサマディーの状態を意味するのですが、そのような境地に至らない修行者に説かれたのが、ヨーガ・スートラの第二章です。
こころの動き・はたらき・活動を滅したヨーガの状態に至るために「おこなう」活動・実践が、 kriyā で、kriyā yoga とは矛盾を孕んだ表現と言えます。
したがって1-2の定義を本来のヨーガとすると、kriyā yoga のヨーガは本来のヨーガではありませんが、そこに至るための手段・修練、「外面的な補助手段」(中村元)としてもヨーガと呼ばれうると解釈されるでしょう。
そしてそれは本来のヨーガとは違い、活動、はたらき、実践的なので、「おこなう」を意味する動詞語根 √kṛ に由来する kriyā で形容されるのだろうと思います。
以下参照した文献の抜書です。

『解説ヨーガ・スートラ』佐保田鶴治
行事ヨーガ 日常の行事として行うヨーガのこと。
「行事ヨーガは本命のヨーガではない。ヨーガ・スートラの立場すなわちラージャ・ヨーガからいえば、ヨーガの本命は、第一章で説いたように、心の働きの止滅という心理的な修練にある。行事ヨーガは、その心理的修練にたえられる心理的条件を作り出すためのもので、ヨーガの予備的段階に属している。」

『インテグラル・ヨーガ』スワミ・サッチダーナンダ
実行のヨーガ

『インドの哲学体系II』中村元訳 マーダヴァ『全哲学綱要』訳注II
実践ヨーガ P.161
実践(kriyā 行作ぎょうさ)p.166
「そうしてその苦行と学習と主宰神を念ずることよりなる実践(kriyā)は、ヨーガを完成するための手段であるがゆえに、ヨーガであると、純粋の付託である間接的表示によって説明される。」p.167

『ヨーガとサーンキヤの思想』中村元著 p.8~
「ヨーガと呼ばれるものには、古来いくつかの種類がある。
主要なヨーガの種類については一般には次のように説明されている。
心的な統一を〈王ヨーガ〉(Rāja-yoga ‘Chief Yoga’ 王のヨーガ)といい、外的な手段方法を〈行為のヨーガ〉(kriyā-yoga ‘Practical Yoga’ 行動的ヨーガ)といい、後者のうちで強烈なかたちを伴うものをハタ・ヨーガ(haṭha-yoga ‘Forcible Yoga’)と呼ぶ。
あるいは、次のようにも説明されている。
思考器官である心の統一を内面的に実修することが〈王ヨーガ〉(rāja-yoga)と呼ばれ、外面的な補助手段が〈行為のヨーガ〉(kriyā-yoga)と呼ばれる。
〈行為のヨーガ〉とは、禁欲的苦行(tapas)と聖句の暗唱学習(svādhyāya)と神への専念(praṇidhāna)とを主とするものである。(cf. YS., II, 1)。
………
(3) 行為のヨーガ(karma-yoga)これは行為によって実現されるヨーガである。この語はウパニシャッドのうちには出てこないで、『バガヴァッド・ギーター』において強調されたのが最初であるが…
………
「達成の手段」(sādhana)を論題とする『ヨーガ・スートラ』第二章では、まず行為のヨーガ(行動的ヨーガ kriyāyoga)により煩悩が除去されれば解脱に達するという、大まかな道筋が示された後、ヨーガの実践修行の階梯すなわちヨーガの八部門(aṣṭāṅga)が説き始められる。p.182

『現代人のためのヨーガ・スートラ』グレゴール・メーレ著 伊藤雅之監訳
行為のヨーガ
2.1 行為のヨーガは、苦行、自己の探究、至高の存在への祈念からなる。
『ヨーガ・スートラ』の第1章を、心を集中することができるかなりの上級者に向けて書いた後、パタンジャリは第2章を散漫な心を持つ初心者に向けて書き、行為のヨーガ(クリヤー・ヨーガ)を提案している。高度なヨーガは、ほとんど瞑想から成るため外面的には活動的でなく見えるのに対し、2章で扱う行為のヨーガは「活動的」と称されるものである。
 ハタ・ヨーガでは、「クリヤー」という言葉は違う意味合いを持つ。すなわち、体を浄化するための実習であるシャットカルマ(6つの行為)を言及するのである。タントラ・ヨーガでは、クリヤーは微細な肉体のための浄化実習を指し、視覚化、マントラ、呼吸を合わせたものを意味する。

Hariharananda Aranya
Kriya-Yoga (Yoga In The Form Of Action).

Swami Veda Bharati
yoga of practices
訂正
ヨーガ・スートラの サマディー章1-12 にあるヨーガの定義
ヨーガ・スートラの サマディー章1-2 にあるヨーガの定義
Swami Vivekananda の Raja Yoga にヨーガ・スートラの翻訳と註解がありました。

II 1 の註解 The first step, the preliminary step, is called Kriya-yoga. Literally this means work, working towards Yoga.
第一歩、準備の段階はクリヤー・ヨーガと呼ばれる。このことばの意味ははたらき、ヨーガに向かってはたらく、という意味である。(『ラージャ・ヨーガ』日本ヴェーダーンタ協会訳1997年版149頁)

真下尊吉『サーンキヤとヨーガ』にヨーガ・スートラ用語一覧があり、クリヤーを参照すると、II 18 にも用いられているのが分かりました。サットヴァ・ラジャス・タマスの3グナのラジャスを意味する言葉として用いられていました。Swami Vivekananda の英訳と日本ヴェーダーンタ協会訳を引用しておきます。kriyā は action、活動と訳されています。

II 18, he experienced is composed of elements and organs, is of the nature of illumination, action, and inertia, and is for the purpose of experience and release (of the experiencer).
経験されるものは、要素と器官とからなりたち、明知、活動、および惰性という性質を持ち、そして経験と、(経験者からの)解放という目的を持つ。(上掲書166頁)
4/12にインドのニューデリーの本屋に注文したSwami Veda Bharati のYoga Sūtras of Patañjali, Volume II SĀDHANA-PĀDA が届きました。
注文した後でインドはロックダウン中であったのに気がついて、どうなることかと思っていました。
届いてみると本の厚さが想像の3倍くらい。
もちろん読み通すことは出来ないので、気になることがあったら、リファレンスとしてあたってみるくらいの予定です。
Volume I (こちらはサマディー章のみの註解)も別のニューデリーの古書店に注文していますがこちらはもう少しかかる予定です。
今調べてみようと思っているのはヨーガ・スートラのクリヤ・ヨガとヨガナンダのクリヤ・ヨガが同質のものか否かという問題です。
一応の見通しは、タパス・スワーディヤーヤ・イシュワラ・プラニダーナがそれぞれ身体の訓練(プラナヤマを含む)・Omなどのマントラジャパ・主宰神の念想に対応するとすれば、三つを同時に行うとヨガナンダのクリヤヨガに似たものになり同質性が認められるのではないかという感じです。
「密閉」「密集」「密接」の流行りの3密でなくて、身口意の三密ですね。
本の裏に著者の略歴があって、1933にサンスクリットを話す家系に生まれて、9歳で1942年からパタンジャリのヨーガスートラを教え始めたとあり、読み間違えかと思い見直してみましたが、やはり9歳、1942から1933を引き算しても9歳でした。

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