シュリー・エム『ヒマラヤの師と共に』の私的インデックス
p. 15 「羊飼いたちが描いたキリスト」誤訳、原文 Jesus Christ as the shepherd depicted in pictures 「羊飼いとして描かれたキリスト」
p. 23 「私の優れた弟子であるカビール」、最後のクリヤ ケーチャリー・ムドラー
p. 167 ガウダパーダ(アディ・シャンカラの師[ゴーヴィンダ]の師)は仏教徒
p. 169 バーラクナート(シュリー・グル・ババジの別名)
p. 170 クリヤー・プラーナーヤーマ
p. 174 ナービー・クリヤ
p. 184 シュリー・グル・ババジの絵
p. 189 マヘーシュワルナート「かの偉大なヨーギー、シャーマ・チャラン・ラヒリ(ラヒリ・マハサヤ)がシュリー・グル・ババジに会ったとき、彼を洞窟の師匠の座っている席へと案内したのは私なのだよ」
p. 193 ティル・マンティラム、タミル・シッダ、ナータ派、カシミール・シャイヴィスムとシュリー・グル・ババジとの関係
p. 194 シュリー・グル・ババジの別名のマハー・アヴァタール・ババジは、彼の直接の弟子ではない作家が提唱した名前 cf. 319
マントラ シュリー・グルビョー・ナマハ
p. 197 トカール・クリヤ
p. 201 ブラフマン・スートラ(原文Brahmasutras ブラフマ・スートラの間違い)、ピスティス・ソフィアPistis Sophia
29章 サルパ・ローカの代表
p. 224シュリー・グル・ババジとの出会い
p. 236 マヘーシュワルナート・ババジの絵
p. 242 シュリー・ヴィッデャー
p. 253 ターラーバーヤ・クリヤ (原文taalabya kriya ターラビヤ・クリヤの間違い、サンスクリットでtālu 口蓋、tālavya 口蓋の、ベンガル語でtālabya)
p. 257 シヴァ・ラージャ・ヨーガ、ティルムーラルのヨーガ
p. 274 スワミ・トライランガ
p. 279 シュリー・デーヴィー
p. 280 妹(シュリー・デーヴィー)
p. 286 ニーム・カローリ・ババ LSDの逸話
p. 301 シルディ・サイババ
p. 319 マハー・アヴァタール・ババジは『あるヨギの自叙伝』の著者であるヨガナンダ・パラマハンサが広めた敬称。cf. p. 194
p. 330 シュリー・ラクシュマン・ジュー、マヘーシュワルナート・ババジから20歳のときに与えられた大粒のルドラクシャ
p. 340 クリシュナムルティ グルの必要性に懐疑的
p. 341 クリシュナムルティの問い 「ババジは神智学協会の師と言われる存在について何か言っていましたか?あなたもご存知でしょう。ヒマラヤに住むとされる、例の謎の人々です」
p. 350 最後のクリヤ cf p.23, 353
p. 352 シュリー・グル
p. 384 シュリー・グル・ババジに教えを受けた人々 エーサ(イエス)、ゴーラクナート、ナーナク、パドマサンバヴァ(グル・リンポーチェ)
そこで kriyā が「行う・作用する・反応する」等の意味の動詞語根 √kṛ から派生する言葉で、karma もこれから派生すると言い、kriyā yoga を「特定の行法[クリヤ]による神との合一[ヨガ]」と定義しています。 原文も挙げておきましょう。 Kriya Yoga is thus "union (yoga) with the Infinite through a certain action or rite".
svādhyāya m. reciting or repeating or rehearsing to one's self , repetition or recitation of the veda in a low voice to one's self
自分自身に対してヴェーダやマントラを低声で読み上げることですね。
adhyāyaにstudyの意があるので自己の[自己を目的の対象とする]探究と読めなくもなく、そういう定義を挙げている辞書もありますが、ヨーガ・スートラの古い註釈書がそのように説かないので、原義から離れているのでしょうが、ヨガナンダは mental control としているので自己探究の意で受け止めています。
Swami Vivekananda の Raja Yoga にヨーガ・スートラの翻訳と註解がありました。
II 1 の註解 The first step, the preliminary step, is called Kriya-yoga. Literally this means work, working towards Yoga.
第一歩、準備の段階はクリヤー・ヨーガと呼ばれる。このことばの意味ははたらき、ヨーガに向かってはたらく、という意味である。(『ラージャ・ヨーガ』日本ヴェーダーンタ協会訳1997年版149頁)
II 18, he experienced is composed of elements and organs, is of the nature of illumination, action, and inertia, and is for the purpose of experience and release (of the experiencer).
経験されるものは、要素と器官とからなりたち、明知、活動、および惰性という性質を持ち、そして経験と、(経験者からの)解放という目的を持つ。(上掲書166頁)