以下 抜粋
ここにも砂時計が見られ、生が終わり死の到来を暗示しているが、この部屋の前の廊下には、指の骨を利用した「永遠」を示す「時計」がみられ、死を迎えても人生は続くということを表現している。 ↓左上の円形が、「永遠の時計」 そして、この最後の部屋には、こんなフレーズが、5ヶ国語で書かれている。 「What you are now we used to be: what we are now you will be_」「私達はかつて今のあなたのようだった:あなたもいずれ今の私達のようになるでしょう」
その数4000体。はじめは、現在の骨アートのみられる部屋に並べられていたようだが、法王の許可も取り付けて、19世紀までに、徐々に現在みられる形にされていった。 それにしても、こういう場所を訪れると、キリスト教の死に対する考え方の違いに驚かされる。日本では、神道の影響で「死・死体」は「忌むべきもの」とされることが多いし、仏教にしても、「輪廻の思想」から、魂の抜けた遺体は火葬にされて重要度が低いけれど、キリスト教においては、死人は「復活」するものであり、敬虔なキリスト教徒の遺体は聖なるものである
スエズ運河建設を指揮したのは、フェルディナン・ド・レセップス(Ferdinand Marie Vicomte de Lesseps)というフランス人技師だったので、当初運河の管理は、フランスとエジプトが共同でやっていた。ところが、その建設費がエジプトの財政に重くのしかかった。そこでエジプト政府は、管理会社の株をフランスに売ろうとしたのだが、どういうわけかフランスは、その株をすぐには買おうとしなかった。
時のイギリス首相ベンジャミン・ディスレーリ(Benjamin Disraeli)は、この報を聞くや直ぐさまユダヤ系財閥ロスチャイルドと連絡を取り、2000万ポンドを借りて株を買収。スエズ運河の支配権を得ることに成功した。
このときディスレーリが担保にしたのが、イギリス政府。