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プロレス大百科コミュのアラビアの怪人 ザ・シーク

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ヨルダン・アンマン出身のプロレスラー。
本名は、エドワード・ジョージ・ファーハット(Edward George Farhat)。
身長183cm、体重110kg

1947年プロレスデビュー。当初は普通のファイトスタイルでテキサス等を転戦し、ドリー・ファンク・シニアとも戦った。その後「蛇」・「女性マネージャー」・「火炎攻撃」を使い「狂人キャラ」を確立していった。1962年、NWA認定USヘビー級王座を獲得。1964年にデトロイト地区のプロレス興行権を買い取り、プロモーターとしても有名な存在となる。

1972年9月に末期の日本プロレスのリングに上がるため初来日。この時は坂口征二とUNヘビー級2連戦を行い、初戦で王座を奪取している(第2戦で奪回される)。1973年全日本プロレスに初参戦。ジャイアント馬場のPWF世界ヘビー級王座初防衛戦の相手を務めている。1974年には新日本プロレスのリングにも上がっている、しかしシリーズ中に放棄し帰国してしまったために、以降新日本プロレスから出入り禁止となり、1シリーズしか参戦していない(デトロイトで他の勢力が興行を行い、地元を留守にするにはいかなくなったため帰国したというのが真相)。1977年、全日本の「世界オープンタッグ選手権」にアブドーラ・ザ・ブッチャーと「地上最凶悪コンビ」を組んで参加。「ザ・ファンクス」と凶器攻撃で大流血戦を繰り広げ、日本のプロレスファンの度肝を抜いた。1979年の「世界最強タッグ決定リーグ戦」では、ブッチャーと仲間割れして火炎攻撃を見舞わせた。翌1980年の世界最強タッグでは「シークのコピー」といわれたグレート・メフィストを連れて参戦、ブッチャー組との最終戦で両者リングアウトに持ち込んでブッチャー組の優勝を阻止している。

シークは小さい頃見て ブッチャー、シンと共にマジ恐怖したレスラーだった。
なにせ、アラビア風の衣装から覗かすギラギラした目、青色で先がとがった凶器シューズ、手に持っている白い凶器。レスリングなんか関係なしに凶器を持って暴れ、血の出ない試合がないほどだった。

昔のプロレスに関する本などでは 彼の得意技は「口から吹く、火炎攻撃」と書かれており、まさにアラビアの怪人だった。

彼のパンツにラクダの模様が描かれているのもアラビアの怪人にとっては重要なアイコンだった。

必殺技キャメル・クラッチ(写真)は後にラーメン・マンに引き継がれる。

最近になってプロレスのアーカイヴ的なものを読んでいくうちに彼はプロレス界では有数の超大物という事がわかってきた。

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