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プロレス大百科コミュの荒馬 テリー・ファンク

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アメリカテキサス州アマリロ出身のプロレスラー。本名:テレンス・ファンク(Terrence Funk)。身長188cm、体重110kg。「テキサスブロンコ」・「テキサスの荒馬」の異名を持つ。実兄であるドリー・ファンク・ジュニアとタッグチーム「ザ・ファンクス」を組み、日本でも大活躍した。

プロレスラーのドリー・ファンク・シニアの次男として生まれ、兄のドリーと共にレスリングの英才教育を受けながら育つ。

1965年にアメリカでプロレスデビュー。1970年6月に日本プロレスのリングに上がるため初来日。1971年12月に「ザ・ファンクス」でジャイアント馬場・アントニオ猪木組を破りインター・タッグ王座を獲得。1972年10月に全日本プロレスの旗揚げシリーズに参加、以降全日の常連となり大活躍した。1977年12月の世界オープンタッグ選手権では「地上最凶悪コンビ」アブドーラ・ザ・ブッチャー、ザ・シーク組を退けて初優勝。1979年と1982年の世界最強タッグ決定リーグ戦でも優勝した。

1983年8月31日に全日本のリングで現役を引退したが、1984年8月に復帰。1986年6月にWWF入りし、ハルク・ホーガンと抗争劇を展開した。

1993年5月にFMWのリングで大仁田厚とデスマッチ対決、ハードコア路線を主戦場とする様になりECW、WCWのリングで活躍。1995年5月3日に福岡ドーム大会で新日マットに初参戦した。

現在も数多くのインディ団体に登場し、一時期はTNAにも登場した。
(ウィキペディアより)

プロレス界のキース・リチャーズだな。
幼稚園児のときにプロレスごっこをした時になりたかった人でもあった。当時にしてはトリッキー技の必殺のスピニング・トーホールドは幼心に印象に残ったし。
悪役レスラーと血みどろのファイトをしてるしーんも印象的だった。後にアニメのキン肉マンのテリー・マンが彼のファイトを継承して、彼の人気を維持した。

人気といえば70年代当時の彼のファイトをビデオで見ていると試合会場には彼のフアンがチア・ガールとして観戦して黄色い歓声を送っていた。異様と思える雰囲気だった。
彼の人気はすごかったことが伺える。

80年代には、弟子のスタン・ハンセンが台頭してきて、彼との抗争になるわけだが、一方的にやられまくる彼を見てがっかりした記憶がある。しかし、数年前にハンセンが引退した時に、彼が書いた本の中で「自分の技を受けまくる テリーは強い」というような回顧をしていたのを知り、見直すようになった。
彼はタフなのだw

60を超えても今でもファイトしているというのも驚異的だ。

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