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詩人イエーツコミュのイエーツの詩と古今和歌集

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 片上伸という人が「イエーツ論」なる小作品を残している。イエーツが45歳の時に書かれた作品である。つまりイエーツ生前に片上が書いたものである(片上は早大教授。ロシア文学。昭和3年沒)。その文の中で、いくつかイエーツの詩が引用されている。その一つ(但し、本文前半は略されているので補った)。

Autumn is over the long leaves that love us,
And over the mice in the barley sheaves;
Yellow the leaves of the rowan above us,
And yellow the wet wild-strawberry leaves.

The hour of the waning of love has beat us,
And weary and worn are our sad souls now;
Let us part, ere the season of passion forget us,
With a kiss and a tear on thy drooping brow.
(The Falling of the Leaves)

秋は山秦皮(とねりこ)の葉に、湿れる野苺の葉に、大麦の束に棲む鼠の上に来た。

恋の褪せ衰える時は吾等を襲うた。吾等の傷ましい心は今倦み疲れてゐる。
熱情のさかりの時の吾等を忘れぬ間に、別れしめよ。君がうな垂るゝ額に一度の接吻と一滴の涙とをのこして。 (片上伸)


 秋の葉の色変わることに恋の褪めるを見るのは古今東西普遍のことのように思える。イエーツの詩の前半は美しい秋の風情を詠んでいるが、後半とどのようにつながっているのか一見ないようにも思える。



   秋風のふきとふきぬる武蔵野は
     なべて草葉の色かはりけり  (恋歌五 821 読人不知)

「秋風がはげしく吹きに吹いている武蔵野は、すべての草の葉の色が変わってしまったことよ」(久曽神昇)

 古今和歌集のこの歌は武蔵野秋の風情を詠むが、何故、恋の部に収められているのか。これについては、久曽神昇は「秋風に飽きを、・・・、色かはりけりに愛人の心がわりをみるべきだろう」といい、金子元臣は「流石に広い武蔵野の草葉も、秋風に色変わらぬは一つもないといひ立てゝ、御親切らしかった貴方のお言葉も、やはり同じこと変わりましたよと、あてつけた皮肉なのである」という。

 イエーツの詩にこの古今和歌集をぶつけると、イエーツという男の正当化の言葉も草葉の色が変わるのと同じだと思えてくる。しかも「君がうな垂るゝ額に一度の接吻と一滴の涙とをのこして」というから、見事という他はない。男の強さ(ダンディズム)が表現されていると思ってよいのかもしれない。これに比べて、シャンソンの「枯葉」やヴェルレーヌの「落葉」の詩では男の弱さ(ナイーブさ)が歌われているように思うのだが。


「枯葉」 (中原淳一の訳詞)
枯葉よ〜 絶え間なく 枯葉よ 
風に散る 落ち葉のごと 
冷たい土に 落ち果てて 
過ぎた日の 色褪せた恋の歌
密かに 胸のうちに 淋しくも聞くよ


落葉 (ヴェルレーヌ)

      上田敏 『海潮音』
秋の日のヰ゛オロンの
ためいきのひたぶるに
身にしみてうら悲し。

鐘のおとに胸ふたぎ
色かへて涙ぐむ
過ぎし日のおもひでや。

げにわれはうらぶれて
ここかしこさだめなく
とび散らふ落葉かな。

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