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日記ロワイアルコミュのディズニーランドへようこそ

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 長い渋滞を辛抱して、ようやくディズニーランドにたどり着く。
 息子は車の後部座席。
 チャイルドシートの中ですやすやと眠っている。
「着いたよ。ディズニーランドだぞ」
 息子は起きない。
 眠らせたままベビーカーに乗せる。
 妻は毎日毎日こんな作業を繰り返しているのか、と男は深々と思う。息子の体の重さも、肌の暖かさも、眠っているときはいつもよりも生身で弱々しい。

 男は息子の乗ったベビーカーをひいて、チケットを買うべく、人の群れについていく。
 広大なアスファルト。
 窓がミッキーマウスの形になっているモノレール。
 さわやかな海風に乗って、スピーカーからブラスバンドの曲が流れてくる。
 これはなんという曲だっけ、と男は思う。
 いや、俺はこの曲のタイトルを知らない。だけど思い出したぞ。あれは中学生の時。吹奏楽部が演奏していたんだ。音色に染み込んだ女子生徒の温度。思春期。恋の予感。俺は校庭から、サッカーをしながら聞いていたんだ。夏。あるいは冬。どちらにしろ俺は汗をかいていた。うっすらと、恋をしていた。
 演奏が聞こえてくると、胸がほんのり苦しくなった。

 たくさんの親子連れが駐車場からチケット売り場に向かって歩いている。
 スキップをする子供。
 母親に怒鳴られている子供。急に駆け出したりするからだ。
 緑とピンクの服をそれぞれ着ている兄妹。手をつないだままかけっこをしている。男はその姿を自分の妹と重ねながら見ている。小さな妹が道端でぽつぽつ歩く鳩に興味をしめして、立ち止まる。 兄が妹に「鳩だよ」と言葉を教えている。「ハト」と妹は声をあげる。後ろから、二人の両親がついてきて、「鳩さんがいるね」と優しくつぶやく。「ハトサン」と妹は繰り返す。
 花壇の赤青黄色。
 雲一つない青空。
 押し付けがましいほどに幸福。
 まだ別れの可能性を疑いもしていない恋人たち。
 手をつないだ老夫婦。
 息子はベビーカーの中で死んだように眠っている。起きない。
 男は思う。
 まるで俺が一人でディズニーランドにやってきたみたいじゃないか。
 男は妻にその寂しさを伝えようとメールを送る。
 しかし返信が来ないことを男は知っている。
 妻は今、海外にいる。義父母の還暦祝いでスウェーデンにいる。

 海外に行ったこともなければ、ディズニーランドにすら訪れたことのない男は、今、戸惑っている。どこでチケットを買えばいいのか分からない。息子なら知っている。妻と何度も遊びにきている。
「どこに並べばいいんだ?」
 息子に尋ねかけて、男はやめる。
 もう少し、この独特な孤独を味わっておくのもいいかもしれない。息子には悪いが、何か俺が忘れていたとても大事なものが、今俺の味わっているこの寂しさの中に隠されているような気がする。
 この気持ちはいったいなんだろう。  
 
 勇気を出して、青い服を着た掃除夫のような男に、
「チケットはどこで買えばいいのでしょうか」
 と尋ねる。
 掃除夫は、一億回ほど答え続けてきた質問に、今、一億一回目の回答を用意してくれた。とても的確で、何かが欠けているように思えるほど美しい応答だった。
 教えられた場所に向かってみる。
 気づくと、何百人の大群が、チケット売り場の列に吸い込まれていく。
 まるで避難訓練のようだ。
 人々の笑顔も、避難訓練の時そのものだ。

 今、ここディズニーランドにこんな孤独感を持ち込むのは、この何千人の中でも俺ひとりだけだろう、男は思う。
 息子はまだ眠っている。
 小さな体の中で、今、たくさんの成長ホルモンが分泌され、目覚めた時にはほんの少しだけ君は身長が伸びている。それが何千回何万回も積み重なって、人は大きくなる。
 楽しみでもあり、寂しくもある。
 男は今、目の前で並ぶ若い夫婦の抱く赤ん坊を目にして思う。
 お前もこれくらい小さかったんだ。こんなに小さかったんだ。よく泣いたしよく笑った。
 俺はよくお前に話しかけた。なんでもいいから話してあげて、と妻が言うから。会話の練習だと思ってお前にいろんなお話をしてあげた。
 最初は恥ずかしかった。
 そして難しかった。
 だけど時が経過すると、お前に話かけないとむずむずするようになってきた。とにかくお前が理解できようとできまいと、俺はお前に話しかけたんだ。
 ただいま。今日はママとなにしたんだい。どんなテレビ見たのかな。今日パパはお仕事で大変だったんだよ、久々に自分に怒ってしまった。辞めてやろうかなと思ったけど、でも頑張るしかないよな! 最近パパはもっと大きなおうちに引っ越したいなって思ってるんだ。ママには内緒だぜ。パパは子供の頃から、オートバイを自分で改造できるくらいの大きいガレージのある秘密基地みたいなおうちが欲しかったんだ。お前もそこを使っていいんだよ。ママには内緒のおもちゃを隠したっていい。一緒にサッカーをしよう。宿題も手伝ってあげる。パパが子供の頃好きだった本も置いておくよ。パパのパパもそうしてくれたんだ。はやく大きくなって、パパのお友達になっておくれ。男同士のお話をしよう。一人でいても、誰かといても、いつでも幸せを見つけられる大人になるんだ。だけど、教えてくれ。ママはパパの知らないところで、悲しくなったり怒ったりしていないかな。パパは、ママとお前が笑ってくれると、これからどんな辛いことがあったって、めげずにやっていけそうな気がするんだよ。
 次第にお前は言葉の意味が分かるようになってきた。
 それは俺にとって、一つの時代の終わりだった。
 言葉にできないほど嬉しかったよ。だけど、ほんの少し、悲しかった。
 それは妻にも言っていない。
 あの頃のお前には二度と戻らない。お前はどんどん大きくなっていく。いつか声も低くなり、女に恋もするだろう。そうしたら、俺の知らないところで、ここに二人でやってくるのだろうか。お前は今日、俺とこうしてディズニーランドにやってきたことを、そのとき思い出してくれるのだろうか。
 そう考えると、男はなんだか急に涙が出そうになった。
 この一秒一秒がどんどん過ぎてしまう。
 気を抜いているとあっという間にお前は大人になってしまう。
「こんにちは、ディズニーランドへようこそ」
 チケット売り場の女の声がもう少し小さかったら、男は深い思いの世界から帰って来れなかっただろう。
「あの、初めてで、よく分からないんですが。この1デーパスポートってやつを買えばいいのかな」
「はい。大人の方一名様でよろしいでしょうか」
 女は笑顔になる。
 胸元にローマ字で名前が書いてある。
 SUZUKI。
 鈴木さん。君も幼い頃お父さんやお母さんに連れられて、ディズニーランドにやってきて、そのときたまらなく幸せで、ここで働けたらいいなと思ったのだろうか。
 俺は東京銀座にある汚いビルの地下で、企業に机や椅子をリースする会社に勤めている。震災があってから、すごい発注が来るようになったよ。
 だけど。
 幼い頃、まさか自分がこんな仕事につくだなんて、考えもしなかった。
「あと子供もいます。一人」
「かしこまりました」
 チケットを受け取り、カードで料金を払う。チケットの右肩に、息子の大好きなグーフィーのイラストがある。あとで見せてあげよう、と男は思う。
「あの」
「はい?」
「あの、今日は俺と息子の二人だけで来たんですが、…その、こんなおっさんでも、ここって楽しいんでしょうかね」
 何を失礼なことを言ってるんだ、と男は思う。
「はい。失礼ですがお客様は、生まれた時から大人でいらっしゃいましたか?」
「はは」笑わなければいけないと思って、笑った。「いいえ、子供でしたよ」
「それなら、ばっちりお楽しみいただけるはずですよ。いってらっしゃいませ」
 鈴木さんは「ばっちり」と言いながら、手をグーにして、可愛らしい頬のあたりで拳を引いてみせた。
 息子はまだ寝ている。
 そろそろ起こしてやらなければ、と男は思う。

 チケット購入の列から解放されると、今度は入園ゲートをくぐる列に並ぶ。
 肩車をされた子供が、園内にミッキーマウスやドナルドダックがいるのを発見して、キーキーと喜んでいる。
「おい、ミッキーさんいるぞ」
 男は息子に声をかける。
「ミッキーたん」
 小さな息子はやっと目を覚ます。
「こんにちは、ディズニーランドへようこそ」
 入園ゲートの女性スタッフが、ベビーカー用のゲートを開けてくれる。
 ディズニーランドが男の中に飛び込んでくる。
 まるでスペースシャトルから飛び出した宇宙飛行士のような高揚感。
 子供たちは一斉に走り出す。
 ブラスバンドの音楽が大きくなる。
 ひらひらとしたエプロンをつけている風船売りの女の子。
 青空。風。
「グーフィー!!」
 息子が大声をあげて、ベビーカーから立ち上がろうとする。
 男は息子を立たせ、ベビーカーをたたみ、手を繋ごうとするが、息子はそれを逃れてグーフィーの元へ走り出してしまう。
「おいおい」
 男は声をあげたが、思うところがあって息子を追いかけるのをやめる。

 あれ。

 男の頭の中に、とある記憶が突如浮かぶ。
「おいおい!」
 父親の声。
 あれ。
 俺、ここ、来たことあるぞ。
 あのとき俺も、ミッキーマウスやドナルドダックの元に走って行って、後ろから親父に追いかけられたんだ。
 男は記憶の中の父親に自分を重ねるように、息子を追いかける。
「待て待てー」
 息子は笑いながら逃げていく。

 忘れていたのは俺だった。
 わがままだったのは俺だった。
 自分ひとりで大人になって、自分ひとりでこいつを、妻を、養っている気になっていた。
 自分ひとりが、世界中に置いていかれて、後ろからそれを眺めているような寂しい気持ちになっていた。
 だけど、俺だってみんなと一緒に歩いていたんだ。
 手を引かれて。
 手を引いて。
 寂しいことなんか、あるわけないじゃないか。

 男は息子の笑顔の向こう側に、シンデレラ城が小さく見えることに気がつく。
「お城だ!見ろ、お城が見えるよ!」
「オシロ!」
 息子も叫ぶ。
 男はしゃがみこみ、息子の小さな肩を抱きしめる。
 もう俺は完全に一人じゃない。
「パパもここに来たことある。忘れてたよ」
 男は涙を流しそうになる。
 すると男の肩を誰かが叩いていることに気がつく。
「パパ! グーフィー!!」
 振り向くとグーフィーがそこにいて、左手を男の肩に右手を息子の肩において、話しかけようとしている。
 男はグーフィーに礼を言い、息子と写真を撮らせてもらうと、
「25年ぶりに来たんです」
 と言った。グーフィーは拍手をするような仕草をしてからお辞儀をした。
「パパ、グーフィーとしゃべれるの?」
「そうだよ」

 男は息子の手を引きぐんぐんとお城に向かって歩き出す。
 息子は男の歩調に合わせるために駆け足をしなければならない。
 レンガ造りのお土産屋。
 左手には大きなお菓子屋さん。
 右側に背の低い街頭時計。
 正面にそびえ立つシンデレラ城。
 あの下で、親父に肩車をしてもらった。嬉しかった。
「パパ、ちょっと電話していいかな」
「だれー? ママ?」
「おじいちゃん」
「なんでー?」
「ありがとうって言いたいから」
 男は息子の手を引いてゆっくり歩きながら、父親の電話を鳴らす。

 色とりどりの風船。
 色とりどりの笑顔。
 たくさんの家族。
 恋人たち。
 幸福。
 足音。
 繋がれる手と手。
 笑い声。
 子供達。
 歌。音楽。
 ディズニーランドへようこそ。

コメント(69)

素晴らしい!
ありありと心情と情景が浮かんで来ます。

一票です。
 幸せな気分になりました。

 一票。
なぜだかわからないけど、涙が出た。
一票です。
あぁ…涙が出そうに素敵です。
一票。

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