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日記ロワイアルコミュのイランで英雄になれなかった日本人

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40日間、イランを旅した

この旅でいくつもの国を旅し、色々な人と出会い、たくさん語り合った

そして自分とも語り合ってきた

しかし、イランほどたくさんの人と出会い、語り、自分ともこんなに語り合った国はこれまでなかった

それほどイランは魅力があり、考えさせられる国だった





イランを旅すれば、英雄(ヒーロー)になれると聞いた

イランを旅した人は、イランを好意的に言う人が多かった

イラン人はとても親切で、社交的

ご飯をごちそうしてくれたり、時には家に泊めてくれることもあると





噂は本当だった

何処に安宿があるのかわからず、困ってるとき

市バスに乗り、何処で降りていいのか迷ってるとき

行きたい場所への行き方がわからないとき

そんなとき、たくさんのイラン人に助けてもらった

何処の国に行っても、親切な人はいる

しかしイラン人の優しさは、今までの国と違った

宿を探してると、家に泊まればいいと言ってくれる

市バスで降りる場所を迷ってると、着いたら教えてくれて、私の分のお金を払ってくれる

自分は行く用事がないのに、一緒にタクシーに乗り、タクシー代を払い、目的地まで連れてってくれる

『Can I help you?』

海外で買い物や食事をするとき、スタッフにこう言われることはよくある

イランでは普通に道を歩いてると、そう話しかけられる

救急車が突然止まって『Can I help you?』と言ってきたときは、かなり驚いた






11の家族と1つのモスクで、計20日間泊めさせてもらった

朝・昼・夜、ご飯を作ってくれて、チャーイやお菓子にフルーツを山ほど出してくれる

自家用車がある人は車で、ない人はタクシーやバスで送り迎えをしてくれる

手編みのレース、手編みのニット帽&マフラー、服、アクセサリー、CD、骨董品、お菓子、フルーツ

別れるときに、たくさんのお土産をもらった

次の町へのバスチケットを買ってくれたイラン人もいた

あるイラン人は500,000Rlsをくれようとした

約50ドル、4,000円もだ

もちろん断った

しかし、何度も断っても諦めてくれず、100,000Rls(約10ドル)を受け取った

泊めてくれて、ご馳走してくれて、お土産をくれて、お金までもらったから、イラン人が優しいというわけではない

客人を大切にし、まるで家族のように接し、心から心配してくれる彼等

仕事を休んだ人

仕事があるので、友人を紹介してくれた人

仕事の昼休み、わざわざ待ち合わせして一緒にご飯を食べた人

なぜそんなに優しくしてくれるのだろうか?





最初は、優しくされるたびにうれしかった

英雄の気分を味わえた

でもいつの間にか、優しくされてもうれしくなくなった

胸が苦しくなって、涙が出そうになる

嬉し涙ではない

ペルセポリス遺跡を観ても感動しなかった

仲良くなったイラン人に車で連れてきてもらって、入場料を払ってもらったのに、申し訳ないが感動はなかった

高台に登り、ペルセポリスを眺める

いつもだったら、紀元前500年頃に建てられて当時のペルセポリスを想像したり、衰退していった理由を考えたりしただろう

贅沢な場所で自分と語り合った

私はイラン人と同じような親切ができるのか?

答えは…





ある日、イラン人の家に泊めさせてもらった

次の日、彼は仕事で出張だったので、私は安宿に泊まった

宿にいると、私に電話がかかってきてると、スタッフは言った

誰だろう?

心当たりはなかった

電話に出ると、出張に行ったイラン人だった

何か問題はないか?

お金はあるのか?

必要なものはないか?

困ったことがあったら、私の家族に電話しろ

話はそれだけだった

私は彼との関係を、少しの時間を過ごしただけだから軽く考えていた

でも彼はそう思っていなかった





イランで長期の旅をしてる日本人に4人出会った

彼等はイランの家庭料理を食べたことがないと言う

イランは外食産業が発達してない

町を歩いてても、ケバブやビザにサンドイッチくらいしか見つからない

イランを旅する前、毎日サンドイッチだと聞いていた

サンドイッチばかり食べるのは、一番安いからだ

だからイランを嫌う人もいる

サンドイッチの話も聞いていたが、家庭料理は凄く美味しいとも聞いていた

家庭料理は食べたくても、運が良くないと食べられない

私が何度も家庭料理を食べた話をすると、羨ましがっていた

イランを長期間旅してても、イラン人と友達になれなかったり、家に招待されない旅人もいる

私はとても幸運だった

しかし、幸せな気持ちでいっぱいかというと、そうではない

何とも言えない、孤独に包まれていた

そして、どんな旅がしたいのかわからなくなってしまった






移動は宿泊費を浮かせるために、できるだけ夜行バスを利用している

しかし首都テヘランから、小さな町サーリーに移動するとき、夜行バスを使わず、昼間に列車で移動した

景色を見て、沈んでいた気持ちを変えたかったからだ

音楽も聴かず、ただ窓の外を眺めていた

自分と語り合う時間

いつでも、どこでも、自分と語ることはできるはず

でも私にはそれができない

雑音があると、他のことが気になって、真っ直ぐ向き合ってと語り合えない

日本にいると、仕事や遊びや恋が邪魔をする

だから一人で旅をする

でも弱い私は、一人で旅をしてても、なかなか語り合えない

逃げてしまう

だからこうやって、自分と語り合う時間を作る

朝に発車した列車は、夕方近くになって到着した

答えが出ない

そればかりか、もっとわからなくなってしまった

列車の中で同じ部屋だったイラン人は、ケーキやお菓子をくれた

そして、今夜同じホテルに泊まろうと言った

私は丁寧に断った

一人になりたかったからだ





サーリーは小さな町だった

これといった見所もなく、観光客はいない

宿の情報は全く持っておらず、人に聞きながら、駅から町の中心へと歩いた

イラン人の青年が英語で話しかけてきた

この頃は片言のペルシア語を話せるようになっていたが、英語を話せる人のが助かる

安宿が何処にあるのか尋ねた

彼は宿に連れていってくれた

しかし予算をはるかにオーバーしていた

申し訳ないがここは高いので、泊まることができないと伝えた

彼は道行く人に聞きながら、他の宿に連れていってくれた

少し距離があるみたいで、タクシーに乗る

私は払うと言ったが、彼は断固として払わせようとしなかった

3軒の宿を回ったが、何処も高い

彼に悪いと思ったし、それまでに何泊も民泊して浮いたお金があるので、次の宿は例え高くても泊まろうと決めた

市バスに乗って移動した

ここも彼が払ってくれる

着いた先はマスジェド(モスク)だった





なぜ今、マスジェドに行くのだろう?

お祈りの時間なのだろうか?

それとも私に、このマスジェドを見せたかったのだろうか?

青年はペルシア語で、マスジェドの管理人と話した

私には、彼等が何を話しているのかわからなかった

管理人はパスポートを出せ、と言ってきた

理由がわからないまま、パスポートを出した

そして管理人は警察に電話した

なぜ?

全く展開が読めない

ポリス(警察)という言葉で、焦りも出てきた

電話を切った管理人は、笑顔で青年と話し出した

青年はこう言った

『This is Free. It has TV & Kitchen…, Very nice room. He is very kind』

そう言われても、話がわからない

ここで泊まっていいのだろうか?

というより、ここは何なんだろう?

管理人はGoogleの翻訳サイトを開いた

そして、ペルシア語で入力し、日本語へ変換した

物凄くわかりにくい日本語だったが、意味は通じた

マスジェドには宿泊施設がある

宿泊施設を利用していいか、警察に問い合わせた

一番良い部屋を用意する

お金は要らない

もう何て言っていいのかわからなかった

『ヘイリーマムヌーン』

私は彼の手を握り、"ありがとうこざいます"を何度も何度も言った

とても大きくて、キレイで、設備が整った部屋だった

TVにキッチンがあり、ベッドは2つ、もちろんトイレとシャワーがある

タオルやバスタオルもあった

パイプヒーターだけでなく、エアコンも付いていた

これまで泊まったイランの部屋に比べると、格段の違いだった

共同トイレ&シャワーのドミトリー(相部屋)だったり、くたびれたベッドがあるだけの狭い個室だったりと、どれも安宿に泊まってきた

中級ホテルに泊まったことはないが、きっとこんな部屋だと思う

一泊いくらするんだろう?

そんなことも考えたが、私は払拭した

それより、一体なぜ、異教徒の私を、無料でこんな良い部屋に泊めさせてくれるのだろう?

考えても、答えが出ないのはわかっていた

でも考えてしまう

そして、ここに連れてきてくれた青年

日本を旅する外国人は、こんなことあるのだろうか?

私は、外国人にここまでできるだろうか?





翌日、午後に昨日の青年と会う約束をしたが、それまでたっぷり時間があった

マスジェド周辺を散歩した

すぐ近くのチャイハネにイラン人の男性がたくさんくつろいでいた

チャイハネとは、チャーイ(お茶)&ハーネ(家)

イランの喫茶店のようなものだ

何人かに手招きされたので、寄っていった

注文もしてないが、チャーイとお菓子を出された

6〜7人いたが、全員英語を話せない

片言のペルシア語で会話した

簡単な自己紹介をし、これまで旅してきたイランの町のことを話した

そんな会話はすぐに終わってしまう

彼等は色々話しかけてくる

細かいことはわからない

でも何となく伝わる

外国語だけでなく、日本語でもそうだが、上手く話すことが大切なのではないと思う

伝えることが大切なんだと

彼等も私も、一生懸命話そうとする

それでもわからない

でも伝わってくる

水タバコを吸い、チャーイを飲みながら、とても居心地良い時間を過ごした






青年と別れた後、モスクへ戻ろうと、夜道を歩いていた

バイクに乗ったオジサンが、ゆっくりとしたスピードで、後ろから走ってきた

そして横に並んだ

『サラーム』

私達は挨拶を交わした

田舎町の、それも町外れを、外国人が一人で歩いてるのは珍しいのだろう

他の町以上に、声をかけられる

マスジェドに泊まっていることを話すと、オジサンは後ろに乗れと合図した

歩いて5分くらいの距離だったが、その好意をありがたく頂戴した

バイクに乗り、走り出した

しかし、マスジェドと反対方向へオジサンは走り出した

他のマスジェドに行くのだろうか?

否、あのマスジェドはこの町で一番有名なマスジェドのはず

知らないわけがない

私の発音が悪いのかもしれないと思い、再びマスジェドの名前を告げるが、進行方向を変えようとしない

一体何処に向かってるのだろう?

イランじゃなかったら

イランに来て、すぐだったら

間違いなく不安になっていた

でも今は全く不安がない

イランでは、人を疑わないと決めたからだ

着いた先は、一軒の家だった

オジサンの家だろうか?

門の扉を開け、オジサンと中に入った

オジサンはバイクを駐車する

私は庭に立ち尽くす

すると、オジサンが帰ってきたからか、年配の女性が、スカーフをせずに出てきた

私を見た途端、慌てて家の中に戻った

そりゃそうだろう

いきなり庭に外国人がいたら、誰だって驚くに決まってる

そしてイランの大人の女性は、家族以外に素肌や髪を見せてはいけないルールがある

女性はスカーフをして、再び現れた

オジサン夫婦と25歳の長男、21歳の長女、17歳の次女の5人家族

家族全員全く英語を話せない

家族全員が話せない家庭は、初めてだった

チャーイやお菓子を頂いた

オジサンはなぜここに連れてきたのだろう?

言葉が通じないから、本人から答えを聞くことはできない

でも伝わってくる

一緒にチャイを飲み、片言のペルシア語で会話を楽しみ、私の撮った写真を見たり、家族の写真を見たり

少し時間が経つと、親戚や近所の人も訪ねて来た

夜ご飯もご馳走になった

伝わってくる

言葉にできない何かが、伝わってくるのを感じれる

家族は泊まっていけ、と何度もいうが、マスジェドの人も心配するといけないので、断った

翌日、オジサンの家に泊めさせてもらうことにした

優しさが苦しかったときもあったが、その夜は素直に受け止められた





ラームサルという、カスピ海沿いの小さな町に行った

ここでも宿の情報を持っておらず、人に聞きながら探した

一台の車が、歩いてた私の横に停まった

『Can I help you?』

彼等は私と同じ、イラン人のツーリストだった

昨夜はラームサルに泊まり、今夜、ハマダーンの家に帰るそうだ

今からお昼ご飯を食べるけど、一緒に食べないかと誘われた

車に乗り向かったのは、彼等が泊まっているロッジ

すぐ隣にカスピ海があった

彼等が料理を作ってる間、カスピ海を見に行った

私が住んでる滋賀には、日本一の琵琶湖がある

カスピ海は世界一の湖

何処までも続く水平線

まるで海のようだった





今夜、一緒にハマダーンに行かないかと誘われた

ハマダーンはラームサルからかなりの距離がある

エスファハーンからテヘランは向かう途中、寄ろうかと思ったが、止めた町だった

ここから直線距離でも300kmくらいある

明日、近くの町、ラーヒージャーンに行く予定だった

そしてラーヒージャーンの後、アルダビールという町に行く予定で、バスで隣の席だったイラン人と会う約束をしていた

どうしようか?

日本だったらこんな感じだ

今、大阪に旅行に来てて、明日、京都に行く予定

京都の後は、名古屋の友達と遊ぶ約束をしている

でも大阪で出会った人に、広島の家に泊まりに来ないかと誘われるみたいな

約束の日まで3日あった

悩んでいたら、まずは温泉に行こうという流れになった

ラームサルに来たかったのは、カスピ海を見たいのもあったが、温泉に入りたかったのが一番の理由だ

温泉は車ですぐだった

彼等はお土産を買いに行きたいので、私を温泉で降ろし、先に入っていてと言われた

バックパックなどの荷物は、全部車のトランクに入れたまま

彼等が戻って来なかったら

持ち逃げしたら

そんな不安も少しはあったが、その時はその時

私は一人で温泉に入った





硫黄の匂いがする乳白色の温泉だった

ずっとシャワーだったから、物凄く気持ちいい

ミャンマーで温泉に入った以来の風呂だった

ここでもたくさんのイラン人に話しかけられた

1時間ほどすると彼等は買い物を終え、温泉に入ってきた

とても親切で、面白い4人の若者だった

日本の温泉と違い、水着を着て入る

泳いだり、飛び込んだり、大人もはしゃいだりする人が多い

彼等と一緒にお湯をかけあったり、泳いだり、水着を脱いだり、夢中になって遊んだ

英語を話すのは一人だけ

でも遊ぶのに言葉なんて、絶対に必要な物ではない

彼等と一緒にハマダーンに行くことにした






イランを旅してから色々なことを考えた

モスク前の大きな広場で、何千人もの人が祈りを捧げる姿

あの光景を見たら、神とは何か?

自分は何を信じて生きているのか?

考えてしまう

ある家庭に泊めさせてもらったとき、21歳の学生にこう質問された

『What's your purpose of life?』

"生きる目的は何?"

そして彼は、自分はこうだと語った

家族や友達、周りの人を幸せにすること

彼じゃなくても、同じような答えを言う人は、きっと多いだろう

私もそう思った

でも彼を前に、イラン人を前に、胸を張り、自信を持ってそう答えることができなかった

この曲を知っているだろうか?

『人に優しくされたとき 自分の小ささを知りました

あなた疑うことを止めて 信じましょう心から』

モンゴル800の"あなたに"という曲のワンフレーズだ

私はイランに来て、たくさんの人に助けてもらい、ご飯もご馳走になり、泊めてもらったときにこの曲が思い浮かんだ

何て自分は小さいんだろう

人に優しくしたいと思う

しかし、イラン人から優しさをもらい、負けないくらい優しい人になりたいと思えない自分がいた

あそこまで優しい人になれないと、諦めている自分がいた

だから優しさをもらうたび、私は苦しくなった

優しさが辛かった

優しければ、優しいほど、辛かった

なぜ、外国人の、異教徒の、出会ったばかりの旅人の、普通の人間の私にこんなに優しくしてくれ、信じてくれて、愛をくれるのだろうか?

私は優しくなれないが、疑うことは止めることにした










温泉で彼等といるとき、そんなことも忘れて楽しんだ

宗教や民族や文化が彼等を優しい人にしたのだろうか?

そんなのきっと関係ない

優しくしてくれた人は、イスラム教のシーア派の人もいれば、スンニ派の人もいた

ゾロアスター教の人や、無宗教の人もいた

毎日5回祈りを捧げる人もいれば、髪を茶色に染め、祈りをしない若者もいた

ペルシア系だけでなく、アラブ系やアルメニア系の人もいた

お金持ちだけでなく、裕福でない人や、アフガニスタンからの難民や、足が不自由な人もいた















もう考えるのは止めた

今はただ、前に進むしかない

旅を楽しもう

旅を終えたら、答えが出るかもしれないし、出ないかもしれない

例えどっちであっても、イランで得た経験は無駄にはならない

絶対にプラスになるはず










イラン最後の夜も、仲良くなった人の家に泊めさせてもらった

韓国で働いたことがある人で、英語も上手く、韓国や日本の文化にも一定の理解があった

政治や宗教の話をした

そして悩みを打ち明けた

納得する答えはもらえなかった

でも言葉にできない、何かが伝わってきた

私はイランで英雄になれなかったけど、大切な物をもらった気がする

コメント(104)

イラン人の優しさに感動しました!いろいろ考えさせられる。一票!
おどろくことばかりです。行ってみたい。一票
一票。僕は仕事でインドやパキスタンによく行きますが、まだイランには行ったことがない。でも、この話を聞くと中東と日本が仲良い理由がわかるような気がする。きっと、こういう気持ちになれる人がたくさんいたら、裕福ではなくても皆幸せになれるのかも知れないですね。。
一票

イラン周辺国の人々もそうなのでしょうか?それともイランが特別ですか?

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