ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

日記ロワイアルコミュの私と彼女の3月

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
 同じ行を4回読んでいることに気がついたところで、諦めて文庫本を閉じた。鈍い疲れを感じている身体に珈琲を送り込んで、顔を上げる。

 日曜日の午後6時の喫茶店には、よく見かける顔が2人、初めて見る顔が1人、背中しか見えない人が2人。私も含めた全員が1人で座っていた。

 お洒落なカフェでもなければ、話題にするほど特別に美味しい珈琲を出すわけでもない。丁寧だけれど愛想のない店員と、誰かが注文しているところを一度も見たことがないチーズケーキ。それでも、いつ行ってもそれなりに客がいるのは、1人になりたいけれど家にも帰りたくない時に寄るのに、この店ほどちょうど良い空間はなかなか見つからないからだと勝手に思っている。家からも職場からも近すぎず遠すぎないのも、その店を気に入っている理由のひとつだった。

 カップを置いて、椅子の背もたれに身体を預ける。油断すると零れてしまいそうなため息を喉の辺りで転がしながら、考えるともなく考えていたのは今日のことと、今日思い出した過去のこと。



 窓際に座っていた中年の男性が、伝票を持って立ち上がった。





 雛祭りの日にサオリの家に招待されるようになって、もう15年になる。サオリが出産を控えていた25歳の年を除いて、それより前はサオリの実家で、それより後はご主人と娘さんと暮らすマンションで、美しく彩られたちらし寿司と蛤のお吸い物を頂いてきた。

 サオリのお母さんは人をもてなすことが大好きな人で、

「雛祭りに託けて、パーティをしたいだけなのよ。」

と、まだ16歳だったサオリは照れくさそうに言っていたけれど、実家を出て自分が母の立場になっても変わらずに雛祭りの度に招待してくれている。そうやって、親が大切にしてきたことを大切にしながら親になっていく友人を、とても素敵だと思う。

 一昨年からは娘さんが保育園に通い始めたこともあって、いつまでも私なんかが行くのは迷惑なんじゃないだろうかとも思ったけれど、

「子どもの友達が集まる会は別にするから良いの。私だって一応女の子なんだから、自分の友達も呼びたいじゃない。」

というサオリの言葉に甘えて、日を少しずらしてお邪魔させて貰っている。

 実家では、顔が怖いからと数える程しか雛人形を飾っていないこともあり、私にとって「雛祭り」というのはサオリと過ごす日だった。





 ほんの少しだけ飲んだ白酒で、頬を赤くしながらサオリが言った。

「もしかして、まだタカシ君のこと待ってるの?」

「待ってるってわけじゃないけど、まあ・・・前に話したときと特に変わりはないかな。」

「変わらないって、そんな呑気な・・・。もう31歳なんだよ?学生の頃とは違うんだよ?」

 毎年言われるその言葉を今年も濁した返事でかわしながら、タカシは元気にしているだろうかと考えていた。最後に会ったのは半年近く前。それから一度も連絡はないし、私からもしていない。また海外にでも行っているのだろう。

 出会った学生の頃から2人の関係は何も変わっていない。安定志向で座学を好んできた私と、好奇心旺盛で行動派なタカシは、自分とはかけ離れた部分に惹かれ合い、自分とはかけ離れた部分故に一緒には居られなかった。それでも、再会する度にタカシの左手と私の右手が誂えたようにぴったりなことを確認して、泣きそうにいとおしくなるのだ。

 ぼんやりとタカシの感触を思い出していると、サオリの声が私を通り越して、少し離れた所に座っていたご主人へ投げられた。

「ねえ、パパ。ユウコったらね、学生の頃の恋愛をまだ引きずってるの。パパの会社の人に誰か良い人いないの?紹介してあげてよ。」

 ご主人は曖昧に微笑む私と目を合わせた後、

「お前、お見合いおばさんみたいになってるぞ。」

とサオリを制してくれた。すみません、と小さく頭を下げてくれたご主人に微笑み返したつもりだったが、なんだか呆れたような意地悪な笑い方になってしまった気がした。本当は哀しかっただけなのだけれど、上手に哀しがることも出来ない程に私のメイクは濃い。1年、また1年と積み重なっていくごとにアイテムが増えていって、私の顔は私から遠ざかっていく。だが、それは昔より美しく輝いているということではないことを誰よりも自分が一番よく知っているのだから、生きていくということは本当に大変だと思う。

 まだ制服を着ていた頃のサオリが言ってくれた、額縁に入れて心の中に飾っている言葉がある。

「たいしたことない悩み事なんてないのにね。その人の悩みの内容を同じように重大に受け止めてあげることなんてなかなか出来ないけど、その人がすごく悩んでるんだって事実を受け止めて寄り添ってあげることは出来ると思うんだ。」

 そのあと、少し照れたように

「私の悩みはね、焼きそばパンが大好きなのに、焼きそばパンに乗ってる紅生姜が大嫌いなこと。除けても、色も匂いも付いちゃってるしさ、本当に嫌なの。」

なんて言っていたけれど、サオリの持つやわらかさにはこんな思いがあったのかと、その言葉を心の隅々まで染み渡らせた。そうして、それはそのまま、私自身の人付き合いの核になった。サオリがいつも私にしてくれたように、人の思いを自分の基準で判断してしまうことのないように、大切な人の心を大切にしたいと思う。

 だから驚いた。私の「たいしたことないわけではない悩み」を勝手にご主人に言ってしまったこと。

 だから哀しかった。私の心に飾られたサオリの言葉は、もうサオリの心にはないのかも知れないこと。

 だから、寂しかった。馬鹿げてるって知りながらいつまでも私だけが思い出にしがみついていること。

 いいかげんにタカシとの関係に見切りをつけて、次へ進んだ方が良いとは自分でも思っている。サオリ以外に同じようなことを言ってくれる友人もいるし、紹介された人と会うことだってあった。それでもなかなか割り切れない思いに、サオリは寄り添ってくれていると勝手に勘違いして甘えていたのだろう。

 サオリがあの頃と違うように、私だってあの頃とは違う。いや、サオリや私が変わったのではなくて、2人の間にあるものが変わったのかもしれない。今日、私はいくつサオリに本音を話しただろう。

 自分が選んできた環境に愛情があるのに、私たちは簡単に相手を羨んでみせてしまう。相手が選んできた環境に愛情を持っているのを知っているのに、簡単に「大変だね。」なんて言ってしまう。渡し合う言葉だけが本心でないことを互いに知っていながら、羨んだり羨まれたり、同情したり同情されたり、そんなつまらないことに労力をかけるのは、一体何のためだろう。





 携帯電話の小さな丸いライトが、黄緑色に点滅してメールの受信を知らせてくれる。サオリからだ。

『もう帰り着いたかな?来てくれてありがとうね。久しぶりに会えて嬉しかった。今度は子どもはパパに見てもらって、外でゆっくり会いたいな。ユウコのおすすめの店に連れて行ってよ。』

 一番よく訪れる店はこの喫茶店なんだけれど、私がそれをサオリに言うことはきっとこの先もないだろう。親よりもタカシよりもサオリを近くに感じていたあの頃だったら言っただろうかと頭を過ぎったけれど、よくわからなかったから考えるのをやめて、返信の画面を開いた。

『呼んでくれてありがとうね。私も久しぶりにサオリと会えて嬉しかったよ。お店、考えとく!また、ゆっくりお話したいね。』

 記憶の中で、サオリと私が笑っている。

 それは、こうして1人で珈琲を飲んでいる私の今を作り上げた、奥深くにある大切な部分。私たちの間に流れるものが変わってしまっても、何も変わらない。

 たまにしか会えなくても、本音の半分でしか話せなくても、会う度に少し疲れてしまっても、私たちは友達なのだ。差し障りのないメールには、誰に理解されなくても構わない友情が添付されている。


 携帯電話を閉じて、伝票を持って立ち上がった。





 ねえ、サオリ。ソックタッチって今でも売っているのかな。

 すっかり耳にも唇にも馴染まなくなった単語を、思い出の隅から引っ張り出して懐かしく思う。

 あの頃の私たちにとって、スカート丈と靴下のバランスを自分の理想の状態に保てるということは、世界の中でとても重要なことだったね。

 そんなことが、とても重要なことだったね。






コメント(85)

噛み締めるようにして読んだ。
一票です。

ログインすると、残り53件のコメントが見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

日記ロワイアル 更新情報

日記ロワイアルのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。