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日記ロワイアルコミュの熱血冷血、上司と部下

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「熱が出たから今日は休むからね」

「熱が下がらないから今日も休むよ」

「熱が―

そんな電話連絡が続き、週末を挟んで6日ぶりに会った上司は、これでもかと真っ黒に日焼けしていた。あれか、熱か、熱のせいなのか、そんで焦げたのか、なら仕方ない。まさか家族で南国だなんて、考えられない。後に自白したけど、家族旅行だったって。考えられない。



―俺の前の上司はなかなかにぶっ飛んだ人だった。

キーボードを打つ音はもはや騒音、その神速タイピングに正確性は望むべくも無く、非の打ち所の無いロジックをまざまざと見せ付ける一方で、その書面には残念なことに半角全角統一されないカタカナ、アルファベット、数字や記号が意思を持ったように踊っていた。今でもどう打ったらああなるのか分からない。

知識の深さと行動力は目を見張るものがあったが、日本語が時々おかしくて、お得意さんの前で「男根の世代(本人は団塊の世代と言いたかった)」と連呼し始めた時は目を覆ったもんだった。いや、ある意味男根が頑張った世代ではある、惜しい、でもフォローはできない。



―俺は今の会社に入社する前は、良く言えば個人事業主で、今の会社から仕事をもらって生計を立てていた。
独立する前も今の会社から仕事をもらっていたけど、それは小さな会社に所属しながら。
その前は更にその下請けとして雑工をしていた。

とんとんとんと、ステップアップできたのは、冒頭の“ぶっとんだ上司”のおかげだった。

田舎の三流高校で、まともに勉強すらしないうちになんとなく社会に放り出された俺は、本当に無気力人間だった。
日雇いで、なるべく割りの良い仕事だけを選んで、嫌になったら辞める。
そんな風に過ごしていた19歳そこそこの頃に、俺はこの上司に(この時は上司ではないけど)出合った。

彼は、いかに楽に仕事しようかと動く俺の事をたいそう気に入ってくれた。どこの馬の骨かも分からない雑工の俺に「思ったことは何でも発言しろ」なんて言ってくれた。
それまで誰でもできるような仕事ばかりをなんとなくこなしていた俺に、大袈裟に言えば働く楽しみのようなものを教えてくれたんだった。

程なくして、俺はその上司に誘われる形で、今の会社に入社する。
いや、誘われるというか「サラリーマンなんて自分には勤まりません」と断る俺を、半ば無理矢理に入社させたんだった。

俺を昔から知っている友人は「お前に会社勤めなんかできるわけがない」だとか「一ヶ月でやめる方に1万」だとか「なら俺は2万」だとか、好き勝手言っていたし、当の自分でさえ「俺がサラリーマンなんて」って思ってた。



入社してから1年は、本当に辛かった。
地方の小さな支所は立ち上がったばかりで、社員は上司と俺だけ。
まだハタチそこそこだった俺は、技術者や学者くずれみたいな人達ばかりの業界で、客先に出向いても全く相手にされなかった。

それまで自由に仕事をしていた事もあり、タイムカードが先ずは嫌いだったし、深夜残業、徹夜、休日出勤が続くとストレスは右肩上がり。
ある日深夜の仕事中、上司が俺に「若いうちは血反吐吐いても仕事をこなすんだ、俺も若い頃はそうだった」と話した。

(老い先短い手前さんの時間と俺の時間の価値は違う)

なんて心で毒づいたもんだ。
そして俺は、いつも俺より早く帰る上司の椅子のネジを、夜な夜な一人弛めるのだった。いつか後にひっくり返って後頭部強打すればいいと思って。マイナスドライバーを手にニヤニヤしながら。



それでも、二人で仕事をして5年、俺もそこそこ仕事をこなせるようになり、上司の推薦もあって昇進までさせてもらった。
支所の業績も着実に伸び、今では安定して毎年ノルマの売上をこなせるまでになったんだった。






―2年ぶりに、その上司に会いに行ってきた。

享年41歳、若すぎた。
若すぎる故に、病気の進行は早かった。

2年前にガンが見つかり、投薬を開始した。
療養中「新薬は凄いから」「順調だよ」「1万人に1人の回復だって医者が言ってたよ」そんな言葉を織り交ぜながら、良くこっちの仕事を心配してメールや電話をくれていた。

つい去年の10月に、フルタイムではないけど職場復帰したばかりだった。
本社勤務になった為顔を合わすことこそ無かったが、二人で進めている仕事もいくつかあった。
そのたった2ヵ月後の12月に「検査入院だから心配ない」と「2月には完全復帰するから」と再入院することになった時、俺は特別心配はしていなかった。


訃報は突然やってきた。
正に、寝耳に水。

好きだったわけじゃない、心から尊敬していた訳でもない、まして憧れなんてまるでなかった。死んでしまえ、と幾度となく思った。
でも、なんとも言えなくなってしまった。
淡く、ずっと、悲しい、みたいな。
なんで誰にも言わずにそこまで行ってしまったのか。


葬儀場で上司の父に挨拶をすると「話は良く聞いていました、息子がお世話になりました」と言ってくれた。
俺は、与えてもらうばかりでまだ何も返してやしなかったのに。
だってこんなに早くいなくなるなんて思わなかった、心配ないって、2月には完全復帰するって、新薬は凄いんだって、そう言ってたのに。

俺はどうして嘘吐きで強がりで、いい加減なあの人の言葉を信じてしまったのだろう。
忙しさにかまけて、見舞いにも行きやしなかった。
順調だって言うから、順調だって思ってそれ以上に何も思いやしなかった。

葬儀中ずっと、こんな行為に一体何の意味があるのかと考えていた。
ぼんやりと、縁起の悪そうな幕をかけられた生前のあの人の写真を眺めながら、色んな事を思い出した。

とある大きなトラブル対応に追われ、何日も帰れずに二人で仕事をした時のこと「いつもなんでそんな冷静なの?」と聞かれ「他人事だと思ってるからです」と言って笑ったら、こっぴどく怒られたっけなぁ。



―今となっては、責任を取ってくれる人がいつも後にいたから、俺は好き勝手に仕事が出来たんだって、そう思います。
いや、責任取ってくれずに逃げられた事もありましたね。あん時はぶん殴ってやろうかと思ったけど。
何度も退職願いを書いたっけ。
二人だけだったから、衝突することばかりで。

でも、今自分が部下を持つようになって、やっと気付きました。

俺はなんて大切に育ててもらったのだろうかと。

身に染みます。



―2年ぶりに見た上司の顔は、あの南国帰りからは想像もつかないくらいに白く、やつれていた。

棺桶に花を入れて「お世話になりました」って、頭の中にそれしか言葉が出てこなくて、手を合わせてそう念じると、それまで全然出なかった涙が止まらなくなった。
ふわふわしていた思考を、がっちり羽交い絞めにされて現実に墜落させられた感じ。

残された幼い娘さんと奥さん、二人の事を思うとまた胸が張り裂けそうになった、なったから考えるのをやめた。



言っても

また始まる日常の中で、きっとすぐこの悲しみを俺は失ってしまうんだろう。
あれだけ世話になっておきながら、ちょっと涙を流したくらいで、今までの恩を帳消しになんてできっこないのに。そう思うと、この一時の悲しみや涙なんてポーズかも知れないって、そう思ったりした。
なんて自分勝手で、卑しい生き物なんだろうか。
ため息をついても、ただ他人事のように、青空。




拝啓

俺は今日も変わりなく過ごしました。
明日も変わりなく過ごせそうです。
こっちは雪が少なくて今年は良い冬でした。
約束の2月は、もう終わりますね。
本当に、お世話になりました。

コメント(133)

1票。淡々としているが、上手い。
この題材で、素直に人柄がにじんでる。

他人事のような青空・・・印象深い

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