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日記ロワイアルコミュの僕のシャツ物語

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「好きなものには必ず過去に良い思い出があるの、もし本当に好きなものがないとしたら、つまらない人生ね」

ドラマを見ていた僕に、その言葉が妙に心に残った。
僕といえば、シャツにかける愛情はなかなかのもので、365日とは言えないけど、それに近い日数を年間通して着ていた。

「俺がシャツを好きになった理由…」

引き出しにしまっていた記憶を探ってみる。
そして思い出す。
少年時代を…。














僕は恐らく、人よりも長く「反抗期」といえる期間を過ごしてきた。
中学に入る時から始まり、大学に入るまで続いた僕の反抗期を数えてみると、実に6年間にもなる。でも決定的なまでに親との会話を拒絶するようになったのは中学3年の冬のことだった。

反抗期は多かれ少なかれ誰にでもあったとは思うけど、始まりの理由はなんだったかなんてみんな覚えていないと思う。
でも僕はそれがはっきりわかる。

僕は中学3年の時、付き合っていた彼女がいた。
彼女は決して聡明というわけではなかったが、優しい心を持っていた。
しかし、僕の親はその子のことをを快く思っていなかった。
彼女自身を、というよりは彼女と付き合うようになってから変化した僕の生活を、といったほうが正しいかもしれない。
僕は彼女と付き合うようになってから、たびたび夜中まで遊ぶようになった。
それまで以上に口汚くなった。
そこまでは親としてもただの反抗期で済んだんだと思う。
でも、公園で酒を飲んで騒ぎすぎて警察のやっかいになってしまったこと、これが決定的だった。

何十年間も育ててきた僕の裏切り、親にとって、それは一種の絶望感だと思う。
間違いなく母の心に爪痕を残した。
そしてそれは、お嬢様育ちの母にとっては、恐らく感じたことのない種類のものだったんだと思う。
特に父は僕が小学生にあがった頃から単身赴任をしていたこともあって、母は、僕の教育に失敗してしまったんだっていう自責の念と、更生させなければっていう責任を全て背負いこみ、支配されるようにようになった。

母は、彼女から僕当ての電話を「大は電話に出れません!」と言って叩ききるようになった。彼女は僕に電話をかけるのを怖がるようになった。
母は、彼女の携帯の番号を調べて、僕の帰りが遅いと電話をかけてくるようになった。
彼女は僕と遅くまでいることを避けるようになった。
そして母は、僕に他の子と付き合うように勧めるようになった。
僕はその度に母親に対して嫌悪感を強めていった。

そして僕らは中学3年の冬に別れた。
決して母が全ての原因じゃなかったけど、僕の初めて味わう虚無感、そして喪失感は怒りに姿を変え、その全てのはけ口に母親を選らんだ。

僕は罵った。
お前とはもう口も聞きたくないと言った。
死ねと叫んだ。

その時の母の顔を覚えていないけど、多分心臓を握りつぶされてるような顔をしてたんじゃないかと思う。

とにかく僕は家の中ではほとんど全くしゃべらないようになった。
口を開くときは文句を言うときだけだった。
外ではいつも通り振舞うが、家にいる間はひたすら自室に籠り小説や音楽を聴くようになった。
多分その頃は1年間で500冊くらいの小説を読んだと思う。
そして僕が今でも全くテレビを見ないのも、自室にテレビが無かったから、テレビを見れず、余りにもテレビから離れている時間が長すぎたためだと思う。



そんなのが高校を卒業するまで続いた。



そして大学の入学を決め、引っ越しをした。
僕は新潟のことが大好きだけど、新潟から離れたくてしょうがなかった。
正確には、親元からってことなんどろうけど。


そして僕はついに、誰からも干渉されない生活を手に入れた、そう思って一人暮らしの寂しさなんて微塵も感じなかった。

ただやっぱり不便はあった。
ぼくは料理はもともと興味があったけど、他はからっきしだったから。

そして久しぶりにシャツを着ようと思って、シャツにアイロンをかけるために、まだ開けていない段ボール箱からアイロンとアイロン台をひっぱり出した。



その拍子に、何かが落ちた。

僕はゴミかと思って拾い上げてみたら、文字が書いてあった。

それは、母親の字で、アイロンのかけ方を説明する手紙だった。

アイロンの使い方から始まり、どの順番にかけ、どのように手入れするかまで事細かに書いてあった。




そして最後に

「一人暮らし頑張ってね」

と一言添えられていた。





その時、僕はやっとわかった。

6年間、どんなに言い争った次の日でも、母親は毎日早くに起きて、しわ1つないシャツを仕立ててくれたことを。

どこまでもお節介なのは、親の持つ愛情の深さ故だということを。

自分はそれに甘えていただけにすぎないことを。

そして、僕の反抗期は、今、終わったってことを。



正直、涙が落ちるほど感動したわけじゃない。
それでも僕は(傲慢に聞こえるかもしれないけど)母を許した。
でも母は、僕が母を許すよりも早く僕を許していた。


親の心、子知らず


親になってみないとわかんないことはきっと多い。

僕は親になれるのかも、なっていいのかもわからないけど、いつか感じてみたい。
子にかける親の心ってのを。





その時から僕はシャツを好んで着るようになったんだと思う。
それもアイロンをしっかりかけたシャツを。
まだまだ、母のようにしわ1つ無いとまではいかないけど、ずいぶん上達した。

だから、僕は新潟に帰る時は、必ずお気に入りの白いシャツを、ばっちりアイロンをかけて着ていく。(中・高校と白シャツだから。)
まだ、親に感謝を伝えられるほど大人になれないから、無言のメッセージとして。
「ごめんね、あと、ありがとう」
って。

コメント(86)

ちゃんと言葉で伝えてほしい…一票。
私は親になってやっと、親に面と向かってありがとうと言えるようになりました。一票!
親は 口に出してありがとうと言ってくれなくても気持ちがわかってくれただけでも嬉しいもんです(^^)
一票!
いい話。でも・・、うちも男の子ふたりだけど、できれば、Daiさんみたいな辛い思いはさせたくないなぁ、と思います。
それまでの関わり方が重要なんですかねー。難しい☆

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