ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

日記ロワイアルコミュの夫婦の思いやり。

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
結婚して1年半近く、子供が産まれて約4ヶ月。
恋人の延長線のような甘い新婚生活も、
子供の誕生と共に変貌し、働く夫と家事育児に励む妻という、
ライフパートナーとして、いつしか互いの見方は変わってくる。

妻の働きには本当に頭が下がる。
才色兼備で掃除、育児、料理全てに手抜かりがない。
核家族で、故郷から遠く離れ、近くに友人もいない中、
愚痴一つこぼさず、模範的な母親である。

私自身も、典型的堅実タイプで、ダメ夫ではないと自負している。
比較的安定した職に就き、それなりの収入を得ているし、
ギャンブル好き、酒癖が悪い等の問題も特にない。

友人にも理想的といわれる夫婦。
しかし、最近私たちの仲はどことなくぎこちない。
結婚前のような居心地のよさがなく、些細なことで喧嘩をしたり、
会話をするといつの間にか相手を責めてしまう。

妻は仕事を辞め子供を産み、私たちを取り巻く環境は大きく変化した。
仕事を終え、家に居る時くらいは、自分の時間を楽しみたい私。
平日は一人で家事育児に勤め、私が家に居る間は、
できるだけ家族に目を向けて欲しいと話す妻。
この二つのごく自然な、かつ矛盾した双方の要求を満たすためには、
互いが相手の立場を理解し、譲り合う必要がある。

頭では十分理解しているものの、自己中心的な私は、
自宅に戻ると妻との会話も簡素になり、
つい自分の趣味の世界に没頭してしまう。

妻は当然不満が募り、私への風当たりが厳しくなる。
私は、妻と話すと常に責められているようで窮屈に感じ、
ますます会話は短くなった。

私には、仕事はしっかりとしているし、真面目にまっすぐ家に帰り、
家に帰れば最低限の会話はするし、子供の面倒も見ている、、、、、、
つまり、父親としての役割は十分果たしているのに、
妻はなぜ私の粗探しをして責めたてるのかと、不満で一杯だった。

妻に不満を持っても、夫婦間の気まずい状況は全く改善しないので、
どうにか夫婦の関係がもう少し円滑にいかないものかと考えてみた。
すると、自分の所謂家族サービスに対する考え方について、
何か大切なものが決定的に欠落していることに気づいた。

私は本当に恥ずかしいことであるが、家族サービスについて、
「しなければならないもの」と義務感に駆られたように考えていて、
自発的に「何かしてあげよう」と思ったことが昨今あまりない。
私の家族サービスは、家族に対する「思いやり」から生じたものではなく、
理想の父親像を考え、心ではなく頭で生み出されているような気がする。

敏感な妻は、私の本質的なこの「思いやり」の欠落を鋭く感じ取り、
私に対して不満を抱いていたのだと思う。

そう考えると、急に私は申し訳ない気持ちで一杯になった。
私は毎日帰宅すると、妻に「今日は一日何をしてたの?」と尋ねていた。
それが相手への興味や思いやりから生じる台詞なら誰でも嬉しいと思う。
しかし、理想の父親像を追及し、理性的に「義務感」で尋ねたものなら、
きっと同じ言葉でも、尋ねられた女性は嫌悪感を抱くと思う。
敏感な妻はこれに似た嫌悪感を私に抱いていたのではないかと思う。

付き合い始めた頃は甘い恋心と共に、私にも思いやりが十分あった。
その思いやりも少しずつ薄れ、私は家族サービスについても、
心ではなく、頭で考えて「義務感」で動くようになっていた。

誕生日プレゼント、夜の赤ちゃんへの授乳(粉ミルク)、、、
私が妻のために何かをするとき、私は義務感で動いており、
真に妻を思いやって動いているわけではない。
その事実に気づいたとき、私を責める妻の気持ちがわかり、
私自身が、何か血脈のない、鉛色の精密機械のように感じられた。

ふと思う。
世の父親達はどのような思いでクリスマスケーキを買って帰るのだろう。
寒い中早く帰宅したいところを、妻に命ぜられ義務感で買うのだろうか。
妻や子供の喜ぶ顔を想像しながら、思いやりを持って買うのだろうか。

仕事帰りにケーキを買って帰る父親。
この微笑ましい父親が、どのような思いでケーキを買うのか、
見た目では見当がつかないように、
理想的に見える家庭も、本当に互いを思いやり、
幸せに生活しているかは表面だけではわからない。

私自身も周囲からは理想の夫婦と言われるが、
それを聞いて手放しで微笑んでいるわけではない。

夫婦間の思いやりについて、互いを見つめなおしてみる。
冒頭で述べたが、妻の働きは素晴らしく、私は本当に感謝している。
にも関わらず、その感謝の気持ちは往々にして私の中に留まっており、
感謝と思いやりをもって妻に接することが、今の私には出来ていない。

一方、よく考えると、妻は私への思いやりを毎朝示してくれている。
私が出勤する際、妻は必ず玄関を出て、家門を出て、
私が交差点に差し掛かり視界から消えるまで、
門の前で私を見送って、振り返る私に手を振る。
季節柄寒いから、見送りは玄関までで構わないと何度言っても、
妻は必ず門の前まで出て私を見送る。

私はこうした思いやりを、結婚後久しく見せていないことに気付いた。
遅くなってしまったが、私も思いやりを持って妻を今一度眺める。
日々の家事で手が荒れていることに気づいた。
翌日ゴム手袋と、ハンドクリームを買って帰った。
それは義務ではなく思いやりだった。
何かしなければならないという気持ちでは見えなかった妻の手の荒れが、
何かしてあげたいと思うことにより始めて見えるようになった。

私は表面上問題なく理想の父親を演じていたため、
自身の思いやりの不足という、根本的問題に気付かず、
自らは正しく、正しいものを責める妻の方が悪いとばかり思い、
妻の胸のうちなど知る由もなかった。

いつしか私が今の気持ちを忘れ、義務感のみに基づき行動する、
鉛色の精密機械のような人間に舞い戻ってしまった時は、
自分が本当に相手を思いやり行動しているか、考え直そうと思う。

末永く、互いに気持ちよく暮らすには、日常の何気ない場面での、
小さな思いやりの積み重ねが、きっと必要なんだと思う。
そしてその小さな思いやりは、たとえすぐには気付かれなくても、
いつか必ず相手に伝わり、また新しい思いやりを生み出し、
互いの絆をより深めていくのだと思う。
私が毎朝の妻の見送りに感謝し、なけなしのお小遣いの中から、
ゴム手袋と、ハンドクリームを買ってきたように。

コメント(367)

一つ一つの些細なことがよく描けていて良いと思いました。一票。

ログインすると、残り335件のコメントが見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

日記ロワイアル 更新情報

日記ロワイアルのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。