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日記ロワイアルコミュの永遠の抱擁が始まる・前編

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※当コミュ内で紹介されているミヤコさんの作品と同様に、抱き合う遺骨の画像を元にして作成した創作です。
 長文ですので、お手隙の時に一読して頂ければ幸いです。
 最初の短編はホラー要素が強いことを、ご容赦下さいませ。






−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 またかしこまった店を選んだものだなと、私はキャンドルの向こうに座っている彼を眺める。
 正装している彼は、なかなか様になっていた。

「たまには背伸びして、夜景の綺麗なレストランでデートってのも、良くないか?」

 そう誘われた時は「最近はずっとお金がないって言ってたクセに」と意外に思ったものだが、普段は2人で部屋でだらだらしながら借りてきたDVDを見るだけだったし、たまに外出しても居酒屋で飲むぐらいで、デートらしいデートをしなくなってもう長いから、たまにはこういうのも新鮮で良い。

「たまにするから、贅沢は贅沢に感じるんだ」

 恩着せがましく言って、彼はメニューをこちらに差し出す。

 食前酒で乾杯をし、私はふと、今朝のニュースを思い出した。

「ねえ。あのニュース、もう見た? 今度ので3組目だって」
「ああ、あの抱き合った遺骨ね。君は1組目が発見された時から興味深々だったな」

 最初の発見はイタリアでされた。
 まるで愛し合っている最中に亡くなったかのような体勢。
 互いを求めるように、愛でるように、抱き合った男女の遺骨。
 2人が果てた後、何者かにそのような体勢に寝かせられたのか、先立たれた方が後になって相方の遺体に寄り添ったのか、死を覚悟した2人が永遠の愛を誓い合って同時に人生を終えたのかは、今となってはもう知るよしもないが、とにかく白骨化した男女の遺体は発見された。

「すっごい素敵だよね」

 私としては、どうしてもロマンに溢れたドラマを空想してしまう。

 こういった抱き合った男女の遺骨は、日本ではいつしか「ロックペア」と呼ばれるようになっていた。

「岩のように白骨化したからロックなのか、互いが互いに鍵をかけるように守り合っているからロックなのか、いまいち語源が解らないな」
「骨のロックじゃない? 単純に考えると」
「そういう歌詞のロックミュージックが、どっかにあるからかも知れないだろう」
「想像力豊かなことで」

 談笑していると、前菜が届いた。
 私達は行儀よく手を合わせ、頂きますと軽く頭を下げる。

 ロックペアには、共通点があった。
 抱き合っている男女は3組とも、そこそこに若いらしい。
 どれも5000年から6000年前の住人だと推定されている。

 不可思議なのが、発見場所が様々で、散らばっていることだ。
 イタリア、アメリカ東部、エジプト。
 特定された地域での風習で遺体同士を抱き合わせたのではなく、たまたま偶然それぞれの理由によって、抱き合う形で白骨化したと解釈するべきだろうか。
 今世紀になって、初めて続々と発見されることも謎だ。

「それにしてもさあ、5000年も昔、どんなドラマがあったんだろうねえ」

 食事の合間にも、私はロックペアの話題に夢中だった。

「ホント素敵。永遠の愛って感じでさ」
「そうでもないかも知れないぞ」

 彼はゆっくりとフォークを置いた。

「彼らは、愛し合ったわけではないかも知れない」
「そりゃ、そうだけど」
「今から話すのは、とある1組の怖い話だ」
「急に何?」

 彼は前菜の続きを楽しむことなく、テーブルの上で両手の指を組み合わせ、肘をついて私を見つめる。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

<振り向かざる者>



「こんな遅くまで、ありがとうございました。馬車、手配しましょうか?」
「いえ結構。ここから遠くないので、歩いて帰りますよ」

 診察にずいぶんと時間がかかってしまった。
 患者の自宅を訪問した時にはもう既に日が暮れていたから、きっと今頃は酒場も閉まっているに違いない。

 玄関まで見送ってきた主人に、「奥さんをお大事に」と告げる。
 自分で放った言葉が、私の胸を絞めつけた。

 ランプに火を灯し、コートの襟を立て、闇に向かって歩き出す。

 街は眠り、空気は冷たく、霧は深い。
 街灯の松明やランプは、ほとんどが消えてしまっている。
 いくら進んでも細い路地から抜け出すことができず、やはり馬車を頼めばよかったと、私は若干の後悔をした。

 闇のせいだ。
 完全に自分の位置を見失ってしまった。

 手に持ったランプを胸の辺りまで掲げ、周囲を巡らせる。
 せめて現在地だけでも把握したい。

 明かりが、私の近くにある様々な物を照らす。
 酒樽や木箱、レンガの壁。

 住宅とアパートの隙間に白い影が浮かび上がり、私は手を止める。
 濃霧の夜中とはいえ、白いワンピースは目を引いた。

 女の後ろ姿だ。
 長い黒髪が揺れることなく垂れ、背中を隠している。

 建物の陰に、女が黙って立っていた。
 足を組むでもなく、歩き始めるわけでもなく、ただ直立して、体の正面を奥に向けている。
 私が持つランプの明かりのせいで影ができているはずなのに、女は微動だにせず、無言のまま通りに背を向けていた。
 上着も着ずに。

 背筋に鳥肌が立つ。
 先月見た時と、全く同じ姿だ。
 そしてこの女は、やはり妻に似ている。

 妻が失踪したのは1ヶ月前だ。
 本屋で万引きと間違えられた時は、自分の潔白を証明した上で店員を責め返すような、気の強い女だった。

「確かな証拠もないのに先走って、人を決めつけることが不条理だと思うの。あたしにとって、これ以上ない侮辱よ」
「そう怒るなよ。その店員も、ちゃんと謝ったんだろう?」
「許すとか、許さないじゃないの」

 できることなら、あの明るい食卓をいつまでも体験し続けたい。
 あの頃に、戻りたい。
 私は、妻を心から愛していた。

 妻が行方不明になって3日目になると、私は深夜を待ち、人目を避けるようにして家を出た。
 従者と馬車を街の郊外に待機させ、大通りではなく、ひっそりとした裏路地を進む。
 迂回になっても構わない。
 誰かに見られるわけにはいかなかったのだ。
 したがってこの時は、暗がりにもかかわらずランプを点けていなかった。

 闇の中でも、白いワンピースは目を引く。
 積み上げられた木箱と物置の間に、女は立っていた。
 壁に前面を向け、ただ真っ直ぐに立っていた。
 私の足音に反応もせず、ただ立ち止まっていた。

 不気味に思いつつ、その場を足早に離れる。

 帰路につく頃はもう明け方で、私はやはり誰にも見られないよう、狭い道を急ぎ足で進んでいた。
 立ち尽くす女のことを思い出し、物置の陰に視線を投げる。

 女は、まだそこに立っていた。
 何も言わず、上着も着ずに、壁に向かっていた。
 妻に似ていると、そこで初めて思った。
 しかし私は声をかけず、長い黒髪の前をそそくさと通り過ぎる。

 あれから1ヶ月。
 今、目の前に、あの時と同じ後ろ姿がある。

 彼女は何故、振り向かないのだろう。
 寒空の夜分に薄着のまま、何もない方向に体を向け、何をしているのだろう。
 普通なら誰も通らないこんな路地に、どうしているのだろう。

 疑問が渦を巻き始める。

 この女は今、どんな顔をしているのだろう。

 女の背中にそっと近づき、明かりを向ける。
 後ろ姿はやはり妻とそっくりで、ワンピースの柄にも見覚えがあった。
 しかし、こいつが妻のはずがない。
 あの頃には、もう戻れないのだ。

 出所不明の恐怖心をこらえ、私は息を飲んでから、ついに女に声をかける。

「君、どうかしましたか?」

 彼女は、それでも振り向かなかった。
 私に背を向けたままで、返事だけをする。

「戻れないの」

 頭の片隅にあった不安通り、妻の声と同じに聞こえた。
 意図せずに、私の喉の奥から小さく悲鳴が上がる。

 こいつが妻のはずがない。
 いくら背格好や服装、声までもが同じであっても、この女が妻であるはずがないのだ。

「貴様、一体誰だ!」

 怒鳴りながら、先月の出来事を思い出す。
 人目を避け、街から出た夜更け。
 この女の後ろ姿を初めて目にしたあの日、私は街の郊外で馬車に乗ると、従者に告げた。

「夜分にすまんね。実は、妻は誘拐されたらしいんだ。今日になって、脅迫状が届いていた。指定する時刻に、ある場所まで来い、と」
「本当ですか」

 従者は目を大きくし、馬にムチを入れた。

「一体どうして誘拐なんか。あんなにいい奥様を」
「それは解らない。とにかく街を出て、私が言う場所で降ろしてくれないか」
「かしこまりました。ところで旦那様、どうして雨具を?」

 雨も降っていないのに、私はこの夜、レインコートを纏っていた。

「森の中が目的地らしくてね、コートが汚れないよう、着込んできたんだ」

 数十分も走れば、道は木々に囲まれる。
 森を分断するように作られた道。
 このどこかに、目指す場所がある。
 目印は木に立てかけられた鉄の棒で、赤い布が巻きつけられているはずだ。
 従者にそのことを教えると、彼はほどなくして、目的の場所を見つけてくれた。
 馬車が減速し、やがて止まる。

「旦那様、ありました。赤い布付きの、鉄の棒です」
「ありがとう。君はここで待っていてくれたまえ」
「くれぐれもお気をつけて」

 馬車に背を向けたまま、従者には片手を上げて応え、森へと入る。
 私はしばらく、木の陰でじっと身を潜めた。
 静かに顔を出すと、木と木の間から、馬車の松明に照らされてた従者の横顔が見える。
 見れば見るほど、彼は若く、整った顔立ちをしていて、そのことがさらに私の怒りを増幅させた。

「君!」

 私は息を切らせ、馬車の前に踊り出る。

「妻が…! 妻が…!」
「どうしました!?」
「妻が、殺されている」
「なんですって!?」
「一緒に来てくれ!」

 森の奥地に向かい、先導する。
 しばらく行くと、妻の亡骸が横たわっていた。

 私が殺したのだ。
 裏切り者の妻を、3日前に、この手で殺した。

「なんてこった…! 奥様が…」

 従者が遺体に駆け寄る。

 妻は、白いワンピースの上に何も羽織っておらず、確認するまでもなく死亡していることが判る程度に、顔を負傷していた。

「奥様が…」
 
 もう1度言って、従者はその場にしゃがみ込んだ。
 彼の低くなった頭を、私は見下す。

「おいお前」

 語気が荒いので、自分に向けられた言葉だとは思わなかったのだろう。
 従者が顔を上げるまで、しばらくの間があった。
 彼の目が、ようやく私を見る。
 そこには悪魔のように憤慨する、怒りに燃えた私の表情が映ったはずだ。

「お前、妻と寝ただろ」

 不思議そうな顔をした従者の顔を目掛け、私は一気に鉄の棒を振り下ろす。
 赤い布が素早く、宙に弧を描いた。

「私の女とそんなに寝たかったら、永遠に寝てろよ」

 気が済むまで殴って、彼の死体を妻と抱き合わせる。
 もしいつか、誰かに発見されるようなことがあっても、これなら心中だと思われるだろう。

 馬車を走らせ、湖に凶器と、返り血に染まった雨具を捨て、街に戻る。
 体は疲れていたが、興奮からなのか、なかなか寝つくことはできなかった。

 2人を殺しても、腹の虫が治まらることはない。
 あいつらは、私を裏切っていた。
 浮気をしていたのだ。
 昔の患者が切り出した世間話が、発覚のきっかけになった。

「先生の奥様は、従者にも優しい、いい奥様ですね」
「と、いいますと?」
「いやね、こないだも、2人で買い物してまして、声をかけたんですよ」
「ほほう、そしたら?」
「いや、挨拶だけです」

 疑わしく思い、急患だと偽って外出し、私は密かに妻を見張った。
 私が見たのは、市内で評判の良い高級宿に入っていく、妻と従者の楽しげな笑顔だ。

 結婚して5年。
 あれだけ愛していたのに。
 あれだけ愛してくれていたのに。

 強く噛み締めたせいで、奥歯がかけた。

 帰ってきた妻に「おかえり」とも言わず、今日は何をしていたのかを問う。

「特に何もしてないわ。夕食の買い出しに行っただけよ」

 妻の無邪気な口調が、余計に勘に触った。
 楽しそうに笑いやがって。
 私以外の男にも、その顔を見せたのか。

「嘘をつけ嘘を!」

 一声で喉が枯れそうになるほど、私は取り乱し、拳を握った。
 そこからは、あまり覚えていない。
 気がつけば血にまみれた妻が横たわっていた。

 森まで死体を運び、私はあの忌々しい従者への報復を巡らせる。

 心中と見せかけて、死体を野ざらしにしてやろう。

 思いつき、実行してはみたものの、気分は最悪だった。

 周囲には「妻に蒸発されてしまった男」としての毎日を送る。
 後日になって、妻の妹が訪ねて来た。

「姉は、あなたを見捨てたわけではないと思うんです」

 彼女は、最初にそう切り出した。

「姉とは、いつも手紙のやり取りをしていたんです」
「手紙…?」
「ええ。『もうすぐ結婚5周年だから、主人に内緒でプレゼントを買った』と」

 結婚記念日を、そういえば私は忘れていた。
 唖然とする私の姿は、彼女には妻の身を案じているように映っているのだろう。
 義理の妹は続けた。

「ちょっと奮発して、評判のいい宿も下調べするつもりだと、それは楽しそうに書いていました」
「それは、いつの手紙です?」
「姉がいなくなる直前の物です」

 彼女は言って、私に封筒を差し出してきた。

 妻の部屋を調べると、引き出しからは小さな包みが見つかる。
 開封するとネクタイピンで、「親愛なる貴方へ」とカードが添えられていた。

 今まで、私はここまでの後悔をしたことがあっただろうか。
 妻は浮気などしてはいなかった。
 それなのに、私は妻を、最愛の女性を手にかけてしまった。

「姉は、あなたを見捨てたわけではないと思うんです」

 妻の妹は、もう1度同じことを言った。

 私は、とんでもないことを仕出かしていたのだ。
 悔やんでも悔やみきれず、仕事に明け暮れることでしか、理性を保てなかった。
 仕事に熱中することで、現実を忘れたかった。
 昼夜を問わず、どこにでも駆けつけ、今夜のように、真夜中に帰ることも珍しくなくなった。

 あの頃に、妻と平穏に暮していた、あの頃に戻りたい。

「戻れないのに」

 あれから1ヶ月。
 私は今、聞けるはずのない声を、こうして耳にしている。

 間違いなく、1ヶ月前に殺した妻と同じ声だ。
 今目の前にあるこの背中の持ち主は、やはり妻なのだろうか。
 いや、そんなはずはない。
 死者は絶対に帰らない。
 それは、医者でなくとも知っている前提だ。

 もう1度、私は震えた大声を出す。

「お前は誰なんだ!」

 肩を掴み、乱暴に引き寄せる。
 冷たく堅い感触がして、慌てて手を離した。

 途端、意識が遠のく。

 女の顔がこちらを向いた。
 血だらけの顔面は腫れ上がり、怒りの形相凄まじく、焦点の合わない瞳で私を睨みつける、それは間違いなく妻の顔だ。
 妻の、死に顔だった。
 錯覚などではない。
 薄れつつある意識でも判別ができる。
 やはり妻だった。

 大きく見開いた妻の目から視線を外せない。
 私は声を振り絞った。

「許してくれ」

 妻の腫れた口元が、ゆっくりと動く。

「許すとか、許さないじゃないの」

 そうだよな。
 そう返したかったが、私にはもはや喋ることさえできなかった。
 視界が白く染まり、足の力が抜ける。

 妻が、私を許すはずがないのだ。
 それを私は、最初から知っていた。

「確かな証拠もないのに先走って、人を決めつけることが不条理だと思うの。あたしにとって、これ以上ない侮辱よ」

 回想の中から届いた声なのか、今目の前にいる亡霊の言葉なのか、朦朧としている私には区別ができない。
 私は膝をつき、倒れ込む。
 石の地面に頬が触れたが、冷気をも感じ取れない。
 地面に打ちつけた際には痛みもなかった。
 まだ目蓋を閉じていないが、真っ白で何も見えない。

 このまま死ぬのなら、せめて私が妻と抱き合って果てたい。

 最後の願いが叶わないことも、私には判っていた。
 妻の遺体は今も、従順で罪のない従者と共に、森の中にいる。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

「あたしが怖い話嫌いなの、知ってるでしょ!?」

 責めると彼は、「ごめんごめん」と笑って、私のグラスにシェリーを注いでくれた。
 前菜は平らげてあるから、今、私達の仕事は、次の料理を待つことだ。

「でもさ」

 ふと、彼の顔を覗き込む。

「今の話って、いつ作ったの?」

 彼はというと、まだ愉快そうに薄笑いを浮かべている。

「なかなか良くできた話だったろ?」
「そうかなあ」

 私は首を傾げた。

「最後になんで主人公が死んじゃったのかなあとか、あと、あれもわかんない。ほら、えっと、振り向かない人」
「振り向かざる者、ね。それが?」
「奥さん、なんで背中を向けてたの? 最初から主人公に襲いかかればいいと思うんだけど」
「ああ、それか」

 彼は再び、可笑しそうに笑う。

「次の話で解るよ。2組目のロックペアの話だ」
「もう怖い話は嫌」
「大丈夫だよ。もう怖い話はない」

 言って彼は、自分のグラスにもお代わりを注いだ。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

<だから死神はフードを被る>



 さらった女が死神だった。
 いやマジでだ。
 うっかりしましたとか、そういうノリじゃ済まされない。
 犯罪者が人間失格なのだとしたら、僕なんざ犯罪者としても失格である。

 スタッガーリーの1人娘を誘拐すべく、小心者にも実行可能っぽい計画を立て、ガクガク震えながら待ち伏せをした。
 やってきた若い女の人に、僕は声をかける。

「おおお、お父さんが大変なんです!」

 声が上ずったのは演技ではなかった。

「とにかく大変なんで、行きましょう!」

 我ながら芸術的なテンパり具合だ。

 娘はというと、ものの見事に全く動じていない。

「お前は何か勘違いをしている」

 冷静な声色だった。

「勘違いじゃないんです! あなたのお父さんが、もう大変なんです!」
「大変なのはお前だ。私に父がいるのか?」
「いるじゃないですか! いやここにはいないけど!」
「どこだ」
「こっちです!」

 娘の手を引こうと手を伸ばす。
 彼女はそれを、すっとかわした。

「触るな。案内してもらおう」

 最近の若い女の人は、王様みたいな喋り方をするのだなあ。
 足の震えや胸の鼓動を抑えながら、ぼんやりとそんなことを思った。

 隠れ家に到着してする最初の仕事は、ドアに鍵をかけることだ。
 次の仕事は、謝ること。

「ホントすみません! 実は、お父さんが大変というのは嘘、ってゆうか。ええ。でもあの、ここでしばらく、人質になって下さい! 危害とかは加えないんで、お手数ですがお願いします」
「私に父がいるというのも、嘘なのか?」

 不意を突くような質問をされ、言葉に詰まる。

「え?」
「2度言わせるな。私に父がいるというのも、嘘なのか?」
「え?」

 問いの意味が解らない。
 スタッガーリーの娘は、どうして父親を存在から疑っているんだろう。
 椅子に腰を下ろし、足を組んで落ち着いている態度も、人質の様子にしては不自然だ。

「あの、スタッガーリーさんの娘さんですよね?」

 恐る恐る訊ね返すと、娘は何かしらを察したような顔をした。

「そういった本人確認は、最初にするべきだ」

 ですよねー。
 ってゆうか、しまった!
 と、心の中で絶叫する。
 背筋に嫌な汗が噴き出し始める。
 僕は、誘拐する相手を間違えていたらしい。
 スタッガーリー家とは無縁無関係の、赤の他人をさらってしまった。

「ホントすみませんでした! 人違いでした!」

 目覚しいスピードで、僕は腰を直角に曲げる。
 どう詫びたらいいのか分からないが、こうすることしか思いつかなかった。

「人違い、か。確かに私は人とは違う」

 不思議な発言に顔を上げる。
 僕はそこで、とんでもないものを見た。

「おうわあ!」

 思わず発した奇声と同時に、後方の床に尻をつく。
 目を疑えば疑うほど、自分の視力の良さを呪った。

「どうだ。『人違い』であろう」

 ガイコツだ。
 椅子に腰掛けた骨が、なんか言ってる。
 さっきまで若い女性だったはずが、いつの間にか白骨に姿を変えていた。
 理科室に置いてあるような模型なんかじゃない。
 膝の上で両手の指を絡ませて組んだ。
 動いてる。

「これが私の本当の姿だ」

 骨が声を発した。
 本当の姿とかって、いきなり簡単に見せてもらえるものなんだ。
 と、驚愕とは裏腹に呑気なことを考える。

「ももも、元の姿にもどもど、戻って下さい」

 どうにか口を動かす。
 ガイコツはすぐに、さっきの娘の姿に変化した。

「デザインとしては人間と同じなのに、怖いのか」

 同じっちゃあ同じだけど、人が骨だけの姿になるには、まず死ぬことから始めなきゃいけないわけで。
 そう冷静に返したかったけれど、僕の心は落ち着いてなんていられない。

「あああ、あんた、なんなんですか!?」
「死神だ」

 ここでもやはり、「ああ、死神だったんですか。それで納得」だなんて返せなかった。

「死神って…」
「その通称は人間が勝手につけただけだ。私は別に、死の神様というわけではない」

 だったら安心。
 だなんて思えるものか。

「両親の記憶なんて無いからな。私がどうやって生まれたのかは知らない。そこでお前が父の存在を思わせるから、興味を持って来たのだが」
「ホントすみません!」
「嘘だったわけか。それはいけないな」
「ホントすみません!」

 ここまで「ホントすみません!」を連呼するのも珍しいけども、他に言葉が出ないのだからしょうがない。
 死神とは具体的に何なのか、正体が骨って以外に、他にどんな能力や特徴があるのか、知りたいなとは少しは思ったが、正直な気持ちとしては、帰って頂きたい願望のほうが強い。

「ホントすみません! でも、あの、人違いだったんで、お引取り願えないでしょうか…?」
「そうはいかない。常々、獲物の生態や常識について知っておきたいと思っていたからな。しばらくはお前を観察することにした。だから私はお前の魂を喰わず、正体を明かし、嘘をつけないようにもしておいた」
「ええ」

 あまりに当然のように言われたので、思わず相槌を打ってしまった。
 えっと、どこに突っ込むべきだろう。
 獲物って言いました?
 俺の魂を喰うとか何とかって、どういうことですか?
 嘘がなんだって?

「お前が私の質問に正確に答えられるよう、まずは私の事情を覚えてもらうことが必要だな。前情報として、知識を持っておけ」

 なんか勝手に仕切ってる。

「死神が他の生物と最も異なる点は、食事にある」

 どうやら帰ってはくれないようだ。

「普通の生物は有機物を捕食し、エネルギーを得て、血肉に変換させるが、死神は違う。喰うのは魂だけだ。肌と肌が触れ、離れた瞬間に食事を自動的に開始する。しばらくは、素手で私に触るな」

 用が済んだら触ってもいいと解釈できる。

「あの、魂を喰われてしまうと、どうなるんですか?」
「知らん。魂を喰われたことがないからな。私は」

 ごもっとも。

「ただ、少なくとも死体は残る。抜かれた魂は私の一部になるわけだから、もし死後の世界があるならば、喰われた魂はそこに行けないだろう」

 ただ死ぬってだけでも嫌なのに。

「物質的な肉体があるのに食料が霊的な物であるという点が、死神の特色になるわけだ。摂取時には直に対象に触れなければならない。そのために必要な能力が、今お前が見ている擬態だ」

 僕がもう帰ってしまいたい。

「催眠術の一種だ。こちらが想定する姿形を、相手の脳に直接認識させる。この声も、私が実際に喋っているわけではない。喋ろうにも、私には声帯がないからな」

 要するに「娘に見えるけどホントは骨で、人間のやり方で喋ろうとしたらカタカタ鳴るだけですよ」ってことか。

「魂は、人間の物が1番だ。動物の魂を喰うことも可能だが、それらはいくら摂取しても満たされない。だから私は人間の街を点々としているのだが、今のこの姿、初対面でいきなり人に触れることに適しているか?」

 突然の質問に戸惑う。
 柄の悪い大男や、酷く顔色の悪い亡霊みたいな風体だったら警戒されてしまうだろうけども、今目の前にいるような若い女の姿だったら、そりゃちょっとは相手の地肌に触れる確率が上がるかも知れない。
 でも、そのことを教えたら、犠牲者が増えてしまうではないか。

「いやあ」

 犯罪者失格ついでだ。
 僕は口を開く。

「もっとこう、髪を振り乱して血の涙を流しながら、やたらシャカシャカと動く、機敏な老婆のほうがいいと思います。嘘だけど」

 応え終えた瞬間「あれ?」と、つぶやく。
 可笑しそうに死神が笑った。

「そうか。この姿は駄目か」
「え。ええ、そうですね。良くないです。嘘だけど」
「ではしばらく、このままの姿で行動するか」

 納得されちゃった。
 そもそも僕は、どうして嘘を嘘だと自分から暴露しちゃっているのだろう。

 死神は、何事もなかったように続ける。

「どうしてこの姿が良いのか、他にはどんな姿が警戒されずに済むのか、そういった法則を私は知らない。しばらくお前に憑いて、人間を間近で研究させてもらう」
「あの、それはいいんです。嘘だけど。あれ? まただ。なんで勝手に…」
「お前はもう、嘘を言えない。正確には、嘘を言うことは出来るが、直後にそれが嘘だと自供してしまう」
「なんですって!?」
「2度言わせるな。自分の身で体験済みだろう。暗示の一種だ。この擬態が『脳の思い込み』を利用しているように、私はそういった暗示をかけることに長けている。お前はいきなり私に嘘をついたからな。それでは困るので、術をかけた」

 あっさりと重大なことを告げられる。
 嘘を言うと、勝手に口が動いてしまうだなんて。
 そんなバカな。

 思いつくままに嘘を並べ立てて、確かめることにした。

「僕は大統領だ。嘘だけど。あ、ホントだ。昨日は空を飛んでハトとスピードを競った。嘘だけど。ああ、やっぱり! くっそう。僕は今まで嘘をついたことがない! 嘘だけど。駄目か! ええい! お前のことが大好きだー! 嘘だけど。ああッ!」
「落ち着け」
「元に戻して下さい!」
「駄目だ」
「そうですか」

 これでは誘拐をやり直そうにも確実に失敗してしまう。
 さらわれる側だって、いきなり知らない男に「お父さんが大変なんです。嘘だけど」なんて告げられた日には、リアクションに困るだけだ。
 僕はがっくりと地面に両手をついた。

 死神が、椅子から立ち上がる。

「お前は普通に生活するだけでいい。私は時に質問をするだけで、お前の邪魔はしない」

 それを聞いて僕は「ああ」と言い、さらに首を地面に向け、曲げた。

 隠れ家と称した小屋を出て、街に戻る道を行く。
 腹が立つぐらいに天気が良い。
 強い日差しが、僕と死神と、木々と小鳥とをまんべんなく照らしている。

 死神はずっと僕の横を歩いているから、知らない人が見たら、健全なデートに見えるかも知れない。
 僕に恋人や奥さんがいなくて良かった。

 それにしても死神だなんて。

 僕は溜め息をついた。

 今でも信じられない。
 効率良く人の魂を喰らうために人間を研究するだなんて、僕のいないところやってほしい。
 だいたい、こいつはいつまで僕に付きまとう気でいるのだろう。
 用が済んだら、もしかして僕は喰われてしまうのだろうか。
 そんなの、めちゃめちゃ嫌だ。
 ってゆうか、今が夏休みで良かった。
 常に若い女性が隣にいるこの状況は、とてもじゃないけど皆に説明できない。
 あと、誘拐も諦めなくちゃ。

 色んなことを考えているうちに、僕らは街に辿り付いていた。

「ああ」

 数度目になる溜め息が自然と漏れる。

「これから、どうすればいいんだ…」
「2度言わせるな。お前は普通に生活をすればいい」
「その普通の生活っていうのは、いつも女の人と一緒だと、何かと困るんだよ。誰かに君のことを聞かれたら、なんて応えたらいいの…」
「当たり前のことも言わせるな。そんなことはお前の采配でやれ」
「嘘も言えないのに!?」
「ある程度なら、私が話を合わせてやる」
「つまり、嘘を言えるように戻してはくれないんですね…」

 取り合えずは便宜上ということで、僕は死神のことをエリーと呼ぶことにした。
 安直な命名だったけれど、でも、とてもじゃないが「死神さん」とは呼んでいられない。
 そんなの、誰かに聞かれたら困ってしまう。
 そのことを告げたら、エリーは「そうか。エリーか」とつぶやいた。

「名前か。ふむ。人間から魂以外のものを貰ったのは初めてだ。そうか、エリーか」

 喜んでくれたらしい。

 街は今日も賑わっている。
 出店に並んだ果実に足を止める者、通りを徐行して人波に気を遣う馬車、設置されたベンチで煙草を吹かす者。
 僕の心情とは裏腹に、平和な光景だ。

「1つ疑問があるのだが」

 エリーが腕を組んだ。

「お前は最初、私を誰かと間違えていたな。誰と間違えたんだ?」
「それはその、えっと、人さらいになろうと思ってて」
「何故だ。習慣なのか?」
「そんな日常であってたまるか!」

 人に聞かれては困る会話になりそうだ。
 僕はエリーを連れて、そそくさとアパートの自室に引き篭もる。

「実は僕は、小学校の教師なんだ」
「ほう。それが何故、誘拐犯に転職を?」
「転職じゃない!」

 喜劇とかで、こういう取り調べがありそうだな。
 なんて思いながら、僕はエリーに誘拐の動機を話す。

 僕の父親には夢があって、最初は町外れに小屋を作り、そこで塾のような活動をしていた。
 さっき僕が隠れ家として利用した小屋が、それだ。

 親父は昔から、子供のことが大好きだった。

「子供にとって、親の次に出会う大人はな、先生なんだ。だから先生は、人間の見本でいなくちゃいけない」

 親父の口癖だ。
 念願を叶えて、今では小学校を設立し、親父は子供達の将来を助けている。
 息子としては誇らしくって、少しでも手伝おうと、僕はそれで教員になった。

 小学校を建てるにあたって、親父は借金をしていた。
 富豪で有名なスタッガーリー氏が、金を貸してくれたと親父は喜んでいた。
 担保は、小学校の土地だ。
 土地は元々、祖父が遺してくれたものだった。

「なるほど」

 エリーが頷いた。

「その金貸しが、お前の職場の土地を欲しがった、というわけか」

 察しが良い。
 その通りだった。
 スタッガーリーは様々な嫌がらせをして、親父の建てた小学校の株を下げた。
 あらぬ噂を流し、放火まがいのボヤを起こし、通学路に馬車を走らせ、生徒の身まで危険に晒した。

「おたくの学校に息子を通わせるわけにはいきませんので」

 そう判断する保護者が増えたのも必然だ。

 このままでは学校が潰れてしまう。
 借金が返せないことで、土地がスタッガーリーの物になってしまう。

 僕は両拳を握る。

「親父がさ、黙って、汗流してさ、焼けた教室を片づけてたんだ。それ見てたら、スタッガーリーがどうしても許せなくなって」
「群れを作って生きる種族らしい発想だな。それで、金貸しの娘を誘拐して、身代金を入手し、手っ取り早く職場を救いたいわけか」
「身もフタもない言い方だけど、その通りです。裁判を起こしたんだけど、スタッガーリーは口が巧くて、どうしても勝てないし…」
「サイバン? ああ、あの豪華な口喧嘩のことか」
「まあ、そうとも言えます。お?」

 玄関の方向から、ノックの音がした。
 珍しいことに、来客だ。

「エリーはここにいて下さい」

 部屋に死神を残し、玄関を開ける。

「先生」
「なんだ、お前らか」

 生徒達だった。
 今まさに学校の話をしていたところに、奇遇なことだ。
 子供らは3人で来ていて、それぞれが神妙な顔つきをしている。

「どうしたんだ? 遊びに来たなら、僕は忙しいから駄目だぞ」
「うん…」

 様子がおかしい。
 僕はしゃがんで、目線を低くした。

「どうか、したのか?」
「先生、あのさ」
「うん?」
「学校、なくなっちゃうって、本当?」

 どうやら、子供達の間でも噂になっているらしい。
 僕は精一杯、優しい表情を作った。

「誰がそんなこと言ったんだ。学校がなくなるわけないだろう? 嘘だけど。げえ!」

 しまった!
 僕は今、嘘がつけないんだった。

 生徒達は3人同時に、「え?」というような顔をする。

「違う違う! 違うんだ! 今のはな、そういう意味じゃなくって」
「うん? えっと、どういう意味?」
「つまりな? 学校がなくなるなんて話が嘘だってことさ。嘘だけど」
「え?」
「いやだから、学校は大丈夫なんだ。嘘だけど。違う! 嘘じゃない! 嘘だけど。いやいや、嘘なのは僕が最後に『嘘だけど』って言ったことが嘘なんだ。嘘だけど。くっそう!」
「先生?」
「エリー! 今だけでいいから解除してくれ!」
「エリーって、誰か来てるの?」
「いや、ああ。そうなんだ。先生の妹がな。嘘だけど。どちきしょう!」
「どっち? ってゆうかさ、先生。もしかして、学校がなくなるって、本当なの?」
「そんなことはない! 嘘だけど。いやいや、分かった! 本当のことを言おう! 僕に困った質問をしないで頂きたいと、僕は今思っている!」
「なんでそこで自分発見するんですか先生」
「僕もそう思った。まあ、落ち着こうじゃないか」
「先生だけだよ、取り乱してるのは」
「全くだ」

 咳払いをして、誤魔化す。

「ところでお前ら、そんな話、どこで聞いたんだ? クラスのみんなも、もう知ってるのか?」
「うん。知ってる。学校にお金がないから、潰れちゃうんだってみんな言ってる」
「マジか」
「マジ。大通りで今、ユニー達が募金活動してるし」
「なんだって!?」

 駆け足で街に出る。
 大通りにはやはり、エリーも着いてきた。
 やがて聞こえてきたのは、まだ声変わりをしていない、幼い大声だ。

「募金をお願いしまーす!」
「僕達の学校が、なくなろうとしています! 募金をお願いしまーす!」
「お願いしまーす!」

 男子も女子も、声が枯れていた。
 ずっと、叫んでいたのだ。
 普段無口のテフラも、いじめっ子のレレイも、ガリ勉のロークスも、必死になって、声を張り上げている。

 親父が黙ってボヤの残骸を片づけているのを見た時と、同じ感覚に陥った。
 目頭が熱くなり、動悸が早まる。

 子供達が、叫んでいる。
 自分のため。
 学校のため。
 声をガラガラにして、叫び続けている。
 お前達も、親父が作った学校を、好きでいてくれたのか。

「エリー、ああいうのを見て、どう思う?」
「群れを作らなければ生きていけない種族特有の発想だと思う」
「そうか。人間は、違う考え方をするんだ」
「ほう」
「僕は決めたぞ」
「何をだ?」
「僕はさっき、訪ねて来た教え子達に嘘をついて、それを嘘だと言ってしまった」
「あれは面白かった」
「あの『嘘だけど』の部分を、僕はこれから嘘にする! 世界初、嘘をつかない泥棒だ!」
「何を言っているのか解らん」
「学校を守るんだ」
「どうやって?」
「スタッガーリーの家に侵入するんだ。金か、土地の権利書を盗む」

 エリーはそれで、「発想が成長していないな」とだけつぶやいた。

 深夜。
 僕はスタッガーリー邸の堀を乗り越える。
 運動神経には自信があった。
 本来は骨だけだからか、エリーも身軽で、平気で僕に着いてくる。
 番犬の類はいなくて、僕は1階の窓を枠ごと外し、屋敷に潜り込む。
 素人の僕が簡単に侵入できるだなんて話が上手過ぎると少し心配に思ったけど、実際はこんなものなのかも知れない。
 空き巣は普通、主人の留守を狙うものだそうだ。
 だけれども、犯行時刻に寝静まった夜を選んだのはベタ過ぎて、案外正解なのかも。
 だったらいいな。

 不安を押し殺すための思案に暮れつつも、僕はランタンに火を入れて、それっぽい部屋の発見に努める。
 最初に開けたドアがトイレで、エリーに「そういう用は先に済ませておけ」と誤解をされた。

 富豪だけあって、屋敷は想像以上に広い。
 あと、暗くて怖い。
 エリーがいてくれて、心強い気がすることが救いだ。

 初めての泥棒は不安で不安で、見取り図の用意がないことや、金庫の開け方を知らないことを思い出し、僕はずっと手に汗をかいていた。
 下ごしらえといえば覚悟を決めたことと、簡単な工具や明かりを用意したことぐらいで、早くも失敗の予感がする。
 下手したら、スタッガーリー氏本人の寝室を開けてしまうかも知れない。
 そうなったら、「部屋を間違えました」と謝るしかないだろう。

 屋敷について、何の知識も下ごしらえもないことに、僕は廊下の途中で思い知ることになった。

「おい、お前ら! 何してる!」

 警備員が雇われているとは、思わなかった。
 明かに腕っ節の強そうな体格の良い男が、ランプを床に置き、腰の棒を抜く。
 首から下げた笛にも、手は添えられていた。
 きっと、あれを吹かれたら、わさわさと人が集まるに違いない。

「あ、あ、いいぇ。違うんです」

 リズミカルにどもり、僕は何がどう違うのかといった説明を綺麗に端折る。

 助けを求めるように、エリーを見た。
 いや駄目だ。
 いくらピンチといえど、警備員の魂を食べさせるわけにはいかない。
 どうしよう。

「エリー、どうしよう」

 小声で囁く。
 エリーはやはり、冷酷だった。

「当たり前のことを言わせるな。自分の采配でやれ」

 マジでか。
 いや、でも、僕にはこんな場面で役に立つような特技がない。
 情けない話だけど、エリーに頼るしかないのだ。
 覚悟ならもう、決めてきた。
 僕は覚悟をしていたんだ。
 思い出せ。
 1人黙々と学校を整備していた親父、街頭で声を張り上げていた生徒達のことを思い出せ。

「エリー、頼み、いや。取り引きだ」

 警備員が棒を構え、こちらに歩み寄ってくる。

「誰も殺さずに、僕を助けてくれ」
「そしたら、何をしてくれるんだ? お前は」
「僕の魂をやる。盗みが成功したら、僕の魂を食べていい」
「動くな!」

 警備員の怒声が、横槍になった。

「エリー、頼むよ」
「お前は愚か者だ」

 エリーは無感動に言う。

「その取り引きは成立しない。お前が失敗しようが成功しようが、魂を喰う喰わないは、私が自由に決めることだ」
「何を話している! お前ら、後ろを向いて手を頭の上に組め!」

 絶望感で、僕の頭がいっぱいになる。

「エリー」

 ワラにもすがる想いで、僕は死神の顔を見つめた。
 なんて冷たい表情をしているんだろう。
 見た目は若い娘なのに、なんて人間味のない顔つきなんだ。

「あ!」

 この、今のエリーの顔だ。
 これを利用できるじゃないか。
 この場を切り抜ける最高の閃きが、僕に降りてきた。

「警備員さん」

 間合いを縮めるようにこちらに近づく大男に、僕は笑顔を向けた。

「彼女をよく見て下さいよ」

 僕自身、最初に見間違えたぐらいだ。
 間違いない。
 エリーは、スタッガーリーの娘そっくりなんだ。
 これで警備員をやり過ごせる。

「彼女、スタッガーリーさんの娘さんですよ。嘘だけど。僕は、こちらのボーイフレンドでして。嘘だけど」

 僕今、会心の作戦実行中、合間合間で何か言った?

「嘘を言うな!」

 警備員の人が、すっごく怒った。
 それにしても「嘘を言うな」なんて、失礼な話だ。
 僕は今、それをやろうとして失敗したのに。

 大男が、さらに決定的な事実を怒鳴る。

「確かに似ているがな! お嬢様はこないだ心臓麻痺で亡くなったばかりだ!」
「なんですって!?」
「そう言えば、今の私の容姿なんだが」

 エリーまでもが、僕に驚愕の真実を告げる。

「先日喰った娘の姿なんだ、これは」
「マジで!?」
「うむ。亡骸の持ち物を調べたらな、馬車の切符があったから、それを使ってこの街に来た」
「お嬢様の名を語るってこたァ、お前ら…」

 ピーと、小鳥の断末魔のような高音が鳴り響く。
 警備員が、警笛を吹いたのだ。

 いよいよ、お終いだ。
 警備員や用心棒達がぞろぞろと、ある者は眠気に耐えるような目で、ある者は飛び起きたかのように駆け足で、廊下に集まる。
 僕らは、完全に囲まれてしまった。
 誰かが点けたのだろう。
 廊下のランプが灯っている。
 サーベルやら木製の警棒が、僕とエリーに向けられた。

「困ったな」

 エリーがつぶやいた。

「このままでは、私まで攻撃されてしまう」

 彼女はそして、僕だけにしか聞こえない小声になる。

「私がいいと言うまで、私を見ないようにすることを勧める。行くぞ」

 どこに?
 そう聞き返そうとエリーに視線を向けた瞬間、世にも恐ろしいものを、僕は目の当たりにしてしまった。

 廊下が静まり返る。

 僕だけではない。
 本当に怖い時っていうのは逆に、何も声が、悲鳴でさえ出せない。
 息を吐けるのに、吸い込めない。
 警備員や用心棒が、顔にある穴の全てを最大まで広げ、固まっている。
 僕もきっと、同じような有り様だったに違いない。

 1人はガタガタと震え、武器を落とした。
 1人は尻餅をつき、失禁した。
 1人は思い出したように絶叫し、這って逃げようとジタバタしている。
 誰もが、それぞれの表現で、恐怖心を最大限に表していた。

「さ、逃げるぞ」

 僕の隣にいる恐ろしい者が言って、歩き出す。
 そうか、これ、エリーなんだ。
 わずかな予備知識のおかげで、僕はどうにか、立っていることができた。
 エリーの後を追うため、足を前に出そうと試みる。

「うわあァ! アアあああ! ンのやらァー!」

 男の奇声が、甲高く響いた。
 警備員の1人が、逆ギレしたらしい。
 エリーに向かって、警棒を振り上げている。

「エリー!」

 叫んで、僕はエリーの腰元に飛びついた。
 そのままの勢いで、僕らは床に擦られるような形で叩きつけられる。
 警棒による攻撃は幸いなことに、エリーにも僕にも、直撃することはなかった。

「危なかった…」

 今の見た目はハゲそうになるぐらい怖いエリーだが、正体は骨だからだろう。
 感触は堅くて細く、体温がない。
 離そうとしたら、手の形をした骨の感触が、僕の手を掴んだ。

「離れるな。喰われるぞ」

 エリーはそして、襲いかかってきた警備員の前に立つ。

「子供達に、この姿を見せてやろう」

 警備員に対して、エリーは意味の解らないセリフを吐き捨てた。
 しかし、僕に鳥肌を立たせるには充分な言葉だ。
 ところが、どんな効果があったのだろう。
 警備員は白目をむいて、気を失ってしまった。

「ひいいいい!」

 また別の悲鳴。
 バスローブを纏った固太りのおっさんが、目を大きく見開いて泡を吹き出し、後ずさっている。
 知っている顔だった。
 騒ぎを聞きつけ、様子を見に来たのだろう。

「スタッガーリー」
「こいつが金貸しか」

 エリーのコメントはそれだけだった。
 特に興味を引かなかったらしい。
 怯える中年の前を通り過ぎ、僕の手を引きながら、エリーは屋敷の出口に向かう。

 土地の権利書なり現金なり、盗むなら今だとちょっとぐらいは思ったけれど、もう僕にそんな気力はなかった。

「うむ。今回はちゃんと戻れた」

 夜風に吹かれる頃には、エリーは娘の姿に戻っていて、僕はようやく安堵する。
 でも、胸の奥は重くて、鬱積したままで、暗い気分だ。

「エリー、さっきのは一体…」
「やはりお前も見ていたか。反応で解った。さっきのは、やはり擬態の一種だ」
「どうして、それで警備員達があんなに…?」
「相手にとって、最も恐ろしいものが見えるようにと暗示をかけた。見えた物はだから、各自で違っていたはずだ」

 そうか、だからか、と納得をする。

「お前には、何が見えた?」

 エリーに訊かれ、どうせ嘘を言えないのだからと、僕は告白した。

「…自分の姿が見えたよ。大金を持って、高笑いする自分の姿だった」
「そうか。攻撃を仕掛けてきた男に、私が声をかけたのを覚えているか?」
「うん。覚えてる」
「あれもな、相手にとって、最も恐怖心を覚える言葉に聞こえるよう、暗示をかけた」
「だからか。僕には、『子供達に、この姿を見せてやろう』って、聞こえたよ…」
「だから見ないほうがいいと言ったのだ。以前、初めてこの暗示を使った時は、元の姿に戻ることができなくてな。苦労したものだ。見られて騒ぎになるのも面倒だったから、人気のない場所を探し、壁に向かって立つ毎日だった」

 エリーは珍しく饒舌で、「黙って立っていただけなのに無理矢理に振り向かされ、勝手に魂を提供してくれた男がいた」などと喋り続けていて、それには僕は相槌も打たず、ただ呆然とする。

「どうした。覇気が消えているぞ。まだ恐れているのか?」
「いや、うん。いくら学校のためとはいえ、僕は誘拐だの泥棒だのしようとしててさ、それがさっきの高笑いする自分なんだって思うと、僕はなんて駄目な教師なんだろう、って。先生は、人間の見本でいなくちゃならないのに」

 エリーは黙ったまま、僕の顔を見つめている。

「おまけに、素手で触っちゃいけない死神に抱きついちゃって。エリーがこの手を離したら、僕は死ぬんだなあって。覚悟はしてたはずなのに、さすがに怖いよ。それに、これじゃあただの犬死だ」
「実に愚かだな」
「うん。でも、もういいんだ。悪いことに手を染める前に死ねたほうが、マシかも知れない。だからエリー、もういいよ」
「何がもういいんだ?」
「僕の魂、食べてくれ」

 夜風がまた吹いて、僕らの髪を撫でる。
 風が収まると、エリーは口を開いた。

「実に愚かだ」
「え?」
「お前は今、様々な勘違いをしている」
「え? 勘違い? どんな?」
「まず、私が切り札として使ったさっきの暗示はな、相手にとって最も恐ろしいものが見えるように化けたんだ。そこまではいいか?」
「え、ああ」
「そこでお前は、自分自身の姿を見た」
「そうだけど」
「それで、何故お前はそれを、自分の正体だと解釈したんだ? 重ねて言うが、私が成ったのは、そいつが恐ろしいと感じる物だ。つまり今回のケースは、お前が最も恐れていた物が、犯行後の自分自身であると判明しただけに過ぎない。お前の実像とは無関係だ」
「あ、え、ああ。そ、そうかも」
「まだあるぞ」
「え」
「お前は先ほど、『素手で触っちゃいけない死神に抱きついちゃって』と言ったな?」
「え。い、言いました」
「死神じゃない」
「は?」
「エリーだ」

 お前がつけた名だ、忘れるな。
 そう言って、エリーは僕の手を引く。
 どこに向かう気でいるのだろう。

「お前はさらに、『これじゃあただの犬死だ』とも言った」
「だって、学校を救えなかったじゃないか」
「決めつけるな。さっきの金貸しにな、お前にやったのと同じ術をかけておいた」
「と、いうと」
「奴もお前と同じく、もう嘘が言えない。言っても、直後にそれが嘘なのだと自供する」
「スタッガーリーが!?」
「これで口八丁は使えない。サイバンとやらにも、勝てるんじゃないのか?」

 ああ。
 どんどん、心に光が差してくる。
 そんな心地がした。
 今なら、もう思い残すことはない。

「ありがとうエリー。なんとお礼を言ったらいいのか」
「礼、か。群れを作らなければ生きていけない種族特有の発想だな、それも」
「そうだ。助け合わなきゃ生きていけないんだ、人間は」

 星空には雲がなく、月は明るい。
 晴天を清々しく想えるって、素晴らしいな。
 こんな最後で良かった。
 僕は空を見上げて、そのまま目をつぶる。

 エリーは当初、「肌と肌が触れ、離れた瞬間に食事を自動的に開始する」と言っていた。
 触った瞬間ではなくて、離れる瞬間。
 今繋いでいるこの手が離れると同時に、僕の魂はエリーに食べられるというわけだ。

 ぎゅっと強く握っていた最後のぬくもりから、僕は握力を緩める。

「ありがとうエリー。思い残すことはないよ。エリーに食べられるなら、僕は後悔しない」
「確かに。喰われたら後悔することさえできない」
「いいから早く喰ってくれよ! 僕の気持ちが変わる前に!」
「そのことなんだがな、私は決めたんだ」

 え。
 と、目を開けて、エリーの顔を見る。
 いつの間にか、僕の手に伝わる感触が、堅い骨ではなくなっていた。
 女の子の、手だ。
 体温も感じる。
 エリーが、僕の触感にまで暗示をかけていた。

「私は滅びることにした」
「なんだって?」
「死神はおそらく、他にもいるだろう。だが、私は滅びる」
「なんでまた」
「触ったら死ぬと知りながら、私を助けたな、お前は。その前は、私に名前をくれた」
「え、だって呼び名に困ると思って」
「私に喰われた魂は、転生できない。それがな、なんだか勿体無く思えた。お前はまだまだ、私に何かくれそうだ」

 僕はなんだか必死になってしまい、「何も持ってないよ」と訴える。
 でも、エリーにはシカトされてしまった。

「お前はきっと、私が食事をするのを嫌がるだろう。だからもう、食事もしないことにしたぞ、私は」

 なんか勝手に仕切ってる。

「そんなことしたら、エリーが死んじゃうじゃないか」
「当たり前だ。しかし試したことがないからな、食事をやめてどれぐらい生きられるのかは解らない。お前の一生分ぐらいは余裕で持つとしても、もしかしたら5000年ぐらい耐えられるかも知れない」

 長生きなことだ。

「お前が死んでも、一応手は離さないでおいてやる。そうだな。お前が骨になる頃に、私が正体を現せば、遺骨だと思われるに違いない」

 正体なのに、死体の擬態になるのか。
 便利なんだか、なんなんだか。

「というわけで、お前の家に行くぞ。確か、黒いフード付きのマントがあったな。あれを私にくれ。こう見えて、私は全裸なんだ。誰かと接触したら、魂を喰ってしまう」
「いや、ちょ、待ってよエリー」
「何を待たせる。ロープも用意してもらおうか。私達の手を縛って、離れないようにしておくとしよう」
「おいエリーったら!」
「心配するな。マントもロープも、擬態で隠してやる」
「いやそうじゃなくて!」
「うるさいな。さっきから、何を言いいたいのだ、お前は」
「僕の家ならそっちじゃない! こっちだ!」

 エリーの手を引っ張り返す。

 全く、なんて人生なんだろう。
 いつでも女の人と手を繋いでいるなんて状況、どうやって子供達に説明したらいいんだ。
 ホント冗談じゃない。
 授業とか、風呂とかトイレとか、問題は山積みだ。
 だいたいこのままだと、結婚もできないじゃないか。

 そんな文句をつらつらと重ねる。
 エリーの返事は、極めてシンプルだった。

「細かいことは知らん。お前の采配でやれ」

 どうやら、マジで一生このままらしい。
 僕は、死ぬまでずっと、エリーと手を繋いで暮すのか。
 そんなの、死んだってごめんだ!
 心の底からうんざりし、僕は嫌で嫌でたまらない気持ちになった。
 嘘だけど。







 後編に続く。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=16450079&comm_id=1841967

コメント(51)

前編、読み終わりました。
仕事中なので後編はまた後で読みます。

いやぁ好きです。このお話。
しかも一つめの話と二つめの話がすこしリンクしてるのが
やるなぁって。ニヤリとしてしまいました。

めささんの書く日記は前から好きで
この『永遠の抱擁が始まる』の前・後編も
時間がある時読もうと思ってしばらくそのままでしたけど
きっと後半も期待以上のオチが待ってるんだろうなって
勝手に期待して後半読もうかと思います。
凄くよかったです。

僕とエリーの関係がハートフル
で素敵です(^^)♪
前・後編のなかで死神の話が一番心に残りました。
1票です。
「僕」と「エリー」のやりとりが面白くて、2人の今後を、できたら番外編以外にも読んでみたいですわーい(嬉しい顔)
先に後編から読んでしまいましたあせあせ(飛び散る汗)
一票です!
後編にしか票を入れてませんでした。

もちろん一票!
票、入れたつもりで入れてなかったみたいです。
一票。
ケータイからでは全文表示されず、PCを立ち上げ夢中で全て読みました。
一票です。

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