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秋山駿(文芸評論)コミュの「追憶の風景」福島泰樹

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         内部の人間  秋山駿
                                 福島泰樹

 放火し続けてゆく精神のかなしけれ午後には霧となりて雪崩れる

  昭和一桁世代の人々がばたばたと斃れてゆく。戦争の時代が青春(思春期)と重なった世代だ。男子の多くは徴兵(徴用)に逢い、志願兵として大空に散っていった少年も多くいた。

    人間の条理不条理
    吹き荒ぶ
    風ありしかば
    悲し弟

 時代に引き裂かれてゆく、人間内部の条理と不条理、出征する兄たちを見送った弟たちの世代を代表する評論家が、磯田光一であり秋山駿であった。(磯田さんは、凛とした青年将校風であったが、秋山さんは、どこか特攻隊崩れ風であった)。
 秋山駿の文学的出自は中原中也であった。「敗戦時の少年」であった氏は、自身のこころの穴(内部の人間)を覗き込むように、中原の詩を探索。詩が立ち上がる、その実存の解明にいのちを注ぎ、四半世紀もの歳月をかけて、『知れざる炎 評伝中原中也』(河出書房新社)を完結させた。この驚異的思考の持続性こそが、路傍で拾った石ころを机上に、何年間もの孤独な対話を続けたという、伝説をもつ作家の真骨頂である。
 「早稲田文学」の先輩として若き日に出会い、酒席の末席を汚した私に、この人と同じ演壇に立つ機会が訪れた。一九九八年十月、鎌倉文学館が「中原中也文学講演と朗読の夕べ」を主催し、秋山さんの講演の後、私は「中原中也絶叫コンサート」のステージに立ったのである。
 鎌倉中央公民館ホールは満杯で、その最前列に秋山さんは座り、後に「刺激のある部隊芸術」と評してくれた。
    生涯を
    ひばりヶ丘団地の
    低層の団地に住まう
    「石の思想」」家

 社会的無用の真実性[内部の人間]の探索は、小松川女子学生殺人事件(一九五八年)の少年に至り、評論「想像する自由」が、三島由紀夫からの激賞を得(三十三歳)、文芸評論家の地歩を固める。この死刑に処せられた少年の内部へのこだわりは、連続射殺犯永山則夫の手記に連繋してゆく。
 一九九六年刊行の『信長』(新潮社)がベストセラーに。生涯を、ひばりヶ丘(西東京市)の 団地に住まう市井の人として過ごした。二〇一三年十月二日死去。八十三歳だった。
 私の中の私と語らう『鋪石の思想』(講談社文庫)の活字の道端に、べらんめい口調の秋山さんが寛いでいる。


__________________________________________

  
  今年一月に刊行された「追憶の風景」福島泰樹(晶文社)より

  まさに「追憶」のことばに充つ一冊。

  秋山駿さんの人となりの一端を窺う貴重な一文だと思い置きました。





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