ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

半島・岬コミュの稲穂岬

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
 北海道奥尻島北端の岬。
 一帯の約6haの多くの石積みが並ぶ海岸で、賽の河原と呼ばれ、海難犠牲者・水難溺死者、及び幼少死亡者慰霊の地となっている。
 享徳3(1454)年8月28日に松前藩祖武田信広が蝦夷地を目指した際に漂着した際、難破船の残骸が累積しているのを見て法要を執り行い、以後、霊場として島民の信仰を集めるようになった。
 嘉永4(1851)年に初めて松前藩による公式供養が行なわれ、この頃から海岸に多くの石積みが建てられるようになり、石造地蔵菩薩立像(リュウゾウ)も複数作られた。
 明治20(1887)年8月に島民が地蔵堂を建立(コンリュウ)して大施餓鬼(ダイセガキ)が行なわれたが、この時、亡霊が多数集結して来たせいで祭壇が弓なりに曲がったとの怪談が伝えられている。このため、以後毎年6月22・23両日に盛大な法要が営まれる事となった。
 ここは海流と海底地形の関係で難破船が漂着し易い場所のようで、海難水死者の家族や奥尻島出身者が帰島すると必ずお参りに来る霊地となった。
 平成5(1993)年7月12日の北海道南西沖地震の際、稲穂集落は震度6の烈震に見舞われたのみならず大津波の第一波到来場所となり、標高4〜7mの地区に最大9.1mの津波が来襲、地区内全ての住宅に加え、住民避難先の宮津小学校も損壊して死者・行方不明者は16名を数えた。賽の河原も大津波によって壊滅、石積みは元より地蔵菩薩像も全て流され地蔵堂や3軒あった売店は半壊してしまった。
 その後の復興事業によって、この一帯は公園として整備され、地蔵堂も再建、海中から発見された一部の地蔵菩薩立像が祀られた。併せて、地震・津波の犠牲になった稲穂地区住民の慰霊碑も建立されている。
 地震後、島人口と観光客の減少に伴い、賽の河原を訪れる人も減少したが、参拝者によって再び積み上げられた和製ケルンは、今日も海の安全と亡き幼な子の鎮魂のため、海辺に静かに立っている。
 今も6月22・23日の例祭は盛大に営まれており、地元三集落が一年交代で準備運営、北海道南西沖地震被害者慰霊が大きな目的となっている。迎え火・送り火・読経・燈籠流し等の宗教的な行事のみならず、芸能発表やソフトボール大会等の娯楽行事も合わせて行われている。
 高台には稲穂岬燈台が建つ。

コメント(9)

奥尻港フェリーターミナルから奥尻町営バスで17分です。
写真では判り難いですが、和製ケルンが林立しています。
岬東側の岩礁では鴎が羽を休めていました。
多くの花々が咲き乱れていました。

左;車百合(クルマユリ)
中;赤詰草(アカツメグサ)
右;浜昼顔(ハマヒルガオ)
左;蝦夷緒車(エゾオグルマ)
中;浜茄子(ハマナス)
右;白花浜茄子(シロバナハマナス)
左;南方の崖ノ岬
中;鬼下野(オニシモツケ)
右;稲穂岬燈台

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

半島・岬 更新情報

半島・岬のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング