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坂本龍馬コミュのこれは史実?フィクション?より竜馬を愛するために事実を知りたい方へのトピ

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こんにちは。

この年になって今頃坂本竜馬さま経由で幕末に興味が起こりました。

(龍馬本はまだ、「お〜い!竜馬!」「竜馬がゆく」「史実 坂本龍馬」のみ)

最近友達から、《竜馬》は実際の《龍馬》をモデルにして作家がフィクションを交えて書いたもの

と教えられ‥‥‥

井蔵でないけど

がっび〜〜んダッシュ(走り出す様)ときちゃいました。

でもこのコミュに入り、いろんな意見を読んでいると、龍馬を《竜馬》としてまで私たちを落涙させたり痛感させたりしているエピソードの一つ一つがいとおしくなりました。

ただexclamation ×2

それ故に、そのエピソードが事実なのかどうか知りたいダッシュ(走り出す様)

知りたいexclamation ×2
知りたいexclamation ×2知りたいexclamation ×2
そんな方のトピを立てさせていただきました。

どうぞ、竜馬や龍馬をより愛するためにお使いください。

できるだけ、質問する方はそのエピソードの載っている本名も書いてください。

答える方はその根拠となるものもお書きください。

よろしくお願いします(o_ _)o


※このトピは言葉足りずだったものを加筆するために一度削除しました。
最初の文をご覧になった方は戸惑われるかもしれません。
ごめんなさい。

コメント(55)

keiさま

そうなのかなぁ〜、と薄々は思っておりましたが、司馬竜馬はほとんどが創作と考えたほうがよいのですね。

‥‥‥‥まだ頭がそのことを避けよう避けようとしますたらーっ(汗)

実際史実に近いものを読んでみて、


がっびーんあせあせ(飛び散る汗)ダッシュ(走り出す様)
(´・ω・`)

と思い知るしかない‥‥で‥‥しょ‥‥う‥‥

あーん。

確かに武田竜馬も司馬竜馬も、私を坂本龍馬さまに目覚めさせてくれた素晴らしい小説。
この二冊がなければ、坂本龍馬さまには会えなかった。


そのことは変わることはありませんが‥‥

〈こんなに夢中にさせといてそりゃないよ〉なんてぼやきたくなっちゃった。←本音
(-o-;

そういえば、龍馬さまにスポットライトが当たったのは維新後、かなりたってからのことのようですね。

まぁ、土佐藩にとってみれば表舞台に立たせたくない〈郷士で脱藩浪人者〉でもあるし、郷士にとっても〈上士と組んだ郷士崩れ〉になる訳だろうし‥‥

(あれ?脱藩後、初めて土佐に帰ったものの、郷士から敵視された話はもしかしてフィクションたらーっ(汗)

それをどなたかが「これだけの事をした維新の立役者、うずもれさせちゃいかんダッシュ(走り出す様)」と記録を残し始めたんですよね。

じゃ、じゃあ、

《この本は史実に近くて面白かったexclamation ×2

という本がありましたら、どなたでも教えていただけないでしょうか。

前にも四冊ほど名前が上がっていましたね。
簡単な感想や内容紹介など書いていただけるとめっちゃ嬉しいです(o≧∇≦)o o(≧∇≦o)

よろしくお願いします(o_ _)o
初めまして〜
僕も、今年から龍馬が行くとお〜い竜馬を読んで
すこし竜馬かぶれになったんですが、
知り合いに相当な竜馬好きがいますが
その人の話だと司馬遼太郎が相当な竜馬好きで良く書きすぎって言ってました
薩長同盟も中岡新太郎の方が功績大きいとも言ってました。


余談ですが
この前寺田屋に行ったんですが、行った時は、お〜これが刀傷か〜とか
竜馬とか勝海舟とか幕末維新のそうそうたるメンバーが写ってる写真もあって
すげ〜〜この写真のメンバーすげ〜とか感動しておりました。
ところが、色々調べてみると、寺田屋も偽物、あの写真も嘘ということがわかり
とてもショックを受けております。
何が本当なのか良く分からなくなりました、とほほ
えっexclamation & question
寺田屋がニセモノォォ〜げっそり
マジですか?ふらふら
何年か前に行って感動したのにぃ泣き顔
鳥羽伏見の戦いで一度焼けたらしいですげっそり
今の寺田屋はちょっと位置がずれてるみたいです家
それやったら、造りなおしてます、雰囲気だけ味わってくださいとか
教えてくれたらいいのに〜〜〜と思います泣き顔
がっびーんダッシュ(走り出す様)ダッシュ(走り出す様)ダッシュ(走り出す様)ダッシュ(走り出す様)ダッシュ(走り出す様)
寺田屋、一度焼けちゃったんですか〜〜。

まだ行ったことないけど、ショック〜〜。

何を信じてよいのやら‥‥‥

(゜_゜) (゜_゜)(゜_゜)
え〜!?焼けてしまっていたんですか!?

あの刀傷は?

あの階段は?

信じ込んでいましたげっそり
はじめましてわーい(嬉しい顔)

寺田屋は確かにショックですよねー。

でも今の寺田屋も明治ごろに再建されているので100年経っているですよね。

なにより今でも宿泊できるのがすごいうれしい顔

寺田屋の写真はこの写真ですよね。

この「幕末維新の暗号」という本では、あの写真本物じゃないの!?

という説に・・・。

確かに何を信じてよいのやら‥‥‥(゜_゜)
その写真です!!
寺田屋に貼ってる写真には人物によって断定とか推定とか書いてるんですよ〜
坂本竜馬は断定って書いてましたよ〜〜
断定って書くなよ断定って・・・・信じるやん・・・泣き顔
勝海舟・・・モンキッキに似すぎやん・・・むふっ
西郷隆盛に至ってはただ太ってるだけやん・・・げっそり
この写真は嘘です。

この写真の出所は明確になっています。ちょっと出所を忘れたのですが、どこだったかの博物館に飾られ説明がなされています。

確か、なになにの勉強会というか学校の教師とその生徒達です。

西郷さんとか坂本さんなどとは全く関係のない写真です。

確か、佐賀藩であったかどこかの勉強会のメンバで、皆さん一般の方々です。それにしてもこの写真は昔から、西郷さんが写っているといってあちこちで出てくるまがい物の代表の1つです。困ったものです(笑)

どこに現物の写真があったか思い出したらまた書きます。

思い出しました。この写真は明治維新後の1872年(明治5年)11月14日に撮影された致遠館の塾生です。つまり幕末に長崎にあった佐賀藩英語塾致遠館の外国人教師とその塾生達です。

この写真は佐賀城本丸歴史博物館に展示されているます。そこにはもっと詳しく説明がありましたが覚えていません。つまり基本的に佐賀藩藩士を中心とした学生のようです。

このブログに写真のことが書いてありますね。
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/2007/01/post_1dcc.html

これが本当なのかな。それともこれもフィクション!?もうやだ〜(悲しい顔)
既出かも知れませんが津本陽さんの龍馬は、事実に即して書かれていて読み応えがありますよ。
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?USID=&W-NIPS=9979438509


ただ、ところどころ新聞記事のような書き方ですが(^_^;)

「お〜い竜馬」は、子供向けで、がんばれ元気を書いた漫画家の手になっているので、小学校で反日教育を受ける前のワクチン注射になります。

司馬遼太郎さんの竜馬がゆくは、青春時代に読むと良いもので、弟が17歳頃に読ませたら、竜馬のような朗らでおおらかな人物になりました。

私が竜馬が行くを読んだのは、大学2年の頃で、あれからもう35年くらいになりますが、今は津本陽さんの龍馬の方が実感が湧くし役に立つ。



龍馬の偉いところは、明治維新を仕上げたところです。

天才経済学者丹羽春喜教授の論文ではじめて知りました。

http://homepage2.nifty.com/niwaharuki/ronbun/Meiziisin-seihusiheide-seikou-.htm


そこに書かれているとおりすが、明治維新を始めるには莫大な軍資金が必要であり、そのことを越前藩の三岡八郎に相談に行くのですが、政府紙幣を発行することによって明治の3年間の財政をまかなったのですね。

いやあ、龍馬がいなかったら明治維新は成功していなかったわけで、これは目から鱗でした。

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=720199340&owner_id=1176751

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=793450306&owner_id=1176751

Curly Hairさん、この文章を書いた高橋先生はよく知ってる方なので今度、たぶん今年の秋に逢いますので、質問しておきます。高橋さんがこんなことを調べているとは知りませんでした(笑)

しかし、佐賀城本丸歴史博物館に展示の説明は高橋さんの説明に比べると簡単なものでしたね。まぁ、世間を騒がしていますよね。この写真は。30年前に鹿児島を旅行したころはこの写真があちこちに飾られていたり売られていましたが、さすがに最近はあまり見なくなりました。 

つい最近、佐賀城本丸歴史博物館を訪れた時に久しぶりに拝見した次第です(笑)
optimistic monsterさん、そうですね。司馬さんの竜馬は35年以上前の我々学生の気持ちを熱くしてくれましたね。それ以来事あるごとに龍馬の姿を探し求めてきたような気がします。

プロテスタントであり、市民革命的精神を持ったオランダ人であるカッテンディーケと勝海舟の出会い、それにより勝海舟の中に生じた国民意識が、坂本龍馬や西郷隆盛に伝達していった話に歴史の1つのロマンを感じてしまいます。

そして司馬さんは、革命後のシナリオを持っていたのは龍馬だけだった、といろいろなところで書いていますね。そのシナリオを描いている最中の死ですね。どこかで由利公正が所持していた龍馬の写真が、その暗殺の頃、胸騒ぎとともに風で飛ばされてしまった、というような文章を司馬さんか誰かの作品で読んだ記憶があります。
三岡八郎(由利公正)というと「経綸のとき」尾崎護(文春文庫)という本がオススメです。
kei さん


長い間、平和な時代が続くと、どうしても幕末のような状況が生まれるようですね。

将軍のご下問に、アメリカでは上の者は衆に優れた能力があり、こればかりは我が国と異なります、とのことでしたね。


今も同じ状況だと思います。

自民党幕府は、上に行くほど幕末の徳川家に似ています。


そろそろ龍馬の生まれ変わりが出てきてもいいころです。


http://www.tek.co.jp/p/


optimistic monsterさん、この世の中いつでも龍馬のようなあるいはそれ以上の若者がいくらでもいますよ。僕はいつもそう思っています。
どうも年齢を重ねるにつれ、体制を守った側のほうに興味を引かれるようになった私。あせあせ(飛び散る汗)

といっても龍馬は、今でも好きですけどね。でもやっぱ若い頃に「竜馬がゆく」のような小説は、読んでおいたほうがいいかな。個人的な意見ですけど。
少しトピ主旨から外れますが、お知らせします。

8月7日号のサライ、龍馬さまの特集です。

〔大特集 「日本の夜明け」を駆け抜けた快男児
坂本龍馬を旅する〕

見ごたえのあるページ数です。

まだちゃんと読んでいませんので内容は詳しく言えないのですが、買って損をした〜ってことはないかと思います。

写真あり、手紙あり。
表紙の龍馬さまなんて、はかまの繕いあとがばっちり分かりますハート
一応、お知らせまで。
サライ、ざっと見てみました。鞆の浦は、行ったことがないので一度は行ってみたいところですね。いろは丸事件は、検証すると海援隊側が悪かったことは明らかなようですが。あせあせ(飛び散る汗)

世界の海援隊のことについても書かれていましたが、これは事実ではないですね。はい。

あと龍馬のブーツは、食指を動かされました。

36

keiさん


>optimistic monsterさん、この世の中いつでも龍馬のようなあるいはそれ以上の若者がいくらでもいますよ。僕はいつもそう思っています。


ははは。
同感です(*^。^*)



martinさま

ショックですよね〜。ショックですよね〜。そのお気持ち、同感いたします。

ただ、「全焼した」という証拠はないようですよ。

龍馬さま繋がりで知り合った方が教えてくれたことで、ネットでもいろいろ検索してみると、さまざまな角度が見えてきました。

ぜひ、ご自分でも探してみて見てください。
寺田屋が焼けたのではないかと言う根拠は‥‥
?@鳥羽伏見の戦いで、各藩の布陣や焼けた辺りを書いた地図があり、寺田屋はすっぽりと焼けた範囲に入っていること

?A鳥羽伏見の後、寺田屋の登記簿にお風呂の部分だけ別の日に再登記されている


全焼していない根拠

?@「全焼した」という記述が残されていない
?A寺田屋の方が焼けたことは認めているが、刀傷や銃痕のあとなどある柱を含めて、元に近い形になるよう焼け跡の材木を使って再建した、と言っている


龍馬さまをお慕いして龍馬さまの実像を探してらっしゃる方、みなさんおっしゃっていますが、

脱藩前の龍馬さまの行動が書かれたものはほとんどなく、

ましてやあれだけの偉業をなした龍馬さまは維新後もしばらく歴史から埋没されていました。

「坂本龍馬を忘れさせちゃいかん」と思った方々が様々な人に聞いて書き残したものがいろんな史実の根拠となっていたりします。

おりょうさんですら、龍馬さまの誕生日をしらなかったと言う‥‥(≧▽≦)ゞ

龍馬さまに限らず、過去の歴史の真実は「これが真実よexclamation ×2」という証拠はほぼ無いに等しかったりします。

古くはひみこ時代から、過去の文献も自分の都合が悪いことをなにげなく残さなかったり、わざと変えちゃったり、誤解から真実でなかったりすることもあるでしょう。

歴史好きな方はそうした謎の部分も含めて、血が燃えるんじゃないかしら‥‥

寺田屋も薩摩藩の寺田屋騒動の後、ぶっ壊れた館内を薩摩藩のお金で直しています。
代わりに「このことは薩摩藩の恥。なにぶん内密に‥‥」と口止されているようです。

寺田屋が再建されたということで、がっかりされたかもしれませんが、別の見方をすれば寺田屋が石の史跡碑になっちゃうより百倍いいですよね。

だって、やっぱり、あの時代を、あの方たちと共に生きてきた建物ですもの。

寺田屋が焼けたと知ってがっかりなさったみなさま。

真実はまだわからないのです。

どうぞ、寺田屋で感じたものを否定しないで大事にして欲しいと切に思っています。
martinさま

長文で失礼いたしました(≧▽≦)ゞ

私も龍馬さまに関することは、「おっと、これはそのまま信じていいんかいな」
と警戒するようになりました。

それは悲しみや憤りからくるものではなくて、

情報を頭を通さずに丸のみにする危険を回避する《心の目》を養う理性的な感じ、でしょうか。

龍馬さまもその点にはたけていたようですしねハート

まだまだ知らない事秤ですが、ゆくゆく、龍馬さまが「おまん、わしのことよくしっちょるのぅ」と目を細めて照れてくれないかなぁ〜、なぁんて。

それが私の思うところですハート

martinさまの載せて頂いた三番目の「坂本龍馬とおりょう」の絵に大興奮ですハート

絵ですので、実物を見ながら書いたものではないとは思いますが、じわぁ〜んと感動しました。

二人が並ぶとこんな感じなんですね〜〜。きゃ〜〜exclamation ×2
o(≧∇≦o) (o≧∇≦)o 

いいもの見させていただきました。

ありがとうございました。(o_ _)o
あぁ、訂正です。

違うことを書いてしまいました。
ごめんなさい(o_ _)o

龍馬全集の初版本には鳥羽伏見の戦いで「焼失」したと書いてあるそうです。

ただ、改訂版には「焼失」の文字はありません。

そして寺田屋さんは「焼失したかどうかは伝わっていない」「焼け跡から使える木材を使用している」とおっしゃっているよう。

登記簿的には以前の隣に今の寺田屋が建っています。

お風呂は鳥羽伏見後の登記後、三年あとになって追加登記されているようです。

ただ、登記簿自体が正しいかどうかの疑問もあるようで‥‥(*_*;

寺田屋さんが再建したのは間違いなさそうです。

問題は‥‥その規模でしょう。

どのくらい焼けて、どのくらいの規模で再建したか‥‥‥(?_?)

まだ足りない部分があれば、補足をどなたかよろしくお願いします。ごめんなさい(o_ _)o

しかしながら、何回も書くようですが、あの建物自体はあの時代くぐり抜け、今に面影を残す大事なもの。

その場所でしか味わえないものを与えてくれる。

私も早く寺田屋に行きたいです(まだ行ってませんあせあせ(飛び散る汗)
なにせ龍馬さまに目覚めたのが去年の冬だったもので‥‥たらーっ(汗)
徳永真一郎氏は小説『寺田屋おとせ』の「余録」(あとがき)に以下のように書いています。ご参考までに。

「現在の建物は、鳥羽伏見の戦火で半焼となったのを、おとせが当時の百円で、半焼前と寸分ちがわぬものを再建したもので、『おとせの百円普請』として評判だったそうな」

ちなみに徳永氏はおとせさんのお孫さんにも実際に会っている作家です。
コンさま

おとせさんって‥‥

あのお登勢さんですよねexclamation ×2

きゃ〜、情報ありがとうございますexclamation ×2

直接私が聞いた訳ではないのですが、寺田屋さん関係者の談話の中で、あれだけ有名なお登勢さんの話が出てこなかったので、不思議だったんです。

ここで出てきましたね〜
(≧▽≦)/

そのあとがきでは「半焼説」ということですよね。
それが事実ならば、焼け跡からあの有名な傷のある柱を使用して再建した、という可能性がありますね。

しかし個人的には、お登勢稲荷の他にお登勢さんの功績を称えるものや文献などがあってもいいのに〜と、なんとなく違和感をおぼえます‥‥。

寺田屋さん、お登勢さんはその後、どうなったんでしょう〜〜
(^O^)/~~

他にも補足ある方はお願いしますデス
( ̄▽ ̄)
秋に京都・伏見を旅する予定であれこれ調べていたところ
寺田屋は焼失し現存する建物は後のもの・・と知って愕然としていたところです。
じゃ〜〜
・・・刀傷のある柱は?
・・・お風呂は?
と疑問でいっぱいになっていたのですが
皆様のコメントを読ませて戴きだいぶ解れました。
ありがとうございました。
龍馬の墓のある霊山は、一時、かなり荒れ果てていたようですが、今の龍馬墓の位置というのは、埋葬時と変わらない場所なのでしょうか?

久坂玄瑞の本墓も霊山と言われているようですが。
夏休みの帰省に、実家のある京都に行きました。

私の実家はauの圏外にあるド田舎ですが(その間、音信不通ですみません)、市内観光に霊山歴史館と京都国立博物館に行ってきました。

そこで買いましたよ。〈坂本龍馬関係資料〉と〈龍馬を読む愉しさ〉

どちらも手紙から史実を読み取る内容で面白いですハート達(複数ハート)ハート達(複数ハート)ハート達(複数ハート)ハート達(複数ハート)

霊山歴史館では〈図解 坂本龍馬〉を買いました。まだ数ページしか読んでないのですが、こちらは日時のタイムベースで書かれている龍馬歴史本って感じでしょうか。

シャアさま
霊山護国神社のことでしょうか。

奈央はその点について、知識がありません。私も調べてみますが、ちょっと時間がかかるかも‥‥‥

ごめんなさいです。

霊山歴史館にお墓の見取り図(誰の墓石がどの位置にあるかを書いた地図)が300円で販売されていました。
が、私は買っていない‥‥冷や汗

そこに何か書いてあったかもしれませんね。
ちょっと話が戻ってしまいますが、寺田屋にも飾られているというフルベッキ写真の件なんですが…。
「幕末維新の暗号」を読んだ方はいますか??
フルベッキ写真の真相をダビンチ・コード風な感じでナンキョウダン(半年前くらいに読んだので漢字は忘れちゃいましたあせあせ(飛び散る汗))なる組織に追われながら解明していくという感じの本なんですが、読み終わって???でした。
正直とんでも作家だと思ってしまいました。
ナンキョウダンは話を面白くするための架空の組織なのかと思いきや、陸援隊の田中光晃がもともとはリーダーだったとか書いてるし…。
写真の坂本龍馬と言われてる人物についても触れていました。
その本では話が南北朝まで遡って、天皇家の事に触れているんですが、残念な事に私は南北朝とかその辺は全然よく知らないので、天皇家の話については本当にそうだったのかもあせあせ(飛び散る汗)と思ってしまいました。
その辺にも詳しい人のその本を読んでの持論を聞きたいんですが…。
若干トピズレでごめんなさいあせあせ(飛び散る汗)問題があったら削除して下さいあせあせ(飛び散る汗)
前後してしまいました。
ごめんなさい優さま。
秋の京都いいですねもみじうらやましいですねもみじもみじ
たっぷり堪能していらしてくださいまし。
ラム♪さま

〈幕末維新の暗号〉に史実に基づく部分があるかどうかということでしょうか。

ラム♪さまは、ほとんど想像の産物の本であると思うけれど、南北戦争からの天皇家の部分はほんとかもしれないと思ってらっしゃるのですね。

奈央はこの本をちゃんと読んでいないのでごめんなさい、よくわかりません。
本屋でぱら読みしたくらいです‥‥

史実を知りたい私としては、ぱら読みした印象からは購入する気になりませんでした。

私からはこんな感想でごめんなさい(o_ _)o
奈央さん
コメントありがとうございますわーい(嬉しい顔)

私は坂本龍馬や幕末に関するいろいろな説を書いた本は、とりあえず読むようにしています。

アンチ龍馬な本もです。自分が持っている知識だけで視点が懲り固まってしまわないためと、どうしてそんな説があるのかを詳しく知りたいし、知りもしないのに否定するのが嫌だからです。

歴史はいろんな角度から見れて面白いなぁといつも感じます。
前にこのトピでフルベッキ写真についての書き込みがあったので、南北朝からの天皇家の事や田中光晃の事をよく知っている人がいれば意見を聞きたいなと思って、トピズレにもかかわらずコメントしちゃいましたあせあせ(飛び散る汗)

あんなトピズレな書き込みにもコメントを下さるなんて、奈央さんはとても優しいですねハート

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