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備後の歴史を歩くコミュの山内不幸

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平成25年5月17日 文化庁
金山寺本堂
岡山市北区金山寺
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E133.57.2.709N34.44.3.263&ZM=10
重要文化財金山寺本堂は、天正年間(1573-1592)の建立とされ、細部の彫刻や内部の彩色に桃山時代の特徴を示す寺院建築として、重要文化財に指定されていた。金山寺本堂は、平成24年12月24日夕刻に発生した火災で全焼し、重要文化財としての価値を失ったと判断されるため、その指定を解除するものである。

金山寺本堂
1923年(大正12)旧「古社寺保存法」による国宝に指定され、1929年(昭和4)の「国宝保存法」をへて、1950年(昭和25)の「文化財保護法」の制定によって重要文化財(建造物)となる。1575年(天正3)岡山城主宇喜多直家の助力を得て、金山寺中興の祖と仰がれる圓智によって再建されたと伝えられる桃山期の建物。桁行5間(13.18m)、梁間6間(15.13m)、一重入母屋造、本瓦葺、正面1間向拝付きの南面する建物で、四周に濡縁を回す。内部は、前面2間通と両側1間通が外陣、中央奥の3間4面が内陣、前面2間通の外陣部は吹放しの時期があり、海老虹梁、長押等の彩色に風蝕がみられる。間仕切りの欄間や大虹梁等に施された彫刻、彩色は絢爛たる桃山様式の特色が発揮されている。

金山寺阿弥陀如来座像
1961年(昭和36)岡山県重要文化財(彫刻)に指定される。檜の寄木造、総高85cmを計り、典型的な定朝様の藤原仏で、彫眼を施した面相、流麗な衣紋などなかなかの佳作である。もとは漆箔塗りで金色に輝いていたはずであるが、金箔は剥落し素地を現している。「金山観音寺縁起」に記載された阿弥陀如来の由来譚から、俗に頬焼弥陀と呼ばれている。


全てが灰燼に帰してしまった。2013年のお盆明けに訪ねてみた。焼け崩れた本堂跡に「山内不幸」の文字を見つけた。社寺は古から焼失再建の歴史が少なからずある。いつの日かこの本堂もかつての建築様式で再建されることを願う。

コメント(1)

江戸時代、天明3年(1788)に建立された三重塔は本堂から離れた場所に建てられていたために類焼を免れた。不幸中の幸いである。

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