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備後の歴史を歩くコミュの円通寺 庄原市本郷町

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円通寺 庄原市本郷町
臨済宗妙心寺末 山号:慈高山 本尊:千手観音
備後西国18番札所

 大正12年編纂「広島県史第二編社寺志」には「比婆郡山内西村本郷」の項に「鳳源寺末」と記載されている。その縁起は「天平元年行基来りて観音・地蔵・毘沙門の三像を刻み、一宇を立てて之を置き千手堂という、元享中大修営して今の寺に改む、大檀那首藤通資、開山玉州」とある。天平元年は729年。行基(ぎょうき)は天智天皇7年(668)に生まれ天平21年(749)に入寂。聖武天皇が発願した奈良の大仏造営にも活躍した奈良時代の僧である。また、元享中は鎌倉時代1321年から1323年をいう。庄原市本郷町はこの地蔵・毘沙門から一字ずつ取って地毘荘(じびのしょう)と称し、平清盛縁の蓮華王院(三十三間堂)領でもあった。鎌倉時代になると山内首藤(やまのうちすどう)氏が地頭となり、正和5年(1316)に山内通資(みちすけ)が入部し甲山(こうやま)城を築いた。円通寺は通資が甲山城麓に菩提寺として建立した寺である。国指定重要文化財の本堂は天文年間(1532〜55)に山内直通が再建したと伝えられている。鳳源寺は 寛永10年(1633)に、三次藩初代藩主浅野長治が浅野家の菩提寺として三次市に建立した臨済宗の寺であるが、現地案内書によると現在は妙心寺末で、通資の再建を正中元年(1324)に京都嵯峨野天竜寺玉州和尚を招いて開山したと紹介している。京都五山派である。

 国の重要文化財に指定された本堂は方三間一重入母屋造の禅宗様仏殿である。裳階を持たないなど規模こそ小さいが「広島県の文化財」には「附厨子1基。戦国時代の天文年間(1532〜55)に山内直通が再建したと伝えられる。三間三面脇仏壇付の禅宗様仏殿として一応の形を整えている。扉は框(かまち)の中央に稜線があるもので古式である。厨子もまた整然とした禅宗様の優秀なもので,おそらく当初からのものであろう」また、文化庁は「方三間の唐様仏殿正規のものである」と記している。こうなると鞆安国寺釈迦堂と見比べる必要がある。

 まず、庄原地毘荘の風景に心が和んだ。田植えが近い田んぼの畦、棚田の土手、道路端など草刈りが行き届いており、見通しがすこぶるよい。まるでゴルフ場の中を走っているようだ。行政に依存しているのか住民総出で草刈りを行っているのかは知らないが、道路にもゴミ一つ落ちていない。民家と田んぼしかない牧歌的な風景が大変美しい。鞆の浦と全く対照的な風景の両方に国指定重要文化財の禅宗様仏殿が現存している。

 カーナビはそんな田んぼの中の道を案内してくれる。所々円通寺への案内板が見える。参道はうねるような田園風景から一変し山を登り細く急坂になる。すれ違いが出来るか心配した矢先対向車が来てしまった。対向車には高齢者マークが付けてある。私がバックする。つづら折りを200mほどバックしやっとすれ違った。次が来ないことを祈りつつ車を進める。この道は甲山城への登城道だ。古くは車道などなく徒歩で参拝したのだろう。しばらく登りやっと山門が見えた。

 本堂を見てみる。屋根は銅板葺き。桁行・梁間ともに三間の入母屋造仏殿だ。扁額は「円通閣」と刻まれている。礎石の上に木製礎盤を敷いて粽を付けた円柱を貫で固定する。頭貫の上に台輪を置き、組物は尾垂木を組み入れた二手先。中備も同様の詰組である。尾垂木・木鼻も禅宗様の通例だ。軒は二軒扇垂木の配列。扉は正面三間とも藁座桟唐戸で、花頭窓はない。ここは内部に自由に入ることが出来る。土間は敷物で保護されている。通常だと瓦の四半敷きであるが確認は出来ない。正面内陣に厨子を置き、中には本尊である千手観音が収まっているはずだが扉は閉まっており見ることは出来なかった。通例通り厨子の真上のみ天井を張り、あとは化粧屋根裏となる。天井には睨み龍が描かれ、それは雪舟作と伝う。化粧屋根裏は扇垂木が放射状に置かれ、二手先が支える通肘木が尾垂木の支点となり軒を跳ね上げている。虹梁大瓶束、海老虹梁などで内陣柱を固定し、隅は安国寺釈迦堂に見られる燧虹梁はない。厨子の裏に回ると昭和47年12月に修理された記録が銅板に刻字されている。それを見ると解体修理が施されて、最後に工事監督として古西武彦氏の名前が刻んであった。鞆安国寺釈迦堂の解体修理も古西氏によるものだ。円通寺本堂は当初柿葺屋根であった。現在の銅板に葺き替えられたのは昭和47年の解体修理以前のことで、予算の都合なのか柿葺に復せなかったのが惜しまれる。しかし鞆安国寺釈迦堂とともに備後の禅宗様仏殿として貴重な文化財である。

写真

左:参道
中:山門
右:山門に掲げられた扁額は薄彫りで「慈高山」


地図

http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E132.57.25.685N34.50.57.237&ZM=7

コメント(9)

円通寺

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左:国指定重要文化財の本堂
中:扁額は「円通閣
右:厨子
円通寺

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左:軒は禅宗様の模範となる二軒扇垂木の配列
中:放射状に配列された地垂木は内部から丸見えとなる。
右:厨子の真上のみ鏡天井を張り、そこに「睨み龍」を描いたのは雪舟と伝う。
円通寺

写真

左:本堂の側面
中:背面の突き出しは仏壇で、これは安国寺釈迦堂にも見られる。
右:その部分に納まるのは向かって右は阿弥陀三尊像。左は観音菩薩と位牌が並べられていた。
円通寺

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左:位牌の「黒白一の字」は山内首藤氏の家紋である。
中:甲山城跡
右:鐘楼も禅宗様だ。
円通寺

写真

左:御朱印
右:大日本古文書 家わけ第十五「山内首藤家文書」
おおおっ!本家の家紋を位牌に発見!
私の先祖、横路与一右衛門は山内家に仕えた侍でした。
位牌のは三つとも山内氏の家紋ですね。

本堂の棟瓦は「丸に二の字」です。
パッと思い浮かぶのは足利紋ですけど・・・?
もう一つよくわからないのがあります。

本堂正面の両開き桟唐戸にこれが・・・。

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