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備後の歴史を歩くコミュの金剛寺 福山市駅家町上山守

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姫居山金剛寺 福山市駅家町上山守
高野山真言宗 本尊 大日如来
大正12年編纂「広島県史第二編 社寺志」には「有秀上人中興、城主土肥和泉守平守平、累代の菩提寺たり、福山志料に、新山福盛寺開山日大上人、晩年此寺を開きて隠居す、光成氏代々の香火院ありと云ふ、此寺昔は四五町奥谷にありしか、観音寺開山宥表上人、此所へ引移し、再建ありしといふとあり」と記されている。その「福山志料」品治郡上山守村をみると「金剛寺 姫居山真言宗明王院末 城山ノ南ノ麓ニアリ、新山福盛寺開山・・・光成氏代々ノ香火院・・・時代シラレス光成右馬允ノ愛女ヲ葬リテ山号トスト云・・・」また「姫居山近江城」として「土肥和泉守守平 備後古城記ニ文安ノ頃トアリ 光成左京進隆正 天正ノ頃トアリ 光成新三郎興家 金剛寺ノ二王門ヲ建ツ芦田郡福田村ニモミユ」芦田郡福田村を見ると「桂平山城 光成左京之進ト云傳フ」また「利鎌山城 光成左京之進隆正 備後古城記 新三郎興家」ともある。

「備後古城記」品治郡上山守村を見ると「姫居山近江城 土肥和泉守平守平 文安之頃(1444-49)。代々墓所、山之東麓の在、元和二年(1616)破却す。又物見屋敷と云うあり、今龍王社と近所。菩提所姫居山金剛寺」とある。福山志料の「桂平山城」は備後古城記では「掛平山城」として光成左京之進隆正、新三郎興家を記している。また「利鎌山城」は福田遠江守藤原盛雅を挙げている。「水野記」を見ると「日光山快性院金剛寺 真言宗 養老元年(717)建立、寺領五十貫、毛利家之代再興十貫を寄す、寛永十六年(1639)住僧宥盛」とある。山号、院号ともに全く異なる。阿部時代に書かれた「備後郡村誌」には「真言宗草戸村明王院末 姫居山大徳院金剛寺」とある。

「備陽六郡志」も「姫居山大徳院金剛寺 開山日大上人」とし、また「三成氏代々の檀那寺なりと。しかれとも時代相知れず」とある。「西備名区」には「盛平(土肥)より隆正に至るまで名字闕(か)く。盛平(守平)、光成と改めしと云説あり」と記す。いずれにしても姫居山近江城主の菩提寺として繁栄していたのであろう。

境内には「大師の水」があり、それには「姫居山金剛寺は今から約千二百年の昔、日大上人によって建立された真言宗高野派の寺です。そして南北朝時代には光成新三郎興家公の菩提寺として栄え、仁王門など古くの文化財を継承している寺でもあります。その時代より本堂の下、しかもお大師様座像の下より脈々と湧きでているのが大師の水で・・・」と紹介されているが、水汲み場から水はまったく出ていなかった・・・。

写真

左:光成新三郎興家が建立したという仁王門
中:古そうな仁王像
右:   〃


地図

http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E133.19.33.083N34.31.36.497&ZM=9

コメント(2)

金剛寺

写真

左:仁王門をくぐって参道を進む
中:桁行三間、梁間四間宝形造の本堂は元禄3年(1690)に移築されたと伝う
右:観音堂 こちらは最近の建立
大師の水・・・?

全く湧き出ていない。

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