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備後の歴史を歩くコミュの杢原荒神社

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荒神社 福山市山手町杢原(もくばら)

 この荒神社の由緒等はまったく不明である。神主さんに尋ねても祀られている祭神さえもわからない。しかし、平成7年11月に地元氏子により社殿を新築された。地域コミュニティとして、また心の拠り所として受け継がれているようだ。社殿に福山城の古写真が掲げられている。旧社殿時代からのものだという。額の裏面には「大正十五年六月十五日写す 向かって左より・・・」として地区名と6名の名前が書かれている。地名はいずれもこの近所だ。この6名は瓦職人か、もしくは左官だろうという。天守大屋根の保守作業に携わり、その記念写真を撮影した。6人の顔までは確認できないが最上階大屋根に手を腰に当てて誇らしげに立っている。

 境内に「杢原古墳←10m」という看板がある。矢印は山に続く道を指している・。その方向に10mほど登ってみたけど古そうな墓地があるだけでどれが古墳なのかわからない。「横穴式古墳で前部は崩れていますが、現在残っている大きさは横幅1.5m・奥行3.4m・高さ2.0mあり、山手・郷分町内で確認できる古墳はここだけです」という記述を見つけた。この辺りは山中に古い石積が点在している。住居跡だろうか。この道は俄山(にわきやま)弘法大師への参道で、道沿いには辻堂が2ヶ所現存している。参拝者はここらで一休みしたのだろう。俄山弘法大師は「弘法の水」として有名だ。今でも多くの愛飲者が水を汲みに来られている。大正8年(1919)ごろに開設された湯治場もある。その湯治場は老朽化のため今年の4月に建て替えられた。建築費は寄付金やわき水の利用料が当てられた。水は10リットル100円で入浴料300円。宿泊(1泊1,000円)で定員は10人。超破格の料金だ。俄峠は沼隈郡から新市一宮への参拝路として賑わったという。その昔、山伏が逃げてきた女郎を切り殺した。その血が川に流れ、川の水を飲んだ人々は腹痛をわずらった。この地に来た弘法大師は杖で地面をつくとそこから霊水が湧き溢れた。この水のおかげで腹痛も治まった。これが「弘法の水」の由来である。


地図

http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E133.19.19.171N34.29.32.456&ZM=10

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