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備後の歴史を歩くコミュの高須八幡神社

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高須八幡神社(たかすはちまん) 尾道市高須町に鎮座する。

旧称は今宮八幡宮。登記はただの八幡神社である。創建は天文16年(1547)の勧請と伝う。その後、慶長4年(1599)8月、寛文7年(1667)11月に本殿が再建された。しかし、文久元年(1861)に焼失。今建つ本殿は明治11年(1878)に建てられたものである。この神社のお祭りはその前夜11町内がそれぞれの高張提灯を先頭に1地区約60名が参拝し、鉦太鼓を打ち鳴らし掛け声勇ましく献灯し「はね踊り」が始まるという。祭神は応神天皇、神功皇后、仲哀天皇の八幡神で戦前まで沼隈郡高須村の村社を勤めた。境内には菅原道真を祀った天満宮が建つ。西備名区には「高須村産社、今宮八幡宮」とし「当社地、元、島山なりしを、万治2年(1659)本庄杢左衛門新開奉行として此沖を築切、新涯となすより陸路に続けり・・・」本庄杢左衛門は松永塩田を造成した本荘重政である。福山志料は西備名区を引用しているが新涯を築いたのは杉原河内守と記す。また、菅茶山は「式内社高諸神社」の項で「沼隈郡にあれともその在所さだかならず・・・」としているが「高須は高諸なることしるへし」と、式内高諸神社はこの八幡神社に比定している。しかし、皇學館大学編纂の「式内社調査報告」には平安時代ではあるけれど延喜式は当時の憲法で「高須」を「高諸」と書き間違うはずがないとこの説を否定している。明治政府は剣大明神を高諸神社に比定した。今まで一度も高諸と名乗っていない神社を比定したのだ。この件に関して濱本鶴賓氏は山手町にある「多賀諸神社」が式内の可能性もあるといわれた。天文16年の創祀というから戦国時代、この地の城主の勧請かも知れない。境内に古志二郎と彫られた玉垣が寄進してあった。

明治11年に再建された本殿は三間社流造である。廻縁、脇障子等は最近修復されている。

写真
左:参道の石段
中:享保二丁酉(1717)の刻印がある石鳥居
右:最近新築された拝殿

地図

http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E133.14.5.053N34.26.10.235&ZM=9

コメント(4)

高須八幡神社

写真
左:流造の本殿 簡略した造りである。
中:背面 
右:修理された脇障子
高須八幡神社

写真
左:本殿
中:拝殿 
右:扁額
高須八幡神社

写真
左:阿形狛犬は玉乗り型
中:吽型狛犬 天保9年9月の刻印
右:古志氏の末裔かな?

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