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備後の歴史を歩くコミュの本郷八幡神社

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本郷八幡神社(ほんごうはちまん)福山市本郷町平山に鎮座する。

由緒書によると承平年中(931−938)、新庄太郎実秀が平岡の地に創祀。しかし、兵乱により廃社となり、建保年中(1213−1219)土肥次郎実平が社領を寄進し再興したと伝う。永正8年(1511)次郎左衛門宗次が大願主となり本郷・今津両村の氏子中により本殿を再建するも炎上。新たに永正18年(1521)11月に再建された。その後も造営を重ね、元和以降の棟札が十数枚現存している。現在の本殿は明治44年再建されたもので、明治42年には村内30社を合併合祀している。祭神は応神天皇、神功皇后、武内宿禰の八幡神に加え合祀された30社分である。

さて、創祀したと伝わる新庄太郎なる人物であるが、平安時代、尾道西国寺寄付帳などにその名が記される実在した人物である。江戸初期の俳人野々口立圃は「承平年間、備後国沼隈郡赤阪に新庄太郎という長者があって金銀財宝田畑山林多く数うべからず、夫唱へ婦和し、父母につかえて至幸なり」、その新庄太郎は尾道西国寺寄付帳に「五重塔建立、当国沼隈郡新庄長者実平」と記されている。また娘、明子は鞆福禅寺を建立したと伝わる。土肥実平は源平合戦の頃、一ノ谷の戦いに敗れ九州に敗走する平家を追う源氏の武将として備後5カ国の守護に任ぜられた人物である。永正8年の次郎左衛門宗次の出自はよくわからない。

明治44年再建された本殿は桁行三間・梁間二間の流造である。高欄付きの廻り縁は三方をを巡り奥は脇障子で止まる。向拝、身舎共に柱は角柱を使う。柱上は舟肘木を置き、中備にはなにも置かれない。身舎と向拝は海老虹梁で繋がれ、向拝の頭貫は木鼻を出して象鼻彫刻が施され、中の柱は手挟みを置く。拝殿は入母屋造で、向拝は妻を正面見せる入母屋造。享保16年(1731)に寄進された石鳥居が建つ。弘化4年(1847)に寄進された狛犬は玉乗り型である。

写真
左:表参道の石鳥居
中:裏手にも2基の鳥居が建つ
右:拝殿

地図

http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E133.14.38.985N34.27.51.267&ZM=9

コメント(2)

本郷八幡神社

写真
左:本殿
中:本殿背面
右:本殿の向拝
写真
左:阿型玉乗り型狛犬
中:吽型 〃
右:秋祭りの幟

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