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備後の歴史を歩くコミュの三原八幡宮

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三原八幡宮(みはらはちまんぐう) 三原市西宮町に鎮座する。

広島県神社誌には、もとは三原城西の山中に鎮座していたものを天正2年(1574)小早川隆景が三原城築城の際に現在地に遷座し三原西八幡宮と称した。永正2年(1505)2月13日、大内対尼子の戦いの時に社殿を焼失。永正7年(1510)に再建、慶長13年(1608)、元和8年(1622)寛永20年(1643)に修復した記録が残る。祭神は誉田別命命(応神天皇)、息長足姫命(神功皇后)、三柱姫大命(宗像3女神)と記されている。三原志稿には西宮八幡宮として永正年中、回禄(火災)にかかり社記ことごとく焼失して鎮座の年代相知れず。旧殿の蟇股の裏に永正7年9月20日の彫とあり。宇佐宮勧請という。また、延宝戊午年8月寄進された石華表(石鳥居)があるとも記されているが現在のは近年新調されている。延宝戊午は延宝六年(1678)である。

現在の本殿は昭和59年に再建されたもので、三間社流造である。前方一間は吹き放ちの外陣となり、外陣柱は角柱。身舎は正規の円柱を使う。外陣と身舎の円柱は海老虹梁で繋ぎ、さらに一間の縋破風で向拝を造る。軒は外陣が二軒、さらに向拝に二軒を造る。向拝柱は虹梁型の頭貫で固定し、木鼻を出して彫刻を施す。柱上は連三斗。中備には蟇股の代わりに彫刻を置く。4本の外陣柱は外側は連三斗、中の二本は三斗組。中備にはそれぞれ蟇股を置く。身舎柱は内法長押を打ち頭貫で固定する。柱上は平三斗を置き側面の中備にはなにも置かない。平三斗は虹梁を支え、虹梁上は出三斗で一手外に出してさらに虹梁を置き、蟇股に挟まれた大瓶束が大棟を支える。この妻飾りは凝った造りである。背面に廻ると中央の中備だけに蟇股を飾る。軒は二軒で繁垂木である。拝殿は妻入りの切妻造で、正面中央に切妻の向拝を造る。狛犬は3組が寄進され、一番古いものは文政年間のものであった。

写真
左:石鳥居と神名石柱
中:参道
右:随神門

地図

http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E133.4.24.978N34.24.1.393&ZM=9

コメント(7)

三原八幡宮

写真
左:拝殿
中:扁額
右:本殿
三原八幡宮

写真
左:本殿の外陣、縋破風向拝
中:本殿側面の妻飾り
右:本殿背面
三原八幡宮

写真
入口の狛犬
大正4年8月
三原八幡宮

写真
丸い台座に載った狛犬

文政十二と読める・・・?
1829年だ。

三原八幡宮

写真
拝殿の前に建つ
明治39年
三原八幡宮

写真
外陣と向拝
蟇股や彫刻は素晴らしい。
三原八幡宮

訪ねたのは8月31日。
茅ノ輪がまだ飾られていました。

写真
随神様

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