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備後の歴史を歩くコミュの糸碕神社

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糸碕神社(いとさき)三原市糸崎町に鎮座する。

祭神は応神天皇、仲哀天皇、神功皇后の八幡神である。天平元年(729)宇佐宮から応神天皇の遺髪を勧請し創祀したという古社だ。近世は三原城主小早川氏や福島正則、浅野氏からも崇敬されている。元和8年(1622)7月15日に炎上するが、寛永元年(1624)6月に広島藩主浅野長晟、三原城主浅野忠長等により再建。万治2年(1629)には拝殿を建立した。宝暦2年(1752)に再度火災で焼失。宝暦9年(1759)に再建。今の本殿はこれである。神功皇后が三韓征伐に赴く途中、舟をこの地に寄せ水を献じたということによって井戸崎(いとさき)というようになった。糸碕神社境内のこの井戸の水を献上したと伝えられる井戸があり御調井(みつぎい)と称される。また樹齢約500年といわれる三原市の天然記念物に指定されている胸高幹周りで13m、樹高約30mという超メタボの大クスノキもある。大正13年に県社に列格、もとは三原城の鎮守であったという。神門は三原城侍屋敷門の1つが移築され、三原市指定重要文化財だ。数少ない貴重な三原城の遺構である。石鳥居は宝永4年(1707)三原浅野家4代、三原城主浅野甲斐源忠義が寄進している。

宝暦9年(1759)に再建された本殿は桁行三間、梁間三間、平入りの入母屋造で千鳥破風を飾り、向拝は軒唐破風。身舎は前方一間分は吹き放たれた外陣となる。妻飾りは虹梁大瓶束である。身舎柱は円柱を使い、頭貫の上に台輪を乗せて下側には長押を打つ。支輪を挟んで一手先出組が丸行を支える。軒は二軒繁垂木で、屋根は銅板葺きである。神紋は三巴。高欄付きの縁は四方を廻る。

拝殿は、桁行五間、梁間三間の入母屋造で正面に千鳥破風を飾り向拝は一間の軒唐破風だ。これも前方一間は吹き放ちとなる。

写真
左:拝殿向拝の扁額 さりげなく「深小川」
中:石鳥居
右:拝殿

地図

http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E133.7.6.834N34.22.53.244&ZM=7

コメント(5)

糸碕神社

写真
左:三原城遺構の神門
中:クスノキの胴回り
右:拝殿
糸碕神社

写真
左:御調井
中:神功皇后縁の石碑
右:本殿の背面
糸碕神社

写真
左:本殿
中:本殿の軒唐破風向拝
右:本殿妻飾り 虹梁大瓶束
糸碕神社

写真
左:本殿前の狛犬 こっちの方が古い
右:狛犬

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