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備後の歴史を歩くコミュの古市荒神社

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古市荒神社(ふるいちこうじん) 福山市神辺町平野に鎮座する。

由緒、縁起等は不明である。元禄13年(1700)の検地水帳に記載されているから江戸時代には存在していたことが証明される。荒神については読んで字のごとく、荒ぶる神を鎮めるために創祀されたと考えてよい。ここでは火神カグツチが祀られているが、かつてこの地で大規模な火災が発生し不幸があったのかと想像される。また、台所に備わる竈(かまど)に宿るとされる奥津彦(おきつひこ)、奥津姫(おきつひめ)も荒神に多く見られる。やはり火を使う場所なのだ。この荒神社は毛利藩士有馬喜惣太が描いた1750年頃の街道絵図「中国行程記」に一里塚と四ッ堂と共に記載されている。一里塚は史跡に置き換わり、四ッ堂は朽ち果てたのか、石仏がブロックで囲まれているだけになっていた。257年前には確かにここにあり、行き交う旅人を見守っていたに違いない。

社殿は三間社切妻造の拝殿と、一間社妻入の入母屋造の本殿を持つ。
建物の入り口をどちら側に付けるかで「平入」と「妻入」と区別される。
拝殿は「平入(ひらいり)、本殿は「妻入(つまいり)」となります。

拝殿(はいでん)の屋根面は手前側と奥側との二面のみです。これを切妻造(きりつまつくり)と称し、本殿のように切妻の左右に少し下がったところからさらに庇(ひさし)を付けた合計で四面持つ屋根を入母屋造(いりもやつくり)と称します。屋根面があわさる部分を棟(むね)といいます。切妻だと一番高いところの水平方向に一カ所持ちます。入母屋はさらに左右の庇とも接続されますので、一番高いところを大棟、一段下がったところから四隅にそれぞれ四ヶ所出来ます。この斜めに降りてくる棟を降棟(おりむね)という。したがって大棟と合わせて5本の棟を持つことになります。

写真
左:江戸時代の山陽道に面して建つ石鳥居。近くには菅茶山がいた廉塾があり、もう少し西に行くと神辺本陣だ。
中:一里塚跡と拝殿
右:妻入り入母屋造の本殿


地図

http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E133.23.30.567N34.32.35.762&ZM=9


コメント(1)

古市荒神社

写真
左:「中国行程記」
中:一里塚、荒神社、四ッ堂の部分
右:残念ながら四ッ堂はこれだと思う・・・?

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