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備後の歴史を歩くコミュの水呑八幡神社

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水呑八幡神社(みのみ) 福山市水呑町に鎮座する。

この神社の縁起が面白い。創建は永禄十三年(1570年)8月とされるが永禄十三年は4月23日で元亀(げんき)へ改元している。それまでの水呑村は、先に紹介した瀬戸町長和に鎮座する福井八幡神社の氏子であったが、秋祭りで喧嘩が起こり水呑の若衆が福井八幡のご神体を奪って逃げたのだ。福井八幡から峠を越えれば水呑村の洗谷だ。ご神体を取り戻すために追う長和衆も必死だ。追いつかれそうになった水呑衆はご神体を隠した。騒ぎが落ち着いてからその場所へ水呑八幡神社を建てた。しかし水呑の中心地からは遠く、あまりに不便なために現在地へ遷座させたとある。旧社地には石碑が建てられている。平井隆夫氏は「おもしろふくやま史」の中で、数村合同の神社では、力を付けた村は独自の神社を欲しがっていた。同じようなご神体の奪い合いが坪生庄新中八幡社でも起こり、水呑衆はそれを知っていて機会をうかがっていたのではないかと記されている。奪われた新中八幡社と奪って創建された大門八幡神社、また訪ねてみたい。庄園が解体された時代のことである。祭神は応神天皇、神功皇后、仲哀天皇、いわゆる八幡神だ。本殿は三間社入母屋造、向拝付き銅板葺き屋根。拝殿は五間社入母屋で本瓦葺き、向唐破風向拝を持つ。現在の本殿は明治三十六年に再建されたものだ。

写真(狂ちゃん撮影)

左:桜咲く参道と石鳥居
中:拝殿
右:本殿

地図

http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E133.22.43.771N34.26.24.320&ZM=11

コメント(9)

なるほどですね。勉強になります。
縁起は知りませんでした^^;
小学校のとき、ここをスタートに洗谷まで神輿を担いだ記憶があります。
>ヴェルケ@左党さん

福井八幡神社の氏子に知人に喧嘩御輿の話を聞いたのですが、この話は知らないと言うことでした。

ヴェルケ@左党さんは水呑ですか?
水呑の旧社地、洗谷から現在地への遷座は慶安四年(1651年)八月のことだそうです。一村一社でも揉め事は起こります。ましてや四村や五村で一社ともなれば・・・。

洗谷の旧社地に建つ石柱の写真があれば是非アップしてください。よろしくお願いします。
力を付けた村は独自の神社を欲しがっていた……て、何でだろ?
神社で何かの象徴だったのかしら?
この頃の長和、坪生などは荘園として朝廷から支配されていた。朝廷は宇佐八幡宮から京都に勧請した男山八幡宮(石清水)を権威の象徴とし、各地に持つ荘園に八幡神を勧請し地元民に祀らせていたのだ。荘園は、戦乱の世になり領地を直接支配する城主に支配権が移り解体されていった。政治や信仰の中心的存在だった八幡神社を荘園から独立した各村が、特に財力に長けていた村が欲しがったのではないか。木の板に御幣を付けた幣串(へいぐし)といわれるものをご神体とするならば、御幣分けというやり方で分社すればいいのだけれど、この頃のご神体は仏像が多かったらしく、それを分けると言うことは不可能なことだったのではないかと思う。
水呑八幡神社旧跡地

洗谷公園内に立派な石碑が建てられていました。この場所が旧跡の東南200mとありますから旧跡地は城陽団地内辺りでしょうか?
碑文には「洗谷一本木の随入宮の段」と記されています。

http://www.chizumaru.com/maplink.asp?SER=all&D=all&X=480119.286&Y=124050.206&SCL=758
水呑八幡神社

写真
左:石鳥居は寛政9年(1797)の建立
中:顔のつぶれた阿型玉乗り狛犬
右:吽型玉乗り狛犬 天保12年(1841)建立 
水呑八幡神社

写真
左:もう一対の狛犬。建立年は確認できず。
中:こっちの方が新しそうです。 
右:本殿の裏手 立派な石垣が積まれている。
水呑八幡神社

写真
左:向拝虹梁型頭貫の木鼻彫刻と海老虹梁 
中:身舎の頭貫と和様の台輪。一手先の組物、二軒繁垂木
右:中備には蟇股
水呑八幡神社

写真
左:本殿の背面。支輪は雲支輪が施され、これは珍しい。 
右:脇障子

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