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当たり前の生活の中の自宅介護コミュのお久し振りです。

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管理人でありながら、実際の介護から離れて間もなく2年になります。

しばらくトピックの更新が無い事が気になりながら今まで過ぎてしまいました。
介護に携わっている皆様が平穏無事であるのなら、それも良い事なのかもですね。

今日、実家の98歳の母を訪ねました。
いよいよ足腰が弱ってきましたので、介護される生活がやってきたようです。
感想を日記にしました。

あまり参考にならないかと思いますが、せっかく立ち上げたコミュですので引用しようと思います。
読み流してくださいね。


11月14日、日記より引用

『4、5日前に、急に母の足腰が弱くなり移動が1人では無理になったと姉から電話があった。

昨年も転んで歩けなくなった事があったが、幸いに程なくして復活する事ができた。
それでも常に姉の見守りは必要だった。
今度は特に原因も無いのに突然足に力が入らなくなったらしい。
そしてついにトイレに移動させる介助の時に、姉は腰を痛めらしい。
 
今日は朝からかなり激しい雨が降っている。
雨の日の運転は嫌だけれど、姉の様子も気にかかるので朝食後に出かけることにした。

大町までは一山越えなければならないが、道中の途切れなく続く紅葉が素晴らしかった。
雨が少しずつ小降りになってきて、そこここの山あいに雲海のような霞がかかり、少し遅目の紅葉なのになんとも趣がある色合いになった。

介護認定の申請をすぐしたほうが良いという私の意見を聞いてくれたので、既にその手続きは済んでいる。
これからは寝たきり状態の可能性があるので、入浴の支援やベッド、車椅子のレンタルなどが必要になる。

今まで自宅で準備してきた廊下のあちこちに取り付けた手すりやお風呂の手すりや椅子だって、本当は援助が受けられた筈だと私は思っている。
ピンピンしているお年寄りがデイサービスに行っているのに、1人で歩けない状態の98歳の母が「要支援1」にしかならないという昨年の介護認定の結果には未だに納得がいかない。
立ち上がることさえ容易でない母なのに「要支援1」では何も利用できない。
姉が自宅で介護できる以上、「要介護」の認定はできないと言われた由。
「まだ何も介護していないでしょう」という認定員の言葉に傷ついて「要支援」もお断りした。
介護保険が広がった今でも、市町村の方針そして認定員の資質に左右されるところが大きいようだ。

まだ結果は来ないが、今回の認定員はしっかり話を聞いてくれたようだし、母の様子も分ってもらえたようだ。
自分で起き上がることもできないのだから、要支援という事はないだろう。

母はまた一回り小さくなってベッドに寝ていた。
声をかけたら目を開いたが、私の事も認識できないようなうつろな表情だった。

母を食卓に連れてきて、みんなで昼食にした。
慣れない上に小柄な姉は母を起こす事も移動させる事も大変な様子だ。
こんな時にこそ夫の介護経験が役に立つ。
経験で得たコツを伝授する。

母は先日までは箸が使えたのに、今日はスプーンがうまく口に運べない。
でも持っていった黒豆は母の好物なので、楊枝にさして良く食べている。

そのうちに前こごみだった母の姿勢がシャンとしてきた。
私を見つめ、一瞬聞き取れない声だけれど話しかけてきた。
私の事も分ったようだ。
どうやらにぎやかな会話の飛び交う食卓にいるうちに、脳が目覚めてきたらしい。

最近は自分で起き上がれないので、俳句を詠むこともなくなったらしい。
兄と姉との3人の生活の中では、これからますます寝ているだけの生活になってしまう。

「あんなところには行きたくない」と言っていた母だが、お風呂に行くという口実でデイービスに行けば案外順応しそうな気がする。
人前ではいつもきちんとしている母なのだ。
できるだけ人と接触した方が良い。

1週間お風呂に入っていない母を簡易車椅子で風呂場に連れて行って、シャワーで洗い着替えたあと爪を切った。
「ありがとう、さっぱりして気持ちよかったよ」という母の言葉が今度はしっかり聞き取れた。
こちらの指示もちゃんと聞き分けて協力的だったので、あまり苦もなかった。


その後、姉と共に母の部屋の模様替えをし、月に来る予定のケアマネさんに聞くこと、お願いしたい事など色々打ち合わせをした。

「98歳になるまで、ちゃんと1人でやっってくれていた事を感謝しないといけないね。
これからは私も介護頑張るよ。
今日はあんたがきてくれて心強かった。ありがとう」と姉は言ってくれた。

父の介護の時は母任せで、私が母を助ける事が迷惑気味な態度だった姉が、こんな言葉を口にしてくれたのでなんだかとても嬉しかった。
私たちは4人姉妹だが、介護に当たれるのは私と姉だけなので、私もできる限り手伝おうと思っている。
残り少ない母との生活を大切にしたいと思っっている。

母は「又来週来るからね」という私の手をしっかり握って私をみつめ、
「ありがとう」と言ってくれた。』

コメント(5)

素晴らしいお母様ですね
98歳でも、認知症ではないのですね
足腰が弱ってくるのは、仕方のないことだと思います
私の母も、介助付でようやく歩けます。
毎日おトイレに連れて行くのに、腰も腕も痛くて
腱鞘炎みたいです
車のハンドルを、動かすだけで、左腕が痛くて
ウ〜〜〜(ToT)といいます
でも果てしない介護は続いています
私が介護出来なくなったら、母は預けなければ生りません
介護度4でも、私の事は未だ分かります
ですから、一生懸命頑張っています
命を託されているのですものね
mail toりんさん
ありがとうございます。
毎日のお母様の介護御苦労様です。

「命を託されている」という思いは介護をしていると本当に感じますね。
だからこそ時に悲しく、時に重く感じるのですね。

一緒に暮らしている姉は、これからは気持ちの上でも大変になると思いますので、しっかり手助けしていきたいです。
私の歳になると、親が生きている方は珍しいです。
少しでも親孝行ができる事は幸せなことですね。

腱鞘炎がひどくなりませんように。
okoさん

日記読ませていただきました。
これから介護生活になるお姉さまの強い助け手になられますね。
助けて下さる方がいるのはなんてありがたいことなのでしょう。
私も友人が食事介助の手伝いに行くよと2人言ってくれました。
そのとたん血を吐いて中止。でも病院にお弁当を持って来てくれました
(私のために作って)。
涙が出てきて、本当に嬉しかったです。
介護保険がそういうあたたかいものになるといいなあと思っていますが
病院の介助は使えず、認知症の話し相手だけはできないとか・・・
NPO法人でも作ってこれからの老後を暮らしやすくしたい!!と
真剣に思います。
こんばんわ

okoさんに日記を読ませてもらって、母の事を思い出していました。
それと同時に突然居なくなった義母の事も。

日記に書きましたが14日、嵐の中姫はまさに嵐のように義姉に引き取られていきました。
「お世話様」の言葉も「ありがとう」の言葉も聞かないままの出来事でした。
何だかあまりの事に変な気分でした。

でも、今は家の中がどうしてか暖かいです。
二人っきりの生活でどうなるかなと思っていましたが、それなりにやることは一杯で来てきました。
その上欲が出て来て「あそこに行ってみたい。ここも行きたい」と今までがウソのようです。
介護が無くなっただけでこんなに違うなんて変ですね。

私がこんな気持ちになれたのも、oko さんや皆さんの励ましやアドバイスがあったからだと感謝しています。

okoさんが私に色々教えて下さったように、今度はお母様の為にお姉さまに力を貸してあげて下さい。
そして、お母様が一日も早く回復される事をお祈りしております。
揺れるハートごりさん
ごりさんが初めて長年の介護から解放された喜びを、私も嬉しく思っていました。

でも、生活費をあるいは遺産相続を目的にして、強引に母親を連れて行ったのに、義姉さんはたった4日しかお世話ができなかったのですね。

94歳の動けないお母様を、留守宅の玄関前に汚物の入った段ボールと共に置き去りにした義姉さんの仕打ちを知って、とてもショックを受けています。
しかもこの寒い時期にパジャマ姿のままで・・・。

もしお義母さんが声をあげて泣かなかったら・・・、御隣の家がお留守だったら・・・、旅行に出発したごりご夫婦は一晩戻らない筈でしたから最悪の場合死んでしまったかも分りません。

このようなお義姉さん達に振り回されてきたごりさんの今までの辛抱が、どんなに理不尽なものだったかということが、今更ながらよくよく分りました。

血のつながらない嫁が涙をこぼしながら風呂に入れている間
、母親が無事に家に入れてもらえたか確認もしてこない実の娘に暖かい血が流れているのでしょうか。

ごりさん、元気出してくださいね。

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