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霧生ヶ谷市役所企画部考案課コミュの短編:それもまた、日常

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 からりころり。
 聞きようによってはカウベルのようにも思える音が<バー ルアー>の店内に響いた。外の様々な音がゆっくりと流れていたジャズを侵食し、さらに騒々しい来訪者が落ち着いた小さな店内を掻き乱す。テーブル席にいる数人の客が視線を一点に集める。
「ここ、ここだって。間違いない。ほらビンゴッ」
「分かった、分かったから、少し黙れ。迷惑だっての」
 扉がゆっくり閉まると、青年が二人残っていた。二人ともシャツにジーンズ、スニーカーと一目して学生と分かる非常にラフな格好だ。服装コードがあるわけでもないので問題はないが、あからさまに店の雰囲気からは浮いていた。恐らくは『噂』を聞いて興味本位で訪れたのだろうと思われた。少なくとも、異様にテンションの高い方の青年はそうなのだろう。そして、もう一人の背が高くがっしりとした方の青年がそれを諫めている。
「ったく、俺明日は早いんだっての。大体こういう所に来るんだったら久遠寺誘えよ」
「だって晶の奴、『お好み焼きを極める』とか言って出かけてやがんだもん」
「だったら光輝は?」
「兄貴が連休に外でる訳ないだろ。部屋でコレクション見てるよ」
「引きずり出して来い、つうかそれで俺かよ。だったら、初めっからどこ行くのか言ってくれ。そしたらそれなりの格好してきたから」
「それは、悪いとは思っている。思ってるだけだけど」
「だったら言うな」
「けど、適任だろ」
「どこが」
「酔いつぶれたら運んでもらえる」
「ふざけろ」
 いや、むしろつられて騒ぎを大きくしているとみるべきなのか。それでも流石に店内の注目を集めているのに気付くと「で、どこ座るんだ」と小さい方の青年の肩を押す。
「んーーー」
 小さい方が店内を見回す。とは言え、狭い店の事、カウンターと後はテーブル席が片手で数えられる程度あるだけで、且つテーブル席の方は既に埋まっている。迷うまでもなく奥のカウンター席しか選びようがないのだが、何故か嬉しそうに「カウンターが空いてる。あそこにしよう」とさっさとストゥールに腰掛ける。背の高い方が未だ控え目にとは言え店内の注目を集めている事に顔を顰めながら後を追おう。
「いらっしゃい、何にします?」
 若い女性のバーテンダーが柔らかな声色で問うて来る。傍迷惑な二人のやり取りに一番の迷惑を被っている筈だが、そんな様子は微塵も感じられない。
「ピンクレディー」
 即答した小さい方の頭に拳骨が落ちた。中々いい音が響く。カウンター席の隅で笑いを噛み殺す気配がした。
「いきなり妙なもん頼んでんじゃない。お前酒じゃなくてそっちが目的だったのか?」
「えーと?」
 今にも明後日の方向を向いて口笛でも吹き出しそうな様子に背の高い方が再び拳を固める。もう一度快音が響こうかというところで。
「ピンクレディーですね。承知いたしました。それでは、お連れの方は何にしますか?」
 虚をつかれて目をぱちくりさせていた背の高い方が呟く。
「いいの?」
「構いませんよ。ご注文があればエッグノッグも作らせていただきますし」
「ほらほらー、意識しすぎなんだって。ひょっとしてやっぱりムッツリ?」
「喧しい!」
 再び響く快音、カウンターに沈む小さい方。
「なら俺はミスティネイルを」
「はい」
 微笑んでバーテンダーが作業を始める。材料を揃え、シェイカーを振る。
「へぇ……」
 その姿に背の高い方が感嘆の溜息を洩らし、慌てて口を押さえた。思わず洩れたものらしい。
「見惚れたね」
 いつの間にか復活した小さい方が背の高い方の肩を小突く。
「さあね。けど、まあ。流石だよな」
「だね。いいもの見た。来た甲斐があったね」
「ああ。けどな、お前はもう少し落ち着け。そもそもバーは」
「『自分と酒を飲む場所』、だろ。知ってるよ。お互い蒼井さんからの受け売りだけどね」
「るせ」
 二人がぼそぼそと言葉を交わす間にバーテンダーはシェイクを終え、中身をカクテルグラスへと移す。淡いピンクの液体がグラスを満たした。
 続けて次の準備に移るバーテンダーに背の高い方が声をかける。
「すみません。注文の変更良いですか?」
「え? あ、はい。大丈夫です」
 バーテンダーは少し面食らった風な面を見せながらもすぐに落ち着きを取り戻す。その様子に背の高い方が僅かに笑みを浮かべた。
「それじゃ、マティーニお願いします」
「承りました」
*
 コトンと空になったグラスがカウンターの上で音を立てた。
「ご馳走様。さて、次行こう。次。先行くからね。下弦の月。会計よろしく」
 小さい方が札を一枚カウンターに置くと、入ってきた時並みかひょっとするとそれ以上のテンションの高さで店の外へ飛び出していく。その様はつむじ風か台風かといった風で、後に残された背の高い方が頭を抱える。
「あんの馬鹿。バーホッパーでも気取るつもりか? ああ、すみません会計を……。……いい店ですね。また来させてもらいます。今度はもう少しマシな格好で、静かに』
「ありがとうございます。お待ちしていますね」
 バーテンダーは変わらぬ笑顔で送り出す。
*
「リピーター、決定かしら?」
 二人がいた気配が消えるとカウンター席の隅からハスキーな声が囁いた。
「どうかしらって、ずっと聞き耳立ててたわけ?」
「そんなことしなくても聞こえてたの」と美女が答えた。黒曜石の瞳、ぬばたまの如き艶めいた黒髪。黒のドレスの大きく開いた胸元からは対照的な白い肌が大胆に晒されている。店内の照明のほの暗さもあり、女であるバーテンダーでさえ時折眩暈を起こしそうになる仄かな美貌が唇を尖らせる。
「そう? 騒々しかったものね。でも」
 バーテンダーは言葉を切る。
「ちょと嬉しいかな。褒めてもらえたし。途中でちょっと怖かったけど。品定めされているって言うのとはちょっと違うけど、物凄く期待されてるって言うのかしら、そんな感じで見られるんだもの」
「そういう意味だったのあれって。てっきりあの子があなたを口説こうとしてたんだとと思ったわ」
「そんなわけないでしょ、あんたじゃあるまいし」
「酷い。酷いわ。私は運命の人を探しているだけなのに」
 ヨヨヨと目元を押さえる美女にバーテンダーは溜息をこぼす。『運命の人を探す』これが芝居でも演技でもなく、素で言っているのだから質が悪い。なので予め釘を刺しておく。
「言っとくけど、もしあの子達がまた来てもあんた口説いちゃ駄目よ。絶対碌な事にならないんだから」
「大丈夫、ないから」
 珍しくはっきりと断言した。
「あの二人は絶対に違うと思うのよ。気付いてた? あの二人私が隅にいるの分かってたのに見向きもしなかったの。滅多にないわよ、こんな事」
 自惚れもいい所の科白だが、事実この美女を目当てに<バー ルアー>に訪れる男性客が多いのだから、否定の仕様もない。
「背の高い子はきっと心に決めた人がいるわね。小さい方の子はきっと赤い糸で結ばれているとかいないとかなんて関係なく、好きな人が出来たら問答無用で突撃すると思うの。それこそ、自分で赤い手錠をかけに行く勢いで」
 うっとりとした表情で呟く美女にバーテンダーはこっちに帰って来いとグラスを拭いていた布を目の前でちらつかせる。
「随分大体何よ赤い手錠って。それじゃまるでストーカーじゃない」
「いいじゃない、それくらい情熱的って意味なんだから」
「はいはい。また随分と自信を持って言うのね」
「そりゃそうよ、私、男を見る目はあるんだから」
「そうね、まだ男だものね、静雄は」
 そう、バーテンダー話す美女は間違いなく彼だった。女である自分を望んで体現しながら、男である自分も嫌いな訳ではないと言い放つ奇妙な、友人だ。そして、<バー ルアー>に化け物が巣食うと噂される原因でもある。
「お金がないんだもの、仕方ないじゃない。そ、れ、か、ら、シズって呼んで」
「はいはい」
 いつものやり取りの流れに収まったのを感じ、バーテンダーは意識を仕事の方に戻す。
 と、美女もとい彼がバーテンダーの袖を引いた。
「そういえば、さっきの二人、どうしてピンクレディであんなに騒いでいた訳?」
「ああ、あれ。ピンクレディのレシピって卵白使うのよ。それを氷で強くシェイクするの」
「あ、それで」
「なによ」
「べつにぃー」
 あからさまに胸を寄せる仕草をする美女ならぬ彼に、流石にバーテンダーは顔を顰める。
「どーせ私はあんたほどスタイル良くないわよ、どーせ」
「拗ねない拗ねない。私と比べるのが間違いよ。あなたも悪くはないじゃない」
「あんたに褒められても嬉しくないわよ」
「アレ? じゃなんでマティーニに変更したのかしら? それが目的なら、もう一回同じの頼めば良いのに」
 不思議そうに呟く彼にバーテンダーは珍しく自慢げに笑みを浮かべた。
「興味を持ってくれたのよ。私の腕に。だからマティーニ」
「ふーん……」
「何よその気のない返事は。ちょっとは喜びなさいよ」
「だって、私には関係ないし、私に褒められても嬉しくないんでしょ」
「うっ……」
 言葉に詰まったバーテンダーと澄ました表情を作る青年、のやり取りにテーブル席の客たちがさざめきのように洩らす笑い声が、ゆっくりと流れるジャズに溶け込んでいった。
 二人の客に掻き乱されていた空気を店の日常が塗りつぶしていく。
 からりころりとドアベルが鳴った。男性が一人、店の雰囲気に気圧されたように入り口で佇んでいる。いつもの、哀れな犠牲者だろうか、それとも?
 視線が絡んだ。それまでのやり取りでなんだか荒んだような気がする気持ちをリセットして、バーテンダーは営業スマイルを浮かべる。
「いらっしゃい」
 そうして、六道区の外れにある<バー ルアー>は新しい客を迎え入れた。


オマケ
「何がという訳か良くわかんないけど、解説コーナー!!! ってあれ? なんで晶がいんの? 司は?」
「代理だ。ツカが『食い物はお前の専門だろう』というんでな」
「逃げたなぁ〜〜」
「まあ、気にするな。手伝ってやるから」
「ちょーかい。つぅ訳なら、何から始める?」
「ピンクレディから始めるか。レシピは『ドライ・ジン - 45 ml』『グレナデン・シロップ - 20ml』『レモンジュース - 1tsp』『卵白 1個分』を氷と共に強くシェイクする、だな。まあ、卵白を二分の一にするなど配合を変える場合も多々あるのでこのレシピが正解とは言わないが。ちなみに、1912年に倫敦で大ヒットした舞台『ピンクレディ』の千秋楽の打ち上げパーティーで、主演女優のヘイルズ・ドーン捧げられたそうだ。名前のごとく、ピンク色の綺麗なカクテルだが、ある意味バーテンダー泣かせのカクテルだな」
「なんで」
「白々しいな。知ってて注文したんだろ」
「まぁっねー」
「はぁー、まあいいさ。卵白が入っている為、強めにシェイクする必要があるんで少々コツがいる。もっとも体の正中線に沿うようにシェイカーを振れば自然肩も上がり、無理なくシェイクできるが。バーによってはミキサーを使うところもあるようだ」
「なんだ、それで揺れなかったのか」
「……次に行こう。エッグノッグは……」
「玉子酒だろ。それよか、マティーニ行こうマティーニ」
「あー、一応説明しておくと。卵、牛乳、砂糖をシェイクしたものにブランデーやラム酒を加えたもので……「いいからいいか次行こう」主にクリスマスシーズンに飲まれる。ミルクセーキにアルコールが入ったものを思い浮かべてもらうと分かりやすいだろう。で、マティーニだが……」
「うんうんっ」
「クラお前はもう少し人の話を聴くようにしたほうがいい」
「晶に言われると少し複雑」
「カクテルの王様とも称されるマティーニだが」
「うわ、ガン無視?」
「その由来には諸説あり、『マティーニというバーテンダーが考案した』『原型となったカクテルに使われたベルモットがマルティーニ・エ・ロッシ社のものだった』などがある。標準的なレシピは『ドライジン - 45ml』『ドライベルモット - 15ml』というところだが、これはあくまで参考程度にしてもらった方がいいだろうな。ジンとベルモットの割合は好みによって変化するし、実際辛口なものが流行した時にはベルモット1滴の中にジンを注ぎ込むといったエクストラ・ドライ・マティーニというものもあったそうだ」
「呑んで見たいなぁ」
「止めとけ、クラじゃ吹き出すのが関の山だ」
「ひでぇ」
「事実だろう、この甘党」
「はっはっははー」
「作り方はいたって簡単だ。ジンとベルモットをミキシンググラスに入れステアするだけだ」
「ステアってのは混ぜる事だね」
「ああ、混ぜるといっても奥が深いな。それ一つで酒の味がガラリと変わる。理由は『酒とはとてもデリケートなもの』だからだ。幾つも要因があるが『綺麗に・静かに・スムーズに・素早くステア』するのが必要最低条件になり、日頃から訓練している人間でも、液体を壊す事があるな。氷が溶けて薄くなる以外で、だ。そんな理由もあり単純ゆえにマティーニはバーテンダーの技量が一番分かるカクテルとも言われている」
「だから、司はマティーニを頼んだ? あれ、でもそれだと順番が合わないよなぁ」
「ピンクレディのシェイクを見たから、マティーニに変えたのだろ。なら、腕がいいと思ったからだろうな」
「ああ、そうか。揺れなかったもんな」
「ヴァリエーションとしてはウォッカを使ったもの、スウィートベルモットを使ったもの、日本酒を使ったもの、などがあり、一説によると五百種類以上のレシピが存在すると言われる。多分今も増えているのだろうな。逸話も多々あるが、これは紹介を始めると煩雑になりすぎるので機会があればという事にしよう」
「あれ、また無視ですか?」
「俺の役目は解説なのだろう? なら、クラの相手をする義理はない」
「うわ、ひで。そんな事言うと店教えねぇぞ」
「む、それは困るが、ツカに聞けばすむ事だと思うが?」
「あー、そうだった。司の口止めしないと」
「既に聞いた。クラも付き合え」
「はいはいはい。んじゃさ、下弦の月も回ろう。あっちにも美味しいオリジナルカクテルがあってさ……」

コメント(1)

書くに至った経緯を説明すると色々長くなるので、一言で言いますと。

あずさお嬢様ありがとうございました。お礼でございます。です。

アレ、二言じゃんという突っ込みはスルーの方向でお願いします。

『バー ルアー』の一幕、楽しんでいただければ幸いです。

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