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小地域自治コミュの小地域自治について

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 昨夜2/1(木)のNHK・クローズアップ現代で取り上げられた『要求する親・問われる教師』というテーマの報道は、親たちがとんでもない状態にまで来ていることを示している。

 要求する内容が凄まじいこともさることながら、学校や教師への脅しも甚だしいものにエスカレートしていて、常識というものが崩壊していることを示している。

 この状況から考えられることは、既に小中学校では、学級崩壊のレベルを超えて、学校崩壊の危機を迎えている、と、判断しなければならないのであろう。

 その解決策について、今日午前の日記の中で書いたので、その内容をここに転載しておく。


 『教師を死に追いやる親たち』

 一昨日、夜半、久方ぶりにロムくんが来て、飲みながら翌朝5時まで話しこんで帰っていった。お陰で、昨日起きたのは昼過ぎである。

 育児サークルの子供たちが帰ったのが2時半頃。朝食兼昼食を摂ったのは、その後。

 こんなことをしていて体に良いわけはないのだが、その後、来客などに取り紛れ、いくつかの相談に応じている間に1日が終ってしまった。

 夕食を摂り、ニュースを見ながら少し仮眠をとった。もう少しで見逃しそうになったのだが、NHKの「クローズアップ現代」を見た。『要求する親』というテーマのもので、学校への親の要求がエスカレートしている現状を報告していた。

 それを見ていて凄まじい時代になりつつある、と、感じた。気に入らなければ、担任を退職に追い込もうとする親、追い込んで追い込んで女性校長を自殺にまで追い込んだ親など、人間としては、信じられないような親たちが現れ始めていることを報じていた。

 もう、個別の親たちが学校に直談判するような状況を放置しておいてはならない。地域で「学校評議会」なり、「学校運営委員会」なりを、教師と親と地域が連携して作り、そこでトラブルを調整するようにしなければ、教師たちは、親からの苦情やクレームへの対応に追われ、子供たちの教育という本来の目的が疎かになってしまうことだろう。

 この原因も、国が太平洋戦争中、地域から取り上げた教育権と自治権を未だに地域に戻していないことに由来している。

 昭和13年、戦時体制に入るため、「国家総動員法」によって地方や地域に存在していた自治権を取り上げ、昭和16年、「国民学校令」によって地域から教育権も奪い、中央で一括管理するようになった。

 問題は、戦争に敗れ、国家総動員法も国民学校令も廃止されたに関らず、その権限だけは中央に残されたままになったことで、今も、中央の一元管理となっている。そのため、この国の国民には、自己が生活する地域の自決権もなければ、自分たちの子供の教育を地域の人々と図って決定する権利も剥奪された「政治的無能力者状態」に置かれたままである。

 今、多くの親たちが高等教育を受け、それなりの教育についての考えも抱いていることだろう。まして我が子の教育については、当然、それなりの方針も、考えもある筈である。ところが、それを提案するところがない。提供されるのは、画一的な定食のような教育メニューの押し付けである。この定食の押し付けが、親のフラストレーションを起こさせている。そのことに教育行政は、気付くべきであろう。

 教育権は、本来、親が持つものである。何故なら、教育義務を国が親に強制する限り、その対として教育権は親に付与されるものであって、教育権は国にも地方にもない。その点で、今の教育行政は、矛盾しているのである。

 このような状況の中で、親たちは、押し付けられた教育に反発すると同時に、押し付けられた教師たちにも反発する。その反発が親をして、教師を退職に追い込んだり、死に追い込んだりする動機となっている。

 この動機を昇華するためには、昭和16年、国民学校令によって取り上げた「教育権」を地域に戻すべきである。これを戻さない限り、教師を退職や死に追いやる親たちやノイローゼに陥ったり、精神病に陥ったりする教師たちがいくらでも発生し、無くなることなどないであろう。

コメント(3)

 「小地域自治の復活こそ、根本的な『解決策』」 2006.11.27

 ほんの今まで「生活情報178号」の印刷をしていた。今回、肝っ玉かあさんが倒れて、病院に入院することを躊躇し続けた原因が、この「生活情報」の発行が迫っていたことにある。

 病気は、それどころの騒ぎではないので、「バカモン! そんなことを心配するくらいなら、病気になるなっ! 俺を舐めとんのか! これくらいのピンチ、乗り切れんと思とんのかっ! さっさと入院してまえ! このボケナスがっ!」、と、雷を落とした。

 実際、妻が家にいれば、甘えて縦のものも横にしない生活をしている。だから心配するのも分かる。男という動物は、元来、のらくらモノである。しかし、一端、異常事態に遭遇したら、ライオンのごとくそれに即応する能力を鍛えておく義務を負う。そうでないと、普段、嫁さんに甘えていることの辻褄が合わなくなる。

 とは言うものの、こうして編集の山場を越えたからこそ言えることで、この時間でも、まだ編集も終えていないようなら、こんなノンビリしたことも言っておれなかったのだが…。

 今回の小紙のメインテーマは、「化学物質の大量拡散」。
ホルモン様化学物質なのかどうかは不明でも、今、起きている乳幼児の異常の急増は、どう考えても、これによると考えられるからである。

 小中学生の精神的荒廃の度が急激に悪化している。このまま放置しておくと、手の施しようのない状態に陥ることだろう。

 この状態に陥らせている主因は、この国の政治制度にある。(化学物質の影響を除外して考えると)。昭和13年『国家総動員法』、昭和16年『国民学校令』が出され、今も制度上は生きていて、国民を「政治的無能者」の状態に陥れたままだからである。

 国家総動員法も、国民学校令も、戦時下のもので、すでに廃止されているが、この時、官僚機構が手にし、中央に集中させた権力を、未だに国民に戻していないからである。それ故に、国民は、政治的無能力者となり、地域の子供たちの教育すら、自分たちの手で、自由に行えない状態に置かれているのである。

 地域のことは、地域に任す。まして、一小学校区くらいの小地域の住環境の整備や防犯、教育などは、地域の自治に任せるべきである。そうすれば、大人は「無能者」から脱し、今の状況を変えるため、喧々諤々、徹夜で議論することだろう。自分たちの町を、自分たちの子供を良くする為に…!
 「小地域自治について」…?  2006.12.14

 今の日本人は、一体何をしているのだろう? 何を求めて彷徨っているのだろう…?

 戦後61年、物を追いかけていた時代もあった。復興成った日本の姿を「東京オリンピック」の中に見出し、涙した時代もあった。経済大国化した姿を「世界万国博覧会」の中に見出し、満足した時代もあった。バブルに湧いた時代もあった。冷え切った収縮の時代もあった。そして今、得体の知れない時代を向え、訳の分からない現象が次々に起き始めている。

 多くの人々が異変の兆候のように感じ、怯えながら見据えているように思われる。

 しかし、化学物質の大量拡散による影響と考えれるものを除いて、小中学校の荒れも、青少年の異常行動も、経済犯罪も、風俗の退廃も、青壮年の精神病と自殺も、老人遺棄も、「人間」が人間として、人と人の繋がりを回復することが出来れば、修復可能なものばかりである。

 今、この人間としての繋がりの回復を阻害しているのは、官僚機構という組織である。彼らが戦時中に手に入れた「権限」を、未だに国民に返還していないために発症している病気である。それ故、今起きている様々な現象の責任は、唯一、官僚たちが責めを負わねばならない。

 かつてのように、国民一人ひとりが地域のマツリゴトに参画し、人間として当然持っている政治的能力を発揮することが出来るなら、今、問題となっているもののほとんどすべてを解決することが出来るだろう。

 自分たちの町のこと、自分たちの村のこと、自分たちの地域のこと、自分たちの子供のこと、自分たちの兄弟姉妹のこと、自分たちの両親のこと、である。例え、徹夜の議論になっても、解決策を求めて議論を重ねることだろう。

 それを阻害しているのは、官僚機構である…!

 今、「いのち」が危険だと警告し始めているに関らず、相変わらずノラクラと事態を引き伸ばせれば、いのちは弾け飛び始めることだろう。そのような事態に立ち至らせるとすれば、官僚組織は、人間社会の「癌組織」の役割を演じてしまうことになろう。
 「小地域自治について」…?   2006.12.14
  …自力頼みの世の中

 「町衆」や「村落共同体」などの小地域自治は、自然に消滅したのではない。明治以来、国家が、中央集権体制を敷くために、その障害物とのはんだんから排除し、消滅させてきたものなのである。それ故に、「消滅したものを復活させることは困難」という論は正しくない。

 確かに、自然消滅するようなものなら、復活のしようはない。しかし、人間の本能に根ざしたものなら、どのように時代を経ようと、完全に消滅しているように見えようとも、復活することは容易な技の筈である。

 今、我々の社会が示している状況は、本来、群れでしか生きられない人間を、粗暴な「近代化」という流れの中で、利用しやすくするため、「個」に分解してきた結果、群れの中でしか安定しない人間の「心」が、悲鳴を上げ始めているに過ぎない。

 近代とは、工業化への軌跡であり、その工業を支える「道具」としてのみ人間を利用してきたもので、その工業生産上、利用するだけで、その個人の人生がどのようなものであろうと、一切関知するところではなかったのである。

 しかし、人は、それでは生きられない。群れの中でしか生きられない人間が、「個」として利用されることのみ強制されると、強度のストレスを受け、やがて発狂するに到る。

 今、この国の愚かな指導者たちは、「自助努力」、「自己責任」と、自分の力(自力)で生きることを奨励する。「個」として利用するだけ利用して、既にリタイアした中古部品のようになった人々にまで自力・自立を促す。

 自立し、自力で生きてゆくためには、共に生きてゆく「群れ」が必要である。工業立国を形成するため、国策として「個」の労働力に分解してきたツケで、今は、何処にも頼るべき「群れ」は、存在しない。しかも、国は、戦争という非常時に手にした地方の権限を、未だに返そうとせず、しかも、自立を求めている。なんとも馬鹿げた話である。

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