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思想インフラ研究会 沙千子支部コミュのもうだめ(T_T) 

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 ハーバーマスは、他者に対して「誰にでも」「開かれた」公共空間を、「境界なきコミュニケーションの共同体」の空間として構想する。アーレントのアゴラがまさにそうであったように、ハーバーマスにおいてもそれは差異を持つ人々のコミュニケーションの場である。つまり、ごく単純に言って「市民たち」が現実に出会ってコミュニケーションをとっていく、というその空間がそのまま公共性の場になる、とハーバーマスは考えるのだ。この単純な図式が持つ縛りは、やはりごく単純なものである。それは、全員が実際に納得するまでコミュニケーションを続けなければならない、という実にシンプルな規範である 。
 要するにみんなが納得できればいいというわけだ。
 だが、この全員の「納得」はそう簡単なものではない。それは妥協や戦略的合意であってはならないし、大声や暴力といった威嚇や脅しや強制によるものでもなく、本当の純粋な、当事者の内発的なものでなければならない、とハーバーマスが考えるからだ。つまり、周りから(あるいは高みから)いくら言われても、納得できないのなら、「私は違う」と言い続けてよいし、「<われわれ>はみんなそう思うしそれが絶対的事実だ」と言われても、「私はまだ納得できない」「私はまだ<われわれ>ではない」と言い続ける権利??それは「他人に対して他者である権利 」と言い換えることもできるだろう??が誰にでも=全員に保証されなければならない。誰でも「他者」であることが許されなければならないし、誰でも、自分が納得するまでは、合意を強制されず、「われわれ」の一員であることを強制されず、その外側にいることができるのだ。そしてそれはどの当事者も、全員が合意して初めて、その規範は有効になるのだ・・・と、そうハーバーマスは考えるのである。これが、「実践的討議への参加者としてのすべての当事者の合意をとりつけるような規範のみが、妥当性を要求できる 」(傍点筆者)というハーバーマスの立てた討議倫理Diskursethik原則の意味するところである。
 この「全員の合意」という縛りは、まず、今ある共同体の地平を、その共同体に属さない他者たちを含む全員による合意にかけて相対化し、脱中心化することを要求する。実際、共同体の地平に固執していては、その他者の合意を得ることはできないだろう。だが他者の合意を得られなければ既存の共同体の地平は正当化されない。だとしたら、それはもう自分たちの従来の地平にしがみつき続けるわけにはいかないだろう。それでは相手は納得しないのだから。合意を確立するためには、自分たちの正当性の地平から離れていくしかないし、それを反省的に相対化していくしかないということになるだろう。それで納得してくれるかどうかはわからなくても、相手が納得する、しかも自分も納得するような足場を相手と自分との間に捜していくしかない、ということになる。
 ハーバーマスは言う。「議論の余地がある問いは一つである。われわれは、各自の倫理的表現であり、その限りでは個別的である世界理解・自己理解の地平上でしか道徳的問いを立てられず、その地平上でしかそれに答えられないのか、それとも、道徳的観点からものごとを考えることによって、この解釈地平の拡大をラディカルに推し進め、ガダマーの言い方にならえば、自分の解釈地平を他のすべての人々の地平と「融合させる」ことを目指すのか、という問いである。 」
 了解を目ざして、いかなる既存の共同体の地平の権威からも自立的に、相手と自分との間にコミュニケーションを維持していくとすれば、それはやはり一つの共同性の形だろう。相手と自分の間に生じるコミュニケーションの場(広場)は、やはり一つの(コミュニケーションを目指した)共同体なのである。だがこのコミュニケーションの場としての共同体は、通常の共同体と違って、地理的民族的あるいは文化的な足場を持たない。どこであれ、誰とであれ、「自由で同権的なパートナーたちによる包括的かつ強制なき討議のコミュニケーション」185が志向されるところが、その都度、またその都度のみ、コミュニケーション共同体=広場とされるのである。ハーバーマスは言う。「コミュニケーション共同体は、空間的、社会的、時間的に無制限のはずである。このようにコミュニケーション共同体を理想化する前提への立場の移行は、実際に行われるそれぞれの討議においても先取りされているし、またそのことはそれぞれのパースペクティブを調整する理念への接近でもある。そしてまた、それぞれの討議を実際に遂行することがコミュニケーション共同体の理念を実現すること」184なのだ、と。
 そのことは、他者であることの自由を確保するものであると同時に、これまで共同体間の神々の争いとしては解決できなかった対立を、「誰にでも」「開かれた」広場における公共のコミュニケーションという地面??「あらゆる解釈パースペクティヴの脱境界化と可逆性」185の空間 ??に降ろすものである。
 
 こうしたハーバーマスのプロジェクトを、境界を持つ共同体から境界なき共同体(「コミュニケーション共同体 」)への移行のプロジェクトとして位置づけるとすれば、そこにわれわれは例えば「共同体なき共同体」(ナンシー)や他者の歓待(デリダ)のユニゾンを聴き取ることができるだろう。
 これらは共に 

 
限定しない他者 自己とわれわれを脱構築する他者 あと、喪 もはや非存在の他者の歓待

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 さて、電車の中に戻ろう。
 電車は公共空間か。
 だが果たしてわれわれは電車の中に戻ることができるのだろうか・・・ 

コメント(3)

>>この「全員の合意」という縛りは、まず、今ある共同体の地平を、その共同体に属さない他者たちを含む全員による合意にかけて相対化し

ってトコなんだけど、「全員の合意にかけて」相対化するわけだから、ここでもし「いや、納得できない。相対化は受け入れられない」とかいう人が出たら、それは「広場」になってるのかな?
ごめん、こんなの書いたら明日に間に合わないね。。
でもそれ以外のところはわかる。でも、今日研究室で話した時に想定していたのよりもさっとしてる気がするのは、俺の気のせいかな?
あと、最後のところは、ナンシーやデリダとあまり親しいわけではないので、「共同体なき共同体」とか「他者の歓待」がどう解釈していいものかわからない。
「共同体な共同体」って言うのは、広場のことではないの?
単なる感想文だけど
自分たちの正当性の地平から離れとかなんか超難しそうな行為だね!
なんか超人になりましょうみたいに感じるけど違う?

論文の構成とかはわかんないからアドバイスとかは出来ないよ手(パー)
相対化は受け入れられない」とかいう人が出たら、それは「広場」になってるのかな?

ありがとうハート
使える~~~~~~~~~~~~~~~~~~~泣き顔
まとまるかもわーい(嬉しい顔)

シロも非らばもありがとう!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!愛してるよんハート達(複数ハート)

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