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村上春樹コミュの「エルサレム賞」辞退要求に対する意見

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作家の村上春樹氏がイエルサレム賞を受賞することに対して、

一部の方たちが、村上春樹氏に受賞辞退を要求しています。

理由は、こんな感じです:

http://0000000000.net/p-navi/info/column/200901271425.html
http://palestine-forum.org/doc/2009/0129.html

これに対して、ぼくも意見が言いたくなりました。

下記が一部に公表したものです。

皆さんも、もしご意見がありましたら、ぜひ教えてください。

----------------------------------------------------------------

たいへん難しい問題だと思います。

一応、村上春樹ファンでもある、モノ書きの端くれとして意見を言わせてください。

こうした問題を考えるとき、ぼくたちは相手の立場(ここでは村上春樹氏)に立って考えることが大切だと思います。

あなたが村上春樹なら、どうするのか?ということですね。


最初に受賞辞退派の皆さんにとって嫌な言い方をすれば、作家がある文学賞を受賞するか否かについて、周囲が意見を述べるのは自由だと思います。

しかし受賞を辞退せよと要求し圧力をかけるのは、これは「傲慢」であり、場合によっては「脅迫」に値することですらあると思うのですが、いかがでしょうか?(もちろん、世界的に影響力のある作家に受賞辞退の要求を表明することで、事の重大さを広く世間に訴えたいという目的があることは理解します。しかし、私が言っていることも正しいと思います)。



「受賞辞退を要求する」という行為に対して意見を言わせていただいた上で、私の意見の結論から申し上げますと、「受賞」も「辞退」もどちらの立場もありだと思っています。



まず、政治と文学は関係あるかという問題ですが、これは基本的にまったく関係ありません。


わかりやすい話をすると、「大量殺戮」している国にすばらしい作品を書いている作家がいるとします。あなたは、「あの国」の作家だから、「あの国」の作品だから、文学作品に価値はない、そう判断しますか?


もちろんしません。もしそういう判断の仕方をする人がいるとすれば、それは偏見・差別者です。


作品の価値と政治体質はまったく関係ない。


文学と政治は関係があるのではなく、当事者が関係づけているだけである、というのが私の意見です。

辞退派は、文学賞を受賞する=大量殺戮を容認するという図式で関係づけます。作家側も、文学賞受賞=大量殺戮容認と関係づけ、それを前提にして、受賞を拒否するという行為によって、相手国に「政治的」メッセージを送るという風に関係づけることもできます。


しかし、あくまで政治と文学は本来関係ない。


ただ、だからと言ってまったく関係ないと一刀両断にできないように見えるのは、なぜなのか?

これは、問題をもっと本質化して考えてみるとわかりやすいと思います。

ぼくが作家で、自分の作品を愛してくれる読者が、実は凶悪な殺人者だったとします。しかも、その殺人者が殺したのは、ぼくの子供だとします。

作家であるぼくは、殺人者から文学賞を受賞することができるか?

ここは、判断の分かれるところです。


絶対に嫌だ!という人もいれば、ぼくみたいな立場の人もいると思います。

ぼくなら受けます。どうもありがとうございます、と。

なぜなら、その人が殺人者であることと、自分の作品に対して評価してくれたことは、まったく別の問題だからです。

しかし、もしぼくなら、ただ文学賞を殺人者からもらうだけでなく、同時に、相手が心から後悔、反省して悔い改めるよう最大限の努力をすると思います。

イエルサレム問題で言えば、ぼくは受賞式に出向いて、文学賞は有り難くいただくけれども、返す刀で、イスラエルに猛省を促すスピーチをするということです。2001年のイエルサレム賞を受賞したソンタグ氏のように。


ただし、


それは殺人者が凶悪な殺人をしていることが「事実」であり「明らか」な場合です。

言い換えれば、イスラエルが大量殺戮を繰り返している証拠がはっきりしている場合です。


でも、ぼくにはイスラエルが本当に悪者で、大量殺戮しているかどうかなんてわかりません。ぼくは真実を知らない。マスコミや一部の人たちから情報は受け取り、いくつかの見方があることは知ってるけれども、自分自身が真実を知っているわけではない。


受賞辞退派の皆さんは、本当にイスラエルが大量虐殺を繰り返していることを「事実」として知っているのでしょうか? マスコミや、誰かからの情報を信じているだけではなくて?


仮に、あなたが「本当に」知っているとしても、では、ぼくがあなたを信じることは正しいことでしょうか? ぼくが安易にあなたを信じるということは、同様にアメリカやイスラエルの言い分を安易に信じることと同じではないでしょうか?


村上氏が世界的に著名な有識者だからと言って、パレスチナ問題も、チェチェン問題も、北朝鮮問題も、世界のあらゆる問題のすべての証拠をつかみ、真実を知っているわけではないと思います。

せいぜいマスコミや書籍、知り合いの評論家やジャーナリストから教わった、問題の経緯や対立する言い分を知っている程度ではないでしょうか?

それで「真実」を知っているとは、絶対にいえません。

マスコミや、一部の人達からの情報を鵜呑みにして、そんな無責任な根拠で、受賞の可否を判断するなんて、ぼくにはできません。


ですから、もしぼくが村上春樹氏なら、まずパレスチナ問題を自分のできうる限り調べ上げ、自分が知った範囲で自分の立場を明確にし、もしイスラエルを黒(あるいはグレー)と判断したら、受賞は受けるがスピーチで批判するでしょう。しかし、もし調べた結果「疑い」はあっても「事実はわからない」という結論に達したら、どうでしょう?


もしあなたが村上春樹なら、ことはそんなに簡単ではないと思うのですよ。




追記:後付けで申し訳ありません。

ただ、、、

この賞が、村上氏の文学作品に対する純粋な評価の結果ではなく、イスラエル側がはじめから「政治的意図」をもって村上氏に文学賞を授与するとしたら、、、これはまったく考え方が変わってきます。
ただし、これにしたってそういう「事実」が明らかであることが証明されればの話ですけど。

コメント(56)

はっきりと申し上げますと、春樹氏の正式なコメントが出されていない中、
政治的見地(平和主義)という批判されにくく偏見と見做されにくい立場から、
受賞辞退を氏に要求するのは春樹氏に対しても失礼だし、傲慢だと思います。

現時点では、イスラエルの公式発表だけだと認識していますが、
ここで公開書簡として氏の受賞辞退を先走って要求するのは、
イスラエル側も要求する側も、文学を政治的論争に利用し、
民意を煽動しているように思えてなりません。

氏がどういう決断をするにせよ、
イスラエルとそれに反対する平和主義者の動向が大きく変わることはないでしょう。

氏が受賞を仮に正式に受け入れたとしても、それを非難することが自由なのと同様、
氏の行動、言動も自由であるべきです。

それを断罪するのは、言論弾圧と見做されてもしかたありません。

作家は、個として国家の政治的背景に左右されることなく作品を書ける独立した存在であるべきです。

作家がイスラエルの行為を肯定するような作品を描いたとして、それが非難されるのは自由としても、
出版差し押さえなどを要求するのは、作家の創造性を否定するのと同様の行為だと私は思います。

なぜ文学が文学足りえるのか。

私は、今回の件で、氏の意向が反映されていないまま、
パレスティナ問題について、氏がすでに双方によって利用されていることに
不快感を禁じ得ません。
あの…署名で請願することは、断罪にあたるのでしょうか!?
ちょっと、議論の飛躍があるように感じてしまうのですが……。
私は、まず春樹氏の公式見解を求めてから、
請願すればいいのではないのかと思います。

議論の飛躍とは?

個人的見解を述べたまでです。

氏の見解が出ていないうちに請願することは、尚早だと云いたいのです。

断罪とは、署名という多数決の論理で受賞拒否という善意を押付けるという意味に於いて、
氏が受賞を受けた場合、あなたの行動は軽率ですよ、
それが広い意味でイスラエルの行為にあなたが、日本が同意したと見做される大いなる罪ですよ、
と暗に云ってることではないのでしょうか?

私はそういう見解に於いて、
請願(要求)に応えない場合の行為に、請願は、断罪という意味合いを色濃く内包していると思います。
たとえば冒頭にリンクが貼られている公開書簡ですが、再検討して下さいという内容で、別に「辞退しろ、しなければ云々〜」とは言ってないですよ?
事が済んでから、実はこうしてほしかった、と言うことにより意味があると、お考えですか?
私は村上さんの作品は、そういう極端な二者択一的発想を覆すところが、好きなんですが…あとは日記を一部「全体に公開」にしているので、もし興味がおありの方はそちらをご覧頂ければと思います <(_ _)>
あなたの日記に興味はありません。

再検討、と辞退請願がどう違うのか。

私は、氏の受賞とパレスティナ問題を、もっといえば
maggieさんの言う(氏の作品の二者択一的発想を覆すところが、好き)とか
どうでもいいのです。

氏の作品への個人の評価と、パレスティナ問題と、作家の在り方とは、別物だと私は考えます。
決してそうではないというひとを否定するものではありません。

ただ、あなたはfanaticにではなく冷静に氏を愛しているとおっしゃっておられますが、
氏の作品への個人的評価とあなたの個人的政治見解を、どうして氏の受賞行為云々と結びつけて
自論を展開されるのか、僕にはむしろ氏の受賞とパレスティナ問題を切り離して考えられない
あなたの問題提起に、一般のファンには到底理解できない、fanaticさを感じざるを得ません。

あなたはお気づきになってらっしゃらないかもしれませんが、
氏の作品の内容よりも、受賞辞退に纏わるあなたの政治見解をここで吐露されること自体、
あなたの意に反して、浮いている、fanaticである、ということをいちファンに感じさせてると思うのです。

私ではなく、興味のある方はmaggieさんのご意向通り、maggieさんの日記でこの問題を議論されてください。

私はもう個人的意見を述べたので、もう反論も回答もしません。

私は、氏の作品を十分楽しんでいるので、受賞受理辞退が正式決まったときに、
個人的にそのことについて、コーヒーでも飲みながら、「やれやれ」と、「雪かき」でもします。

一通りご意見出尽くしたようですね。

皆様、勉強になりました。
どうもありがとうございましたわーい(嬉しい顔)
思った事しか書けなくてすみません。
ヒイロさんお疲れ様でした。
http://www.asahi.com/culture/update/0216/TKY200902160022.html

これぞ村上さんらしい対応かと。拍手喝采です。
安全、大丈夫かな(ブルブル)。
素敵な対応ですね。
春樹氏の安全が心配ですが…
やはり数少ない誇るべき日本人です。
これは素晴らしいニュースですね。
最近こういう良いニュースはあまり聞きません。
これは、いろんな意味でベストの対応ですね。

後付で言うわけではないですが、私も彼の歴史観、自由観からすれば、こうした対応になってくるんじゃないかと思っていました。
小説の節々で感じたことがありますが、村上氏のそういったことへの理解はかなりのものですからね。
何の本か忘れましたが、昔人々が絶対王政から自由を獲得し、それが自我の発芽となって、人々のエゴ・ロマン主義へと繋がっていったというような、歴史の流れ、政治と文学ないし人間との関連を端的に表現されていたことを憶えています。
あまりに素直かつ正しく簡潔で良い指摘なものだから、その部分はいつか論文でいわばパクろうと思って、どこかに書き留めてあるはずです。

日本で受賞をボイコットするよう意見が出たと、日本の市民運動についても言及があったようですね。
私の想像では、おそらく村上氏はそうした日本の運動以前に、受賞を受ける決定の段階で、こうすることへの発想はあったのだと思います。

ただやはり迷いはあったでしょうね。
政治的なことへのアレルギーともいえる反応が日本では比較的一般に強い中、こうしたスタンスを明らかにされることは、ある種の障害を乗り越えるパワーがいることです。
村上氏一流の、価値観、正義感、多くの知識、世界への理解、があっても、1人ではなかなか思い切れません。
独りよがりになりかねませんから。

そうした中で、こうした日本ないし世界での運動は、村上氏の背中を押した側面があったんでしょうね。

結果的に、パレスチナ、イスラエルの双方の為にもなり、世界の文学の地位向上の為にもなり、日本のためにもなり、村上氏の読者のためにもなった。多様な価値観・見方の中で、一つの、おそらく一番妥当な、正義のありかを示した。
そういうことなんだと思います。

そういえば村上さんはこの前早稲田の賞も受賞されてましたが、村上さんはどっちかというと個人ないし夫婦でどこにでも行くタイプ、あまり世間体とかしがらみとかに囚われないような方と思っていたのに、意外にこうしたことに積極的なんだな、村上さんももう老年に近づいて、社会的役割ということを意識されているのかな、と感じたことがありました。
もともとオウム事件の取材など、そうした意識が高い方でしたが、今回の件で尚、今後の村上氏のスタンスが明らかになってきたと思います。
今後も独自の高度な価値観・観念に基づき、行動されていくことと思います。
まさしく数少ない誇るべき日本人です。

最後に、今回運動されていた方にも敬意を表させて頂き、村上氏の今後の活躍に期待させて頂きたいと思います。
どんなに壁が正しく、どんなに卵が間違っていたとしても
星の王子さんに1票!です。

個人的には運動されていた方々には(今回に限っては)賛同しかねますが、
春樹氏の作品を継続的に読んでいる人間であれば、
まわりが何を言おうが彼がこのような対応をなさるであろうことは、
殆どの人が推測できていたのではないでしょうか?

壁と卵(殻)…作品で書いている事そのまんまです。
辞退しないでよかったよかった。
自分が文学賞を頂いたその「場所・土地」で
自己の人生観に基づいた「作家の言葉」で語る。

しかも、「その場所・土地」の人々全員を
敵に回す可能性「政治性」を大きく秘めているのに・・・
権力に媚びない素晴らしい人間性と人生観。
たぶん「ぼくならそうする」と考えたうえでの行動でしょう。

僕が彼を好きなのは
「関西神戸から出て東京・米国で生活する異邦人感覚」
「心底Jazz・Musicを日常レベルで愛している音楽観」
「マラソンで自己を追い込むパーソナルな作業」などが
僕の感性と本当に合うからです。

ますます彼が大好きになりました☆

はしゃがず、構えず、
憎しみの言葉ではなく、蔑みの言葉でもなく
でもこれだけは絶対いわせてもらう、
という意志と誠意の感じられる
村上さんらしい素晴らしいスピーチだったと思います。
まだ全文は読めていませんが・・

今回の彼の行動による、そして言葉によるメッセージは、
誰にとっても、シンプルで力強いものだったのではないでしょうか。

世界がよりよいものになると信じて
個々のわたしたちが、それぞれに力をつくす。
それしかないのだと、思います。

村上春樹さん ガザ攻撃に苦言
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=751515&media_id=2


さすがは春樹氏!

格好良過ぎて、朝から痺れましたぴかぴか(新しい)目がハート


空気読めて無くてすいませんあせあせ(飛び散る汗)この感動を伝えたいがための事ですあせあせ(飛び散る汗)

村上春樹さんのスピーチ、全文読んでみたいですね。

今回の村上春樹さんの言動に関して、

「結局エルサレムに赴いて賞を受け取るという行為自体が、「卵」の側につくこととどう整合するのか、という、最もあからさまな矛盾については、特に説明されていないようで・・・・普通に考えて、エルサレム賞こそが村上氏言うところの「制度」であり、賞を受けることはその制度と一体となることではないのか」

と、まだ批判する向きもあるようです。

しかし、ぼく自身は、今回の氏の決断は、本当に勇気を持って村上春樹さんらしいやり方と表現方法で世界に彼の意思を伝えてくれたと嬉しかったですし、特にその表現の仕方には思わずほのぼのとした笑みがこぼれてしまいました。

さすが村上春樹という感じでしたね。
この方の訳、非常に上手だと思いました。
エルサレムポストから抜けているところも、フォローしてくださっています。

http://d.hatena.ne.jp/nakamu1973/20090217/1234789406

「やれやれ」が非常にニクイ感じです。

春樹様、最高にかっこよかったです。

文学者としての、洗練された表現、非常に素敵でした。
自然体であり、言いたいことはきちんと主張されていらっしゃる。

本当に尊敬します!

じーんとします。

---------

経済学者の池田信夫さんブログ
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/26ca7359e6d2d15ba74bcdf9989bee56

翻訳
http://maturiyaitto.blog90.fc2.com/blog-entry-139.html

ハルキ風翻訳
http://ahodory.blog124.fc2.com/blog-entry-201.html
やっと見つけた。多分全文。英語です。

http://www.haaretz.com/hasen/spages/1064909.html


みなさん、

どうもありがとうございますわーい(嬉しい顔)

訳文自体も比較できて、とても興味深く拝見しましたわーい(嬉しい顔)

壁と卵の比喩は、村上春樹一流の表現としてもちろんすばらしいのですが、


ぼくが一番くすっと笑えたのは、作家は自分の目で見て自分の手で触れたことしか信じないというところと、作家のあまのじゃく性について触れた辞退しろと言われたから来たというくだりです。


やっぱ村上春樹、いいっすねーわーい(嬉しい顔)
Makieさん
おさらく全文の、スピーチ内容の載ったサイトを教えてくれてありがとうございます。

あちこち見ていた翻訳サイトの内容よりも全然長いのなのですね。
既出の翻訳文の内容だけでも充分心を打たれましたが、もっと直接的に批判ととれるようなことを言ったり、プライベートなことを引用して話されたりしているのですね。

村上春樹さんがお父さんのことにも触れられていて、あまり日本のエッセイやインタビューだと家族のことを話されない印象だったので興味深く読んでいます。
読むといっても英語がほとんど分からないので全体の雰囲気でうなずきながら、ところどころを調べて読んでます。

お父さんは去年なくなられているのですね、びっくりしました。
お父さんは大学生の頃、徴兵で中国へ渡っていたそうで、戦後、春樹さんが子供の頃、お父さんはよく朝食の前に仏壇の前で長く祈りをささげていたと。
あるとき春樹さんは、なぜそんなことをするのか尋ねたそうです。するとお父さんは戦争で死んでいったひとびとのために祈っていたと答えたそうです。

彼は死んでいったすべてのひとひどに対して祈りを捧げていました。彼は、敵も味方も同じだと言いました。仏壇にひざまずく彼の背中に立って私は、死の影が彼のそばを漂っているように思いました。

私の父は死にました。そして、父は自分と一緒に、私のまだ知らない記憶も持っていってしまいました。でも父のまわりに漂っていた死の存在は、私の記憶の中にとどまっています。
それは私が彼から受け取ったたくさんのことの中のひとつで、そしてまたもっとも重要なことのひとつです。

私は今日、みなさんに伝えたいと思っていることはたったひとつしかありません。
私たちはすべて、人間であり、国籍を超えた個人であり、システムと呼ばれる硬い壁に顔をつき合わせている、壊れやすい卵です。
見た限りとても勝てそうもありません。壁はあまりにも高すぎて、強すぎて、そして冷たすぎるのです。
もし私たちになにかしら勝てる望みがあるとしたら、それは 私たちが信じている絶対なユニークさ(独自性)と、私たち自身の(何者にも代えられない)非置換性と、他のひとたちと心をつなぐことによって得
る暖かさから来るものでなければならないでしょう。



----------------

最後のくだりは難しくてまったく訳せている気がしませんが、他の部分も含めて、ゆっくり読み進めてみようと思います。心に刻むように。
村上春樹さんのことがずっと好きでしたが、今回もっと好きになりました。好きでいてよかったなあと思いました。誇らしくて、嬉いです。
僕も、すごく小さな世界で生きていますが、胸を張って物を言うべきタイミングでは、春樹さんのスピーチを思い出して、しっかり言葉にしようと思いました。

きっと勇気づけられたひと、心が温かい気持ちになったひとは多いと思います。僕もそんなひとりです。すごく。
最近の日本の状況(特に一部の政治家の方々の姿)を見て、日本人でいる事がとっても恥ずかしかったのですが、春樹氏の様な”日本人”もいるのだと思うととても救われます。
こんなにも人に多くのものを与える事が出来る優しい、大きい存在がいる事に感謝です。
しかも、その人の本をほとんど生活の一部として取り入れる事が出来る事にも感謝です。
世界には本を手にするどころか、字を読む事すら出来ない人が大勢いるんですから。

とにかく、本当に嬉しいニュースでした。
ご存知の人も多いと思いますが、全文の訳が紹介されてますよ。
http://d.hatena.ne.jp/sho_ta/20090218/1234913290
村上さんのスピーチの中で印象的だったのはお父さんの話。

仏僧でもあった父は徴兵されたが、毎朝仏壇に手を合わせていた。敵味方分け隔てなく、供養していた。

エルサレムという地で、キリスト教やユダヤ教やイスラムだけではない。仏教も忘れないでくれ。と言わんばかりです。

凄い男だと思います。

こちらのサイトだと、英文全文とユダヤ人の反論も読めます。

http://www.haaretz.com/hasen/spages/1064909.html

そのスピーチのひとつの解釈として内田樹氏がブログの中で私見を述べていますね
http://blog.tatsuru.com/2009/02/20_1543.php

代替不能の命とシステム
to clarify the uniqueness of each individual soul
小説家の仕事とは命のかけがえのなさを物語を通じて明らかにすること

-- 内田先生の解釈
その「言葉にすることのできないもの」こそが「父」のsoul である
「言葉にできる」というのは理解され、共有されるということであり、それは「かけがえのなさ」uniquenesse 「代替不可能性」irreplaceablity という「いのち」の定義に悖る。
System というのは端的には「言語」あるいは「記号体系」のことだ.

理解のための一助となると思うので、書き込んでおきます
村上春樹氏が中華料理を食べることができない、という話は初耳です
ここのプログの訳が一番しっくりくると思います。

http://blog.goo.ne.jp/km_kenken/e/5acc83d1d1110496ae9c592a57019631

このスピーチでの村上春樹がはっきり伝えたかったのは、「システムの本質」を知って欲しかったのだと思います。

「システム」とは、他のスピーチの訳を見ますと「制度」とも訳されてもいます。僕は、もっとわかりやすく「仕組み」という言葉でも良いと思う。

このエルサレム賞受賞スピーチの原型のような小説があります。

「アフターダーク」です。

この本の「9」、すかいらーくの店内でマリが高橋にどうして真剣に勉強する気になったのかを尋ねる。
それについて高橋がミディアム・サイズの答えとしてマリに話す。
村上春樹が高橋の声をとおして伝えたかったことです。

この一節はとても僕の心に残った部分です。
今回のスピーチをその一節を踏まえて改めて読むと、より深くスピーチの内容を理解することができます。



文芸評論家 斎藤美奈子のように批判する人は表面的なものしか見ていないんですよね。朝から不愉快にさせられました。

2/25(水)朝日新聞に掲載された記事です。

先日エルサレム賞を受賞した村上春樹氏は、スピーチで「壁と卵」の比喩を用いた。
この賞を受けること自体の是非はいまは問わない(それでもイスラエルのガザ攻撃に反対ならば受賞を拒絶すべきだったと私は思っているけどね)。その比喩で行くなら、卵を握りつぶして、投げつけるくらいのパフォーマンスを見せてくれてもよかったのに、とも思うけれども、小説家にそれを望むのは筋違いな話かもしれない。
ただ、このスピーチを聞いてふと思ったのは、こういう場合に「自分は壁の側に立つ」と表明する人がいるだろうかということだった。作家はもちろん、政治家だって「卵の側に立つ」というのではないか。卵の比喩はかっこいい。総論というのはなべてかっこいいのである。
ひるがえって今月の文芸誌。
ここにも大勢のフィクショナルな「卵」が生息している。彼らはふがいなく、いじましい。

中略(他作品を批評)

具体的な日常は、総論みたいにかっこよくない。人を感動させもしない。「卵」の比喩に喝采をおくった人たちは、これらの作品をどう読むだろうか。
春樹氏はこれを目にしたとしても「やれやれ」で済ましそうですが…
喜ぶ人、尊敬する人が多いほど否定、批判する人も多いようですね。
他人を尊敬し、拍手を贈る事がどんなに難しい事か。
他人を批判する事がどんなに簡単な事か。
【反対だから受賞を拒否する】という考え方って「私はこのことに関わりたくない」というのと同じような気がするんです。
そこには遠くの国でさんざんに痛めつけられている人々への同情とか、この世界でそれを許すべきでないと感じる人間の矜持はないと考えるんです。

この深刻な対立、というより一方的な弾圧、虐殺を止めるためにどうすればいいか僕は前からよく考えてきたんだけど、やはりイスラエルの政治家、国民の自制しかないと考えるんです。
だってこれまで国際社会のどんな制止にも耳を貸さない国だから。どこかの国でデモがあっても、またか、とくらいにしか思わないでしょうし。

そんな風に考えている人がいたとしてもし賞の受賞のオファーがあったら、これはチャンスだと思うんじゃないでしょうか。自分に与えられた使命を果たさなければ、と思うんじゃないでしょうか。

でもただ憎しみをぶつけるだけの抗議にイスラエルの人は耳を貸さないでしょう。イスラエルの人に敬意をもって語りかけなければならないでしょう。彼らが受け入れられる言葉を選ぶ必要があるでしょう。
でもその言葉はイスラエルに憎しみを持つ人々にとってはゆるすぎる、おまえはイスラエル派か?と勘違いされるかもしれません。
でもこの問題を難しくするもう一つの原因はこの、恨む、憎むという感情ですよね。

日本人はかつて原爆で、空襲で何百万もの市民を殺されながら、のちにそれを恨むことなく非を自分自身の行動に求めました。その日本人である村上春樹が聖地エルサレムで行った【直接語りかける】ということは、やはり偉大な行為だったと僕は考えるんです。

こんなに長くなっちゃった。最後まで読んでくれた人、ありがとうウッシッシ
斎藤美奈子の朝日新聞の記事を読みました。

まぁー、正直言って呆れました・・・。

記事を読んだ瞬間は、彼女は村上スピーチの一部をかいつまんで読み流しただけで勘違いをして書いたのかもしれないなぁーと感じました。

しかし、もし、彼女が、村上スピーチの全文を最後まで読んだうえでの批評ならば、元々、村上春樹に反感を抱いており、彼の言動については否定的にしか見ることができない可哀そうな人なんだとも思います。

村上春樹のいう「卵」とは、人間の命であり尊厳です。代替のない魂です。

彼女のいう「かっこの悪い卵たち」とはいったい何を指しているのでしょうか。

そもそも、人の命、人の魂にかっこが良いとか悪いとかの区別があるわけがないです。

その人の生き方や顔やら服装やらスタイルにはかっこが良い、悪いはあるとは思うけど。。。
その程度のレベルでしか人のスピーチを理解できないのであれば、つくづく困った人です。。。。

自己満足な理屈を並びたてて優越感を感じているだけです。

記事の中で本(「妻の超然」、「シレーヌと海老」等)の紹介を彼女がする。
まぁー、彼女は面白かったんのでしょう。


ところが彼女は、村上スピーチファンに対して、はすに構えてこれらの作品をどう読むだろうか。。と投げかけています。

彼女は、最後まで、まどろんだ質問をしてくる人です。。。

もし、それらの本を読む機会があればですが・・・
僕はその彼女が面白いとした本を普通に読みます。
余計な先入観のようなものはなく自然体で読みます。
読み終わって、面白いかもしれないし、つまらないかもしれない。。

そんなくだらない脱線した問いかけには、彼女のゆがんだ固定観念があるからでしょう。。。

つくづく、可哀そうな人だと思います。
彼女の言う「かっこ悪い卵たち」に村上春樹さんが含まれるのでしょうね。個人的には何がかっこ悪いのかと思いますけどね。
斎藤美奈子さんは世間の人がどう思っているのかと、顔色を窺いながら発言するところがあったり、損得感情で行動を取るところがあるのではないかと思う。
受賞に関して行くべきではない、との意見が多かったから、このような記事を書いただけで、そんなに深く考えて書いたようには見えないですね。
批判するしか出来なかったのでしょうか?
タカシさんの言うように、
「受賞に関して行くべきではない、との意見が多かったから、このような記事を書いただけで、そんなに深く考えて」書いていないとしたら…
そんな人に春樹氏についてなにも書いて欲しくないです。
たとえそれが彼女の唯一の仕事だったとしても。

でも、この記事に賛成する人よりも、今回の春樹氏の語りかけに心動かされた人の方が数える必要も無いくらい多いはずです。絶対的に多いです。
それがなによりです。
文芸評論家の仕事は、作家の小説やらなんやらを読み、自分なりの評価を世間に知らしめるのが仕事だと思う。

世間の批評がどうあれ、自分が良いと思う作品だったら、それを評価し、ダメだと思えば、それを批評するのが、「評論家」の仕事。

当然、そこには、価値観とか自分との接点とかが入ります。
それはそれで良いです。

僕がつまらない小説だと思っても楽しい小説だと思う人がいる。

楽しい映画だと思っても、つまらない映画だという人がいる。
人それぞれの見方がある。

矢沢が好きなファンもいれば、スマップの好きなファンもいる。
人それぞれの聴き方がある。

ただし、先入観なしの公平に見たり聴いたりした上での判断なり批評が大切です。

その、フラットでナチュラルな見方ができなくなったら、評論家の終わりです。

まして、世の中の流れを注意深く見ながら、とりあえず今の時期はこんなことを書けば話題になるんじゃないかと恣意的に見回しながら書いたのであれば、はっきり言って、そんなのは文芸評論家失格ですね・・。


まぁー、しかし、斉藤美奈子を僕は見たことがないです。

最後に許すとしたら、彼女が美人だったら許す。。(笑)

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