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瀧口 修造コミュの『瀧口修造からの贈物』

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はじめまして、空閑俊憲と申します。私は瀧口先生に初めてお会いした1966年からその歿年1979年までの間、ほとんど2、3日に一度は彼の書斎を訪れていました。晩年の瀧口修造から多くのことを直に学ぶことができました。写真掲載の理由から、二回にわけて私が彼から頂いた贈物についてトピックを書かせていただきます。ただひとつだけお願いがあります。瀧口修造のコミュニティが他にも設けられていますが、私は両方のコミュニティのメンバーなので、このトピックを同時に両方へ送らせてください。

写真1:これはニューヨークのウエストヴィレッジのマルセル・デュシャンが住んでいたアパートの前で撮影されています。写真裏には瀧口先生直筆で、薄紫色の鉛筆で次のように記されてあります。

After the visit to Teeny Duchamp
 
28 West 10th Street,
New York, N.Y.
X
for Dear Toshinori Kuga

Shuzo Takiguchi
23/Nov. 1976

写真2:デカルコマニー。9.5X12.5cm(額込み)。
裏に小さなシールが貼られ、『瀧口修造 1’67』の署名。
これは額ごと頂きました。私が1973年に『うごく画廊』を結成し、その最初のイベントとして団地で100個のキャベツを売った頃です。雨の日でしたが、最初にキャベツを買ってくれた人は他ならぬ瀧口修造でした(笑)。彼はこの絵を説明して、「若い人たちのように蠢いている」と微笑んでいました。

写真3:指差す瀧口修造。うごく画廊のメンバーで彼の書斎へ押しかけ、撮影のため岡崎和郎の"Giveaway Pack"のオブジェのひとつを指に嵌めていただく。

コメント(3)

書き込み有難う御座います!
とても素敵な贈物ですね!!
瀧口さんがキャベツを買いに行ってたこと、タシ クンガさんでないと知らない貴重な事実ですね!!団地でキャベツを売ったこと、良かったらもう少し教えて下さい!!

南 阿豆さん、コメントありがとうございます。
私が20代の頃の話です。『うごく画廊』についての写真付きの小さな記事は、1973年の何月号かの美術手帳にあります。その当時の東京の画廊はほとんどが貸画廊で、私たち若いアーティストは金もなく、発表の場がないことに苛立っていました。ここニューヨークでは逆に貸画廊はほとんど見当たりません。それはそれで競争の場というもうひとつの問題が出てきますが、実験的な作品やパフォーマンスを生み出している人たちを守り、育てあげていくにはこちらのほうがふさわしい状況にあるのかもしれません。そういうわけで、東京にいた私は中古のスバル/ライトバンを買い、好きなときに好きな場所でイベントをやろうと企んだのでした(笑)。
100個のキャベツは青果市場で仕入れ、私の他に南君、金須君というアートとは縁遠い仲間が参加してくれました。キャベツは一個ずつ小さな付録といっしょにサランラップで包みました。そうです、その付録が何か興味があるでしょ(微笑)。それは細長いアコーデオン式の折り畳まれた紙で、赤い英字で"WHAT IS THE TUBE?"と印刷されていました。その折り方を変えると、"WHITE TUB" とか "WASH THE TUB" とか "WET HAT"などに読め変えることができるのです。ちょっとした言葉遊びなのです。"TUBE"は管、チューブ、パイプの英訳ですが、その当時の模索していた私にふと浮かんだ言葉でした。人と人、人と物とを繋ぐ役目を果たすもの、という漠然とした(当時は瞭然とした/笑)、実験的な対応方法を探していたのです。
『太陽』という雑誌が1993年4月号特集として、『瀧口修造のミクロコスモス』を発表しています。私はすでにニューヨークに移り住んでいましたので、日本の友人から頂いて知ったのですが、そのなかで瀧口先生の書斎にあったアートワークやオブジェを集めた『オブジェ・ショップ』が数頁にわたって公開されています。有名無名のアーティストの作品群(私は無名に属しています/笑)。このオブジェ・ショップのなかに私が今話している『付録』がありました。むろん、出版社は私のことを知りませんから、作者不詳となっています。他にも4点ありました。瀧口綾子夫人が先生の死後も大切に持っていてくださったのだなあ、と嬉しく思いました。
さてキャベツにもどらなくては;
キャベツを八百屋さんから買うのではなく、アーティストから買うとき(実際、値段百円でしたが、卸値も百円/笑)、キャベツの味は変わらないけれど、一点百円の芸術品を売っている芸術家の立場から言えば、消費者はキャベツの思想もいっしょに食べてくれていることになりますね。キャベツを買ってくださった方(ちなみに、全部売り切れ!)はキャベツを食べ終わった後、付録で遊びながら、何を考えてくれたのか。氾濫する物質のなかにあって、もし物が人への贈物のように、人と人との連繋に役立ち、人間の邪魔をしなければ良いのですが。アートの流通機構に組み込まれた画廊そのものへの問いかけ、アートはたんなる消費物ではありません、私は叫んでいたのです。
雨のなか、瀧口修造はにっこりと微笑みながら、キャベツを受け取り、百円玉をひとつ私に差し出すのでした。
南 阿豆さんは舞踏をやってらっしゃるのですよね。このコミュニティの皆さんにもお聞かせしたいエピソードがあります。瀧口先生の家(彼は一生借家住まいでしたが)は新宿の西落合にあり、書斎のすぐ前の小さな庭に一本の大きなオリーブの木が茂っていました。東京のど真ん中にオリーブの木、なんとも不思議な、しかし新しいひとつの神話が生まれたような光を放っていた。彼からお聞きした話ですが、ある日、土方 巽さんがやって来て、オリーブの実の収穫を手伝ったそうです。
「土方君がわけもなく木に登り、枝の上で巧みに踊ってみせながらオリーブの実を摘むのですよ」
嬉しそうに笑いながら、瀧口先生はそう仰るのでした。
そんなビデオが残っていれば、ぜひ見てみたいものですね。収穫されたオリーブの実は、周知のように、瓶詰にされ、『ノアのオリーブ』と手書で記されたラベルが貼られて、彼の親しい友人や知人へ送られた。『太陽』52、53頁の『オリーブの実』にはその大きな写真が出ていて、ラベルの下の部分には石井満隆の名も記されていますので、このオリーブの木と舞踏は深い結びつきがあったようですね。
コミュニティの皆さん、
今日、12月7日は瀧口修造の誕生日です。生誕104年となります。
皆で祝福しましょう!
NY時間はまだ前日ですが(笑)、ニューヨーク州フィッシャーズ島に咲いていた浜茄子の花の写真といっしょにメーセージを送ります。
「瀧口先生、誕生日おめでとうございます!」

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