ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

NHKスペシャルドラマ坂の上の雲コミュのエンディング映像 どう読み解きますか?

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
遅ればせながら「坂の上の雲」のエンディング映像をこのところ何度も観てハマッてます。
いろんなサイトを見てもみんな、あそこは何処だって事が分かると、それで満足しちゃってますけど、みなさんはどう思われますか?
http://seihishikawa.com/diary/2009/11/27/%E5%9D%82%E3%81%AE%E4%B8%8A%E3%81%AE%E9%9B%B2-2/

気になるのは、「白くちらついている謎の物体」です。
初めのうちは1つ、2つ・・・。
3人の主人公を暗示させる三羽の鳩が大空に舞い上がって行く間も、その「飛沫」が増えて、先人達が残した「目差すべき」「道の様な雲」からまた登山道へと「吹雪」の様になり、ラストは逆光に照らされた見上げる空からも舞い降りてくる。
この映像は曲の盛り上がりとともに「これ」がドバーッと舞い散ってくるところが、実にいいんですね。

コメント(8)

http://seihishikawa.com/diary/2009/10/


予め「司馬遼太郎」の原作が示されていて、配役が決まりドラマの収録も始まっていて、ある程度の内容も明らかになりつつある。
主題歌の完成に近いデモテープも渡され、そのイメージを映像として完成させなければならない。
何年も前からの依頼で、それなりに打ち合わせを重ねているし、実際の撮影期間もそれなりに与えられている。
恵まれている条件なだけに言い訳ができないので、制作サイドはかなりの重圧があったのでは、と想像します。

「坂」のイメージについても「港の見える丘公園」への上り坂や「靖国通り」の「九段坂下」からの眺め等々・・・この物語のイメージに合いそうな「街中の坂」等についても、それなりに検討を重ねたこととは思いますが。 
ですが、当時の日本が置かれていた状況は「危険と隣り合わせ」であったと考えられます。
下界の比較的安全で気象条件も緩やかで歩きやすい整った「ありふれた」坂道の光景では、こうした厳しい状況は表現出来ないのではと。
一歩間違えればたちまち崖から転げ落ちて、列強の餌食にされ植民地化されてしまいかねない。
物語が始まる明治10年代では、まだ江戸時代の風習や考え方が色濃く残されていて、近代化も富国強兵も遙か彼方の所謂「雲を掴む様な話」だったんじゃないでしょうか?
明治になって次々に西洋の知識や考え方入ってきて、制度や社会の構造が駆け抜けていく様に変わりますが、それは表面的で心情的には未だ借り物の上でちぐはぐな生活を送っていたのではないでしょうか?
近代化も自ら望んだ訳ではなくウカウカしていたら、あそこらの国々の様に大変な事になっちゃうぞと・・・。

それからもう1つ、この映像のいいところは「漂う様なゆったりとした」カメラからの視野の動きです。
通常カメラで映像を撮りながらゴツゴツした登山道を歩けば、一歩一歩ドスンドスンと画面が揺れちゃうんですけど・・・。
「漂う様な」動きは一見「優雅」ですが、カメラの背後にあるはずの人間の存在を打ち消す様なこうした演出は、歴史に対して人間の感情を廃した厳しく厳然とした態度を感じさせてくれます。
また、初めのうちは「視野」が下を向いていて足元に近いところだけを映し出しています。
どこか頼りなげで孤独感を感じさせ、道も曲がりくねって先が見えない画面からは明治初期のイメージと重なるようです。
そうする内に少しずつ「視野」が上向いていきます。
「三羽の鳩」の後は、両脇が切り立った尾根で路面も荒々しく、前途多難なイメージに変わっていきます。
少しずつ目差す道が定まり、急速な近代化を推し進める日本と周辺各国や列強との軋轢がやがて強まるといったところでしょうか。
「視野」はさらに遠くに少しずつ上向いて、「白くちらついている謎の物体」の他に遠くには「雪煙」の様な物まで巻き上げながら雲の晴れ間から陽も差し始めます。
陽が差す瞬間にオーケストラーの演奏が「ジャン!」と強く響いて盛り上がっていきますね。
遙かに見える入り組んだ山の稜線。
あれこれ入ってきて画面構成を複雑化させることで、より困難で大変な状況に立ち向かっていく様がイメージされてきます。
そして「視野」は「道」から「雲」に向かいます。

紆余曲折を経ながら、どうにか日露戦争に勝利する様を北アルプスの厳しい自然になぞらえて、旨く表現出来てるんじゃないかと思うのですが。
CGや特殊な合成もほとんど使われてないようですね。
その替わり現場で粘って50回とか100回とか・・・。
納得の行く映像が撮れるまで何度もヤリ直してるんじゃないかと。
制作スタッフの方々には本当に頭が下がる思いですが、今日もエンディング映像を繰り返し観ています。
稜線の尾根の一本道と言う設定が当時のこの国の置かれた状況だと観ています。あの白い球は英霊とも見えるし、人間の形而上部分の表現と観ています。当時の日本人の(政治人)の国際感の無さを現代と見比べてダイレクトに評価するのは、歴史を語る上では初歩的な間違いです。歴史上に山ほどいた同性愛者に対して、現代で言うホモ(通俗、一般的)と同じ目で見たら大間違いです。司馬さんはこれの事を何冊かで、サラッと書いています。男色、衆道の事です。前田利家もそれだとハッキリ書いて居るので、驚いた想い出が有りました。話がずれてしまいました。すいません。
「当時の日本人の(政治人)の国際感の無さを現代と見比べてダイレクトに評価するのは、歴史を語る上では初歩的な間違いです。」と言うのは、今迄の記述のどの部分を指しているのかイマイチよく分からないのですが?

むしろドラマを見ている限りでは、「東郷平八郎」は国際法の研究が趣味だと言い切ってますし、「高陞号」の臨検から撃沈に至る幾多の手順を即断実行している辺りは生半可な国際感覚じゃ到底出来ません。
情報の早さや量に於いては現代の比ではありませんが、それらを補う謙虚さや必死さは、見上げたもんじゃないかと。

男色と言えば武田信玄公と高坂弾正も出来てたんじゃないかって、新田次郎だかの本で読んだ気がします。

それにしても「前田利家公」とは、奇遇ですね。
それがしのご先祖が仕えていて、小さい頃にその方々のお墓参りをした写真が残ってます。
知る人ぞ知る金沢の「野田山」って所です。
おやかたさま>失礼な言動が有りましたら、お詫び致します。

私が言う 国際感とは外交の感覚です。当時のヨーロッパ諸国の外交感覚は狡猾で老練で緻密なものです。日本は少年のように、国際法に対して、真面目で純粋だったと思います。司馬さんはその事を少年的正義感と詠んでました。どちらが良いかは言及を避けています。坂本竜馬はフリーメイソンと関係が有ったという説を唱えている学者も居ます。イギリスは日英同盟を組み、戦時国債を大量に買い込みました。日本の軍艦の建造費は殆どそれです。これは友情や正義感や小村の裁量で成立した訳では無いと思います。代理戦争の手先に使われたのだと、考えています。
「前田利家公」の男色は、失礼な言動とは思ってはいないので、気にしないで下さい。

「日本=少年」発言は、朝鮮戦争当時のマッカーサーの発言として半藤一利著の「昭和史 戦後篇」に要約すると

「1951年マッカーサーはトルーマンに罷免される。日本人はマッカーサーを敬愛していて、マッカーサーの銅像でも作ろうという話も出たとか、実現しなかった理由は、マッカーサーによる「日本人は12歳」という発言を日本人が誤解したこと。真意は「アングロサクソンはあらゆる意味で45歳の壮年であり、ドイツ人の軍国主義への傾倒は大人としての確信犯。日本人は国際情勢を見るという意味では12歳の少年、世界情勢を知らずに犯した罪が今般の戦争につながった」これを聞いた日本人は「このやろー」と思って銅像は建たなかった。」

とありますね。対象とする時代が違いますが。

第5回の「イロコア族」の話を引き合いに出して、日英同盟を組む話とかもありましたが、

プロジェクトJAPAN「第0次世界大戦〜日露戦争・渦巻いた列強の思惑〜」
http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=602&date=2010-12-27&ch=21&eid=32197

なんて言うNHKの特番も年末にありましたね。

諸外国は日本の勝利を低く見積もっていたので日ロ開戦とともに日本の既発の外債は暴落しており、戦費調達のための外国公債の引き受け手も最初の頃はほとんど無かったり、利回りが高く不利な発行だったり・・・。
負けてしまったら償還して回収出来ないですからね。

ところで「トビ主」としては、「エンディング映像」の話をしたいので、あんまり守備範囲を広げたくないのですが・・・。

おやかたさま>私の先の書き込みは、ここが映像に対してのトピックで或る事を、書いている途中から忘れて、過去に数回を投稿した、坂の上の雲の第二部のトピックと混同していました。この(映像)トピックの1人目の投稿者の方が第二部のトピックの主の方なものですから、更に混同してました。すいませんでした。従って、先の私の意見は別のトピックに対しての意見です。お詫びして訂正をいたします。
エンディングロールの背景の山は、北アルプスの小蓮華山です。(標高2766m)
稜線は白馬大地からの長い登り坂です。
その南西先に白馬岳があります。
小蓮華山は、新潟県と長野県に跨っており、新潟県最高峰でもあります。
ドラマのエンディング映像の意図するところは、私に
は分からないのですが、単純にГなぜ小蓮華山が背景に使われたのか?」、Г何か作品と縁があるのか?」気になるところですよね。
山の稜線を撮りたいのなら、例えば、松山の地元、有名な愛媛県の石鎚山も良いわけですしね。
調べてみると、主役の一人、秋山好古(ドラマ演 阿部寛)は、小蓮華山の麓、新潟県糸魚川市に近い、高田(現上越市)の旧陸軍第13師団師団長を務めていた様です。
好古が高田に在任中、果たして小蓮華山に登ったか、否かは定かではありませんが(短期間なのでそのような時間はなかったでしょうが)、そういった想像を楽しむことはできます。
また高田からは、妙高山や、火打山が影になり、小蓮華山を直接仰ぎ見ることは困難ですが、小蓮華山は、高田からはちょうど南西の方角になり、そのまま延長すると故郷四国の方角になります。
まあ、この山が、単純に制作者が求めるイメージに合っていたからという理由が、本音なのでしょうが、それじゃあ、ちょと淋しい気もしますしね。
当時、好古が坂の上の雲を目指して、小蓮華山への長い坂道を登っていたことを想像するだけでも、ロマンがわくのではないでしょうか。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

NHKスペシャルドラマ坂の上の雲 更新情報

NHKスペシャルドラマ坂の上の雲のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。