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チャドが好きコミュのチャドからの嬉しいメール

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 信州木島平村の山荘が全焼して大阪に舞い戻り、即、始めたのがショットバー『火の鳥・街山荘』。
 
 何で『火の鳥』なのか。
 全焼した山荘よ甦れの悲願をこの店に託した。
 不死鳥はいつも甦る。街山荘の再建をそれにあやかった。

 場所は大阪ミナミの難波千日前の繁華街の裏通り。
 縁というものがあるのか、70年に最初のジャズバーを開業した同じ通りの少し北。タイムスリップしたように過去に舞い戻ったような気がした。

 夫婦で寄り添って始めた。
 入籍して30数年、同じ商売で仕事も生活も夫婦は常に寄り添ってきた。
 ランチから始め、昼間はコーヒー等格安の200円。
 夕方のバータイムもショットを300円からの格安で提供した。
 当初三ヶ月程は業績もパッとせえへんかったが、その内気がつけば週末は必ず超満員の盛況をきたすようになっていた。

 昼は妻が、夜はオレがと一応の分担を決めていたが、盛況になるほどに分担はなし崩しになり夫婦で過密な労働をこなして行くようになった。
 妻の過労を心配しお手伝いやバイトを入れる。

 場所が吉本新喜劇の本城「なんばグランド花月」通称「NGK」の直ぐ傍だけにそこで働く若い社員達がやがて常連になり、他もお笑いを目指す漫才師の卵の若者、それにも増して既にテレビでも売れっ子になってる有名芸人も出入りしだしていた。

 
 そやけど、オレはどうもね。
 大阪生まれ大阪育ちなんやけど、今一お笑いが好きでもなくテレビでも兎角芸能番組とかスポーツ番組を遠ざけてしまう。
 そやから、そんな世間話にはまるで入っていかれへんし、行く気もあれへん。
 店に今は時めく有名芸能人が来てもそれが誰なんかも分からず普通に接しる。
 後で分かったんやが、それが有名芸能人には受けたようで。
 
 例えば、有名人が来ると色紙とかにサインをねだったり一緒に写真撮影をしてもらい店に飾りつける店って多いやん。あれって、オレ的にはどっか破廉恥に感じてしまうのは性格が歪んでんのかな。
 そやけど、オレの店に来る有名人は普通のお客扱いにしてるのに構えない安心感が持てたらしい。
 逆にオレがそんな人達からファンになってもらったりして。

 そんな頃、吉本興行直営店の喫茶店の店長がオーストラリア人の若者やけど店でバイトさせてくれへんやろかと話しがあった。
「えっ、日本語喋れる?」
「大阪弁しゃべんねん」

 白人外人の青年にしたら背丈は然程なくオレの方が少し高い。
 会った瞬間に直ぐ目に飛び込んできたのは、何と顎の長いヤツなぁと。
 ハッキリとした大阪弁の敬語で話し礼儀が良い。笑顔が可愛い。
 オーストリア人、チャド・マレーンのバイト即決とあいなった。

 吉本新喜劇が運営する学校、要するに将来の漫才師やお笑いのタレントとかを養成する学校にチャドは席を置いていた。
 その学費はバカにならんと、学生達は必死にバイトをして更に学校以外の稽古も時間を捻出して続けている。
 芸を身につけ晴れの舞台に立てる日を夢見て励んでいる。
 チャドとて例外とちゃう。
 いや、チャドこそ外人というハンディを背負って日本の上方漫才を身につけるべく毎日が修行でもあった。

高校の時、日本に来て大阪で漫才を見て、自分も漫才師になろうと夢見たらしい。夢は、オーストラリア国立大学を中退という形で現実へ手繰り寄せ単身日本にやってきて、吉本の養成所へ入った。
 そして生活のタメにバイトをと街山荘に。

 同時期にほぼ同年の青年も街山荘へバイトに入った。
 二人はライバルとしてコンビとして店での仕事を競い合い、普通よりも早いペースで仕事を習得していった。
 チャドは日本の大学生よりも漢字を知っていたり、日本の一般的な教養も日本人の若者よりも精通していた。ようするに、努力家でもあり、やっぱり頭がつば抜けて良いというコトやった。

 それだけでなく、生活にお笑いを振りまきながらも、とに角礼儀を重んじて周りと接していた。
 オレ達夫婦はもちろん、スタッフにもお客にも異色の外国人青年というだけでなく人間として好かれた。
 
 信州木島平村の山荘の全焼で当初は学校の関係で息子達と離れて生活していた我々夫婦には同年のチャドがもう一人の息子のように思えていた。

 やがてチャドはある芸人に弟子入りし、半年もすると舞台も入ったりして街山荘でのバイトも少しずつ減っていった。
 一年半が過ぎ、街山荘のバイトは完全に抜け芸人の道だけに精を傾け街山荘には顔を出すのも稀になっていった。
 久しぶりに顔を出したら痩せている。駆け出し芸人に付き物の貧乏が食生活にも影響していると見え、オレはいっぱい食べていくコトを強要するかのごとく進めるが大抵は「いえ、時間がありません。挨拶だけでもと寄らしてもうただけです。気持ちだけいただいて、また来ますので」と名残惜しく出て行く。

「東京へ行くのが決まりましたのでその時はチャンと挨拶に寄せてもらいます」
の電話が入った。

 挨拶に来た。
 確かあれは年の瀬も押し迫ろうという丁度今頃ではなかったか。いや、もっと秋口やったかな、なんてチョッと季節の記憶が曖昧なエエ加減なオレであって。
 谷九の店に夜の8時頃やったか、ニコニコしたチャドが入って来た。

 これから車で荷物と共に東京へ経つという。
「なんやほんだらユックリ話しもでけへんのか」
「すんません。もういつもバタバタして、どうにか挨拶だは来れました」
「ほんで、東京ではちゃんと住むトコあるんかいな」
「先輩とかの部屋で居候させてもらいながら何とかやります」
「そうか、やっぱり貧乏するんや」
「大丈夫です。自分の選んだ道ですし」

 全焼して車二台だけが残って後は膨大な借金を背負い込み、毎月その返済と家賃を払うとオレの手元には一円のカネも残れへん。
 オレも貧乏人。そやけど、何ちゅうかもうチョッと商売が上手かったら少しはチャドに援助もできるものをと、自分を小さく罵ってみたりして。

「そうかぁ、頑張れな。これで何か美味しいもんでも喰えや」
 たった一万円、出すのも恥ずかしい思いでチャドの掌に握らした。

 チャドの目が一瞬点になった。
 そして次の瞬間、点の目から涙が溢れ出てきた。
 しかも肩を震わせて嗚咽しだした。
「ありがとうございます」
 搾り出すようにやっと出た言葉。
 たった一万円で。オレの目にも涙が浮かんできた。

 あれから七年か六年か。
 時折、携帯にメールが入って来た。
 少しずつテレビにも出だした。テレビを見ない、ちゅうか仕事柄時間帯が合わへんのと、オレって大阪に生まれ大阪に育ったのにお笑い番組がキライときた。
 そんなオレへ家族やお客達が「夕べチャドがテレビにでてたよ」と逐一報告してくれる。
 その度にホッとするオレであって。

 ところが、ここ一年以上チャドからのメールが途絶え、逆に送ると帰ってくる。
 携帯を変えたらしい。その内オレも携帯を変えたからホンマに音信不通になった。
 エエやんけ、最近は売れっ子にもなってきたみたいやし、忙しいはずや。
 それが何より、もっともっと有名になってくれたら又嬉しからずやと、連絡が取れないコトを気にもせえへんかった。


 息子から転送のメールが先日届いた。
 チャドからや。
 ホンマに久しぶりにしかも長い長いメールが送られてきた。

 携帯が変わって知らせようとしたらオレの携帯も変わって知らせられなかったから、息子にメールしてきたんや。
 今までのコト、これからのコトなんか身の回りの報告を豆に書いて寄こし、オレとは連絡とれなかったけど、いつもホームページを見て街山荘とオレのコトもチェックしていたと。
 今年は大阪に行けないが、年が明けたら大阪に行くのでその時は絶対に挨拶に行きます云々。

 読んでいる内にしみじみ目頭が熱うなってきて。
 アホやなコイツはオレのことなんかどうでもエエのにと鼻汁まで出てきた。

 年が明けたら、チャドが訪ねてきてくれるんや。そう思うと笑顔が勝手に浮かんでくるオレなんや。

コメント(6)

良い話をありがとうございます。
一人間としてのチャドをまた好きになれました。
チャドが更に好きになりました♪
ホントにマジメな人なんですね。。

ウレシバさんも頑張って下さい!!
チャド、ええ人やぁ〜泣き顔
ますます好きになりました。これから年末年始、お笑い番組も多くなるから
もっとチャドが見れたらいいなぁと思います。
 皆さん、どうもどうも
 
 チャドをよろしくお願いします。
私も頑張って 稽古に精をだします。なんてったって自分が選んだ道ですしね!(`・ω・´)

チャドのよいヒストリー有り難うございました。

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