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猪口敏平コミュの『ライオン艦長 黛治夫』

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『ライオン艦長黛治夫 ある型破り指揮官の生涯』生出寿氏著。昭和63年発行。
黛大佐は猪口少将の一期下の海兵47期。猪口少将と同じく砲術の大家であった人物です。「(猪口は)砲術にたいしては黛と思想がまったく一致し、二人は無二の親友といえるほどの間柄であった。」と同書にあるので、猪口少将の親友といえるでしょう。
猪口少将についての記述もありましたので要点を紹介します。若干(?)批判的ではありますが。


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◆猪口少将について

・砲術の神様といわれる。
・水上射撃に関しては「徳川幕府における柳生但馬守」を思わせる存在。
・中肉中背だが筋肉質。厳しい修行を積んだ武芸者を思わせる。


◆猪口教頭排斥運動

昭和19年夏。横須賀の海軍砲術学校では若い教官たちが、教頭の猪口敏平大佐の追い出しを図る運動を進行していた。
青年教官たちは第一線からの要求に応えて対空射撃を研究していた。しかし、猪口教頭は水上射撃を重視し、その研究を認めなかった。彼らは小畑長左衛門校長に、対空射撃研究の重要性を説き、自分たちを第一線に出すか、教頭を変えるか、と意見具申した。
十日ほど後、小畑校長は青年教官たちを集めて言った。「君らがいったとおりにした」。
猪口大佐は戦艦武蔵の艦長に補せられた。青年教官たちの陰謀があったとは知らず、猪口大佐はこれを喜んだ。


◆対空射撃に不熱心

昭和16年3月。連合艦隊兼第一艦隊旗艦・長門にて、艦隊の戦技・実弾射撃の研究会が行われた。
各艦の砲術長が自分の射撃を説明した後、砲術指導官猪口中佐が穏やかに講評を始めた。会場の隅から見ていた砲術士の少尉候補生がうなるほど、その姿は対空射撃について極めて不熱心であったという。


◆レイテ沖海戦直前

昭和19年10月20日夕方。武蔵の艦長室に、黛大佐と寺岡正雄大佐(鈴谷艦長)が訪れ、三人で歓談した。
猪口少将は寺岡大佐に屈託なく言った。
「貴様のなんか防御力がよわいんだら、家族にとどけるものがあれば持っていってやるよ。おれのところは、とにかく強いんだからな」
黛大佐にも
「君も遠慮いらんよ。大事な品なら主計長にいって、艦底の金庫に預からせるから」
と進めた。
黛大佐は、砲術研究を中心にした海軍生活二十五年の要点を長男宛に、品物と金を託送するという手紙を妻宛てに書いて、猪口少将に渡した。時刻は真夜中になっていた。


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「砲術の神様」とは、これはまたすごい評価ですね。
(対空射撃については、レイテ沖海戦前熱心に訓練していたという資料もありますので、不熱心だったとは言い切れないと思います)
自分の排斥運動に気づかないまま武蔵艦長就任を素直に喜んでいる点や、レイテ沖海戦出撃前の黛大佐と寺岡大佐との会話から、猪口少将に無邪気さすら感じます。言い換えると、危機感の欠如…? 余程自信満々だったのでしょうか。

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