若い時分には、相手国の事情を知らずに発言して、失敗した経験もある。 米イリノイ州にある人口4000人程度の町の高校に留学した時、教師が生物の授業で「人類はどのようにできたのか?」と問いかけた。 自信を持って、「チャールズ・ダーウィンの進化論によると、私たちは類人猿から進化しました」と答えると、級友の冷ややかな視線が突き刺さった。 生徒の一人に“Shu, don't you believe in God?”(シュウ、神様を信じていないの?)と聞かれた。 「当時はまだ、『世界は全て神様が作ってくれた』ということを否定してはいけない町が米国にもあったのです」。宗教は繊細なテーマだと痛感した。
一方、教養として蓄えていた知識のおかげで、交流が深まることも。 後にロンドン交響楽団総裁となったコリン・デイビス氏を取材した時に、好きな音楽の知識を生かして「The Beatles の “Let It Be” の冒頭とバッハの『G線上のアリア』の冒頭が似ている」と話すと、「君、面白いね。うちの娘も同じ事を言っているんだ」と話が弾んだ。
●失敗を糧に英語力アップ 抜きん出た英語力は、これまでの努力のたまものだ。米国留学当初は、r と l の発音を混同し、“We eat rice in Japan.” の rice(米)を lice(シラミ)と発音して、ギョッとされたこともあった。 しかし、帰国後は、通訳案内士の国家資格を取得して外国人観光客を案内した。大学1年のときに開催された1964年の東京五輪では、選手村の診療所で通訳ボランティアを務め、各国・地域の選手と触れ合った。 ソニー入社後は、後に同社社長となる岩間和夫氏の通訳を担当。海外企業との商談前には、カセットテープやテレビなど各製品の担当部署へ足を運び、製品の説明に必要な英単語を聞き出して書き留め、繰り返し音読して暗記した。
しかし、ビジネスの現場で手痛い失敗もした。赴任先の英国ソニーの販売会議で “Hey, guys, we are gonna sell 3,000 color TVs every month. You got it?”(おい、みんな、毎月3000台のカラーテレビを売るぞ。いいな?)と、米国流アクセントで切り出した時のこと。 現地のセールスマンたちは沈黙し、やがてその中の一人に “If you think you can sell colour tellies like that, you show it to us!”(もしもカラーテレビをそんな風に売れると思うなら、あんたがやって見せろ!)と言い返された。 「礼儀正しく、控えめな英国人の前で、なぜ、アメリカンアクセントで横柄な物言いをしてしまったのだろう…」。 後悔の気持ちから、イギリス英語と英国のマナーを身に付ける努力をした。 その手段の一つは、ミュージカル観劇。当時最も人気だった「マイ・フェア・レディ」の台本を買い、ヒギンズ教授のセリフを丸暗記してから実際に舞台を見た。 俳優の発音に耳を澄ませ、演技を目に焼き付けて、英国流のアクセントや丁寧な話しぶり、礼儀作法を学び取った。
●日本で生きた英語に触れる ボランティアとして携わり、閉会式に「涙が出るほど感激した」東京五輪から半世紀余り。 2020年の東京五輪・パラリンピックを前に、日本人の英語熱も高まっているが、留学しなくても、工夫次第で英語は習得できると考える。 例えば、洋画の DVD は同じものを3度見れば、立派な英語教材になる。1回目は日本語の字幕付きで英語を聞く。 2回目は英語の字幕と音声で楽しむ。すでに内容は理解していても、英語の字幕を速読するのは案外難しい。 3度目は、字幕を消して英語の音声だけで鑑賞する。留学先で映画館へ行くのと同様の体験ができるわけだ。 口語体の表現を学びながら速読も練習できる。 企業での英会話の指導や、母校・一橋大学でのグローバルビジネスの講義などを手がけるが、多くの日本人は英語独特の「Y に母音を付けた音」が苦手だと感じる。 例えば、I'm 20 years old. の years は ears、パンを焼く時に使う yeast を east と発音しがちだ。 正しい発音を身に付けるには、赤ちゃんが言葉を覚えるように「オウム返し」するのが近道だと考える。 家では経済やスポーツの英語放送のテレビ番組を付けっぱなしにしているが、「聞き流しただけでは英語は上達しない」というのが持論だ。 「読んで、書いて、音読して、暗記して、話すという五つのステップ」を繰り返して初めて、上達につながる。