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ピート・シーガーコミュの映画「ボブ・ディラン ノー・ディレクション・ホーム」

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先日(10月23日深夜)BS2で放送された、ボブ・ディランの3時間28分に亘るドキュメンタリー映画で、録画してたのをようやく観ました。どうせ大した事は無いだろうと、取り敢えず録画だけしておいて、そのままになってました。
http://www.imageforum.co.jp/dylan/
10時間にも及ぶディラン自身のインタビューを元に今回、スコセッシ監督が今まで語られる事が無かったディランの音楽観、時代観を人間ディランを見事に描いた作品でした。ピート・シーガーやジョーン・バエズ等の友人達も出演していて、特にバエズとの関係が興味深かったです。終始、時代のフォークそしてディランの名曲が、ディラン自身の話と共に非常に興味深く、またディランの偉大さを改めて思い知らされた感じがしました。当時の彼を追った大量の未公開フィルムをふんだんに使用してたので、ファンにとっては堪らないものであろうと思います。
初期のディランは、プロテスト・ソングの旗頭として、フォーク・ミュージックの女王であった、ジョーン・バエズと共に圧倒的な支持を受けていた。しかし、ディランは、イギリス公演の最中に、ビートルズやローリングストーンズのメンバーと交流を持ち、ロックへと回帰する事になります。
後半は、このプロテスト・ソング=ディランのイメージから、かなりのブーイングが多くのファンから起きるが、その真相を番組でディラン本人が語ってました。日本で言うと高石友也や岡林信康みたいに、フォークの神様と崇められて辟易してましたね。
前置きが長くなってしまったが、この映画にはピート・シーガーが4度も出て来ます。
ピートがホストを務める「レインボー・クエスト」から、クランシー・ブラザーズやニュー・ロスト・シティ・ランブラーズの映像も出て来るのだが、ピートが「フェスティバル・オブ・フラワーズ」を歌う映像の後に「我々はウディの子供なんだ」とインタビューに答えてるのが1分半。
ウィーバーズ「グッドナイト・アイリーン」の映像の後に「この曲がトップ40の頂点にあった時、共産主義者を許さない連中が、ブラックリストに私達の名を載せ、2年後には、大都会には歌える場所が無くなり田舎町でしか歌えなくなった。それで活動休止を決めた」とインタビューに答え、1963年、ミシシッピ州グリーンウッドで「天使のハンマー」を歌うピートが2分半。
1963年、ニューポート・フォークフェスティバルの映像の紹介でピートが1分位出ています。
そして1965年、ニューポート・フォークフェスティバルで、ディランのエレキに対するコメントが20秒位で、ピートは斧でケーブルを切ろうとしてスタッフに止められたらしいです。何ともピートらしい行動ですね。とにかく音が五月蝿いので嫌になったそうです。
ピートが出てるのは合計しても僅か5分40秒しかないが、とにかく貴重な映像が満載で、ディランファンで無い私でも見応えが有りました。初期のディランはウディ・ガスリー其の物でしたね。映画のDVDが発売されてるので買おうと思います。
http://www.paramount.jp/bobdylan/
(あらすじ)
ビル・ヘイリーやエルヴィス・プレスリーやチャック・ベリーやリトル・リチャードの歌と共にロックンロールが産声を上げた前世紀半ば。音楽だけでなく、政治・経済においてもアメリカ社会は大きく変貌しようとしていた。テレビの普及、米ソの冷戦の深刻化、それに伴うレッドパージ、核開発、朝鮮戦争、人種・人権問題、ビートニク等々。ボブ・ディランは、そんな時代をミネソタの北、森と湖でカナダと国境を隔てられた田舎町で過ごす。「冬は何もかもが静かで動かなかった。それが8ヶ月続く・・何もしないで、ただ窓の外を見詰めていると、幻覚を見そうになる」と、その町をディランは回想する。ロックンロール好きで、ハイスクールの卒業写真には「リトル・リチャードの仲間になる事」とも記したディランは、その「動かぬ」町の中で、1960年代の爆発を静かに準備していた・・。
1950年代末から1960年代、ミネソタからニューヨーク、グリニッチヴィレッジへ。社会の激動と共にディランの人生も激変して行く。ポップ・ミュージック・シーンには顔を出す事も無く、しかしアメリカの激動の背景を確実に捉え続けるフォーク・シンガー達との出会い、ウディ・ガスリー、ピート・シーガー、ジャック・エリオット、オデッタ、デイヴ・ヴァン・ロンク等々、ディランは彼等の人生や歌から、計り知れない多くの物を学ぶ。路上での弾き語りやカフェでの演奏、そこに集まる人々との深い交友の中でディランは独自のスタイルを作り上げて行く。そしてジョーン・バエズとの出会い、コロムビアレコードとの契約。ロックンロールの炎が鎮火し、見捨てられていたフォークにアメリカ社会が再び目を向けた時、その中心にはバエズとディランが居た。
タイトルの「ノー・ディレクション・ホーム」とは、アコースティック・ギターから再びエレキ・ギターに持ち替えたディランの、その決定的な変貌の象徴でもある歌「ライク・ア・ローリング・ストーン」の歌詞の一節。「どんな気がする/ひとりぼっちで/かえりみちのないことは/ぜんぜん知られぬ/ころがる石のようなことは」(訳:片桐ユズル)と歌われるその歌で、この映画は始まり、終わる。その中で、ロックンロールからフォーク、そしてロックへと、時代の変化と共に「かえりみちのない」道を歩み続けるディランの若き日々が切り取られ、語られる事になる。もちろんそれは、アメリカの若き日々、とも言い換えられる。キューバ危機、ベトナム戦争、ケネディ暗殺、平和行進、「私には夢がある」と語ったキング牧師の演説・・。人々の夢と野心と欲望と絶望と悲しみとをエネルギーにして変貌するアメリカ社会が、この映画のもう一人の主人公でもある。あるいは、「アメリカ社会」と言うもう一人の主人公こそが「ボブ・ディラン」と言う名前を持つのだと、言い換えられるかも知れない。
出会った数々のフォーク・シンガー達、ブルースマン達の誰もがそうした様に、彼等の歌を変奏し、自分の物として、自らの歌の奥行きを広げて行ったディランこそ、アメリカと言う国の広がり其の物だと。もちろんそこには、アメリカ自身に対する怒りもまた、激しく渦巻いていた。

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