ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

科学は愛ですコミュのダライ・ラマの本当の顔

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

(The True Face Of The Dalai Lama:6月17日英語版配信分)

  『ダライ・ラマの本当の顔』
   http://cocorofeel.exblog.jp/8449002/

http://www.rense.com/general81/faeeof.htm

『これはチベットでの争乱と、米国が彼らのイデオロギーの戦いを遂行するためにダライラマ像をどう確立してきたかという背景の説明です。米国の無知な人々は、「平和」と「非暴力」という彼の哲学によりダライラマを畏敬してきました。この記事はラマ僧がほんとうの意図するもの、なぜ米国がノーベル賞や多くを彼に与えてきたかといういう事実を暴きだすでしょう。- Kalovski Itim、ダライラマが統治していた頃のチベットでの、毛沢東革命の実話: 生き地獄

革命の労働者#944、1998年2月15日

厳しい気候、無情な社会

チベットは世界一遠く離れた場所の1つです。それはアジアの真ん中奥深くの高山帯に位置します。それは、世界一高い山ヒマラヤにによって南アジアから分断されています。 無数の峡谷と少なくとも6つの異なった山脈が、この地方を孤立した渓谷の合間に造り上げたのです。 1949年の中国の革命の後に引き起こされた変化の前には、車両が通行できる道はチベットにはありませんでした。 危険な曲がりくねった山道を、ラバ、徒歩、または毛むくじゃらの牛のような山の動物であるヤクによって旅するよりなかったのです。貿易、コミュニケーションや中央政府が保持されるのはほとんど不可能でした。

樹木限界線の上にチベットの大部分があります。空気は非常に薄いです。ほとんどの作物や木はそこに生えません。それは食物を栽培して、炎のために燃料を見つけるのさえ戦いでした。

革命時点でチベットの人口はたいへん広範囲に広がっていました。およそ2、300万人のチベット人がおよそ150万平方マイルー合衆国の大きさの半分の地域に住んでいました。 村、修道院や遊牧民の露営地は何日もの厳しい旅で隔絶されていたのです。

毛沢東主義者の革命家は、「3つの大きな欠如」が古い時代のチベットにあるといいます: 燃料の不足、コミュニケーションの不足、および人々の不足。毛沢東主義者の革命家によると、この「3つの大きな欠如」 は物理的な状態によって引き起こされたものではなく、社会システムによって引き起こされたといいます。 毛沢東主義者は、「3つの大きな欠如」がチベットの社会における「3つの豊さ」によって引き起こされたと言いました: 「超自然への豊富な貧困、豊富な抑圧、および豊富な恐怖。」

古いチベットの階級社会

1949年に始まった革命以前のチベットは封建社会でした。2つの主なクラスがありました: 農奴と貴族的な農奴の所有者。人々は米国のヨーロッパの「暗黒時代」の農奴や、アフリカ人の奴隷かアメリカ南部の小作人のようにして暮らしていたのです。

チベット人の農奴は、木製の鋤と鎌で固い大地から大麦収穫をこそぎとっていました。ヤギ、羊、およびヤクはミルク、バター、 チーズ、および肉のために育てられました。貴族的や宗教指導者たちは人々、土地、および動物の大部分を所有していました。彼らは、農奴からほとんどの穀物を取り上げ、あらゆる強制労働(ulagと呼ばれる)を要求しました。男性と女性の両方がこのulagを含む厳しい労働にじゅうじさせられ、 また、チベットの不毛の西高地に点在している遊牧民族は、領主とラマ僧によって所有されていました。

ダライラマの兄のThubten Jigme Norbuは、ラマ教徒社会の階層では、「階級というものは全くないし、階級間の流動性があるからどんな階級の偏見もありえない」と主張します。しかし、この宗教的な秩序の存在は、堅固で残忍な階級制に基づいていました。

農奴は軽蔑され「劣ったもの」として、黒人が黒人差別で南部に扱われたように扱われました。農奴は農奴の所有者として同じ席や、 言葉または食器を使用することができませんでした。主人の所有物に触れただけでも 鞭打ちで罰することができたほどです。主人と農奴の差が非常に離れていたので、チベットの大部分で彼らは異なった言語を話しました。

農奴は彼の主人が馬にまたがるため、四つ足でひざまずいて踏み台になる習慣でした。チベットの学者のA.トム・グリューンフェルトは支配階級の少女がただ怠惰であるという理由で、1人の使用人に階段で彼女をいつも運ばせていたと述べています。主人は小川の向こう側に渡るのに、農奴の背中に乗りました。

チベットの農奴より悪い唯一のものが、自分たちのためにいくつかの作物を作るのさえ権利が全くなかった「家財奴隷」でした。 これらの奴隷は、しばしば飢え、打たれ、死ぬまで酷使されました。 主人は好きな時にいつでも農奴をこの奴隷に落とすことができだのです。チベットの首都ラサでは、常に子供の売り買いが行われていました。チベットの人々のおよそ5パーセントは家財奴隷にみなされ、他のすくなくとも10パーセントが、実際は「ローブの奴隷」とでもいうべき、貧しい僧達でした。

ラマ教徒のシステムはどんな種類の逃亡も妨げるようになっていました。脱走した奴隷は、広大な空き地にあっても自由に農場を営むことはできませんでした。革命作家アンナルイーズによれば、革命以前の農奴は次のように説明されています。「あなたはチベットに主人なしで住むことはできません。もしあなたに法的所有者がいない場合、だれもがあなたを無法者としてみなすにちがいないのです。」

過去の罪の生まれる女性の証拠?
*前世の悪いカルマで女性に生まれたという意味だと思う。(まゆみ解釈)

ダライラマは、「チベットには、どんな特別な女性差別もありませんでした。」と書きます。ダライラマの認可された自伝作家RobertHicksは、チベット人の女性が彼女らの状態に満足していて、「彼女らの夫に影響を与えていた」と主張します。しかし、チベットでは、女性に生まれるのが前世の「神を敬わない」(罪深い)振舞いのための罰であると考えられました。古いチベットで「女性」意味するkiemenは「劣った出生」を意味しました。女性は「私は、女性の体を捨て、男性に生まれかわれますように」にと祈るように言われました。

ラマ教徒の迷信は女性を悪と罪に関連づけました。それは「あなたは10人の女性の中に9人の悪魔を見つける」と言われました。女性が触れた何でも汚れると考えられたので、あらゆる種類のタブーが女性に課せられたのです。女性が薬を扱うのが禁じられました。Han Suyinの報告しています。「どんな女性もラマ僧の所有物に触れることができませんでした、そして、女性は、 壁が崩れ落ちるからと、壁を築き上げることもできませんでした。未亡人は卑劣な存在、既に悪魔でした。どんな女性も鉄の器具煮触ったり、使ったりすることもできませんでした。「農奴と奴隷に貴族や偉大なラマ僧の顔を見ることが許されなかった頃、宗教は女性が男性のひざから上へ視線を上げるのを禁じました。」

チベットの仏教の主要な宗派の僧は女性との性的な親密さ(または、接触さえ)を、聖なる計画の一部としてこれを禁じました。革命の前に、どんな女性も寺院やダライラマの宮殿に足を踏み入れたことはありませんでした。

双子を生んだり、前仏教的な伝統的な宗教(ボンと呼ばれる)を習慣としていたために焼かれてしまう女性の話もあります。このころ双子は女性が悪霊と結婚したという証拠であると考えられました。 またボンの儀式と民間療法は「魔法」であると考えられていました。 他の封建社会などのように、上流階級の女性でも見合い結婚として売買されていました。また 妻が誰かと一緒に寝たところを見つけた時には、夫が妻の鼻の先を切り落とすことが習慣とされていたのです。家長的習慣は一夫多妻制を含み、資産家が多くの妻を持つことができ; そして、貧しい地方の貴族は、 1人の女性が数人の兄弟の妻であることを強制されました。

下級層においては、家族の生活は米国の南部の奴隷制度とほとんど同様でした。("チベット奴隷の人生"を参照) 農奴は結婚することができなかったし、主人の許可なしにその地を離れることができませんでした。 その主人は農奴をある地所から別の地所へ、思うがままに永遠に家族から引き離しました。女性農奴のレイプはulagシステムの下では一般的であり、支配者は「一時的な妻」を要求することができました。

3つのマスター

チベットの人々は、彼らの統治者を、農奴の所有者が3つの団体に組織化されていたので、「3人の偉大な主人たち」と呼びました: 古いチベットにおいては、ラマ僧寺院が耕作地と牧草の37パーセントを、世俗的な貴族が25パーセント、そして、残りの38パーセントがダライラマのアドバイザーによって任命された役人の手にありました。

チベットの人口のおよそ2パーセントがこの上流階級にあたり、 加えて3パーセントが彼らのエージェント、監督者、執事、マネージャや地所と私設の軍隊でした。ger-Ba(およそ200家族の小さいエリート)が一番上で統治していました。 HanSuyinは書きます: 「たった626人の人間がチベットのすべて土地と財産のうち93パーセントと70パーセントのヤクを持っているのです。」 「これらの626は333人の寺院の代表と宗教家、そして、287で、当局(チベットの軍隊の貴族を含んでいる)と6人の閣僚が含まれていいます。」

また、商人と職人は領主のものでした。拉薩の首都の人口の4分の1は信心深い巡礼者からの施しで生きながらえていました。どんな近代産業も賃金労働者階級も存在していませんでした。マッチや釘さえ輸入しなければなりませんでした。革命の前には、チベットにおいては仕事に対して賃金が払われることは決してなかったのです。

このシステムの中心は搾取でした。農奴は、彼らが生み出した食物の4分の1だけを手元に残し、あとは彼らの主人を豊かにするために16か18時間の数日を扱いました。

トム・グリューンフェルトは書きます: 「これらの地所は非常に儲かりました。」 1人の元貴族が、'小さい'地所は、数1,000頭の羊、1,000頭のヤク、不特定数の遊牧民と200人の農業農奴から通常はなりたっていると書いています。年間の生産量はが3万6000kg(8万lb)以上の穀物、 1,800kg(4,000lb)以上の羊毛とおよそ500kg(1,200lb)のバターとなります。役人は、'無制限の強奪をおこなう力をもち、人々を投獄して罰する代わりに、その権力をもって賄賂を要求し財産をなしていたのです。小作人から絞り上げたお金は税金のために必要な金額を超えていたほどでした。」

支配的な農奴の所有者は寄生体でした。1人の観察者(チャールズ・ベル卿)が典型的な職員について説明していますが、彼は公務として1日あたり1時間を過ごしただけでした。上流パーティーは、食べる、ギャンブルと何日も続きました。また、貴族的なラマ僧は決して働きません。彼らは読経し、宗教上の教義を暗記するだけであとは何もしません。

修道院: 封建制度の本拠

古いチベットの擁護者はチベットの人々の文化の本質としてラマ教を描いています。しかし、それはまさに特定の圧倒的な社会システムのイデオロギーそのものなのです。 ラマ教自体は封建的な階級社会とちょうど同じくらい古く、最初のチベットの王(Songsten-gampo)は統一された封建的なシステムを、西暦およそ650年頃にチベットに確立しました。彼は、封建制度を実行するために国外で使用されている習慣を学ぶために、中国とネパールからの女王と結婚しました。彼女らは、チベットへ密教をもたらし、初期の原始宗教と結びつき新しい宗教であるラマ教が作られました。

この新興宗教は支配階級によって次の一世紀半にわたって、暴力を持って強制的に人民に課せられました。 Trosong Detsen王は命じました: 「僧に指をみせる者は指を切り落とされ、 僧と王の仏教徒の方針をそしる者は唇を切り落とされ、それらを疑って見る者はその目をえぐられる」と。

1400年代年と数1600年の間に、権力は血だらけのうちに強化され、最も大きい寺院の指導者は全権的な権力をてにしました。彼らは独身を慣習としたので、彼らの新しい政治システムは父から息子に対する遺伝的継承によっては成り立ちませんでした。したがって、ラマ僧は彼らの宗教のために新しい主義を作成しました: 彼らは、死んでしまった指導的なラマ僧の生まれ変わりであった新生な子供を探し出すだろうと発表したのです。何百人もの一流のラマ僧が、時に応じて古い体を脱ぎ捨て新しい体に入れ替わる、何世紀もの間他のものを支配していた「生仏」(菩薩)であると宣言されました。

このシステムの中心的な象徴であるダライラマと呼ばれる数々の男性は、何世紀にもわたって14の異なったボディーで再現していた初期チベットの自然神Chenrezigであると言われました。14人のダライラマのうち3人だけが実際に統治しました。1751年と1950年の間に、大人のダライラマは王座にいませんでした。最も強力な宗教指導者は子供のダライラマを訓練、操作、 暗殺しさえしながら、「摂政」として統治していたのです。』

・・・続く
  『ダライ・ラマの本当の顔 その2』
   http://cocorofeel.exblog.jp/8455086/

  『ダライ・ラマの本当の顔 その3』
   http://cocorofeel.exblog.jp/8463281/

  『ダライ・ラマの本当の顔 その4』
   http://cocorofeel.exblog.jp/8469604/

  『ダライ・ラマの本当の顔 その5』
   http://cocorofeel.exblog.jp/8476815/

  『ダライ・ラマの本当の顔 最終回』
   http://cocorofeel.exblog.jp/8484788/

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

科学は愛です 更新情報

科学は愛ですのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング