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科学は愛ですコミュのジャメ・コンタント

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ラエルのコメント:時速100km以上のスピードで走った最初
の車は電気自動車であり、それは…1899年のことなのです!!! ガソリン
車に投じられたのと同様な投資額が、当時から電気自動車に投資されていた
なら、今日の電気自動車は遥かに高性能を備え、西洋諸国が石油産出諸国に
依存するようには決してならなかったでしょう。


(La Jamais Contente:2月8日英語版配信分)

今を去ること100年以上前、パリ近郊のアシェールの森を貫く一本道路で、
自動車史上名高い「スピードの決闘」が、四ヶ月以上の長きに渡って繰り広げ
られました。片や大貴族のガストン伯爵 シャスルー・ローバ候、彼に敢然
と挑戦状を叩きつけたのが、平民のベルギー人、赤髭のカミーユ・ジェナッ
ツィでした。条件はただひとつ、敗れたほうは30日以内に再挑戦をすること
ができ、勝者はそれに応ずること。

1898年12月18日、シャスルー・ローバ伯が自転車との競争に63.16キロの時
速で打ち勝って以来(笑い話ではなく、これは当時大スクープでした)、こ
れに挑戦したジェナッツィは翌1899年1月17日に66.6km/h を打ち立てますが、
ローバ伯はその日のうちに70.3km/hまで記録を伸ばします。この戦いは後日
また繰り返されますが、それに終止符が打たれたのは同年の4月29日、ジェ
ナッツィが新しく開発した魚雷型流線型のスプリントカーで史上初めて時速
100キロを上回る記録、105.9km/hをマークし、ローバ伯もついに兜を脱いだ
のです。もっともストリームライナーとはいっても、ご覧の通りドライバー
は上半身剥き出しのままですから、空力的にどれほどの効果があったのかは
疑問ですが、この姿で非舗装道路を時速100キロを超えるスピードで跳ばす
のは、相当の勇気がいったでしょうね。

ジェナッツィの愛車は、“La Jamais Contente”(The Never Satisfied) 、
「決して満足せず」と名付けられました。これは相当な浪費家であった彼の奥
さんにちなんで名付けられたという説もあるようですが、何はともあれ、「
決して満足せず」は以後、スピードへの人間の飽くなき追及と執念を象徴す
ることばとして記憶されることになります。

この『ジャメ・コンタント』は、なんと電気自動車であります。このころは、
電気自動車のほうがガソリン自動車よりも、性能や信頼性が格段と高かった
のです(ガストン伯の車も電気自動車でした)。電気モーター 2個をシャシー
のリア下面に取り付け、直結で二つの後輪を駆動しています。下の写真のリ
アアクスルのところにある赤い四角い箱の中に、モーターが格納されている
ようです。



▼詳しくはこちらから
[緑龍館]
http://www.geocities.jp/archives_greendragon/car_jamais_contente_compiegne.html

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