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アンリ・ベルクソンコミュの第10回ベルグソン読書会(「哲学的直観」を読む)

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第10回

 こんにちは。もう10月ですね。すっかり秋らしくなってきましたが、みなさんいかがお過ごしですか?秋は思索の季節でもあります。春とともに僕の大好きな季節です。
さて、今日の段落は、ものすごく重要です。この段落、ことさら前半をどう捉えるかによって、ベルグソン的直観を読み違えたりするので、ベルグソンはここの件でいったいなにを言おうとしているのか、ぜひとも熟読玩味してください。

(第19段落)さて、この段落の前半ですが、哲学と科学の方法上の差異が、その二つの経験の差異として述べられています。哲学と科学は二通りの異なる認識方法であるが、それは、経験が二通りの異なる現れ方をする(se présenter à nous)からです。その二つの現れ方がを整理すると以下のようになります。

 1)科学的な経験認識 計測可能な多数性、空間性として現れる。
→この意識は外へと広がり、ものを互いに外在的にだと見るに応じて、
自ら自分自身に対して対立的になっていく。【科学的方法】 
    d'un côté sous forme de faits qui se juxtaposent à des faits, qui se répètent à
peu près, qui se mesurent à peu près, qui se déploient enfin dans le sens de la
multiplicité distincte et de la spatialité......
la conscience s'épanouit au dehors, et s'extériorise par rapport à elle-même
dans l'exacte mesure où elle aperçoit des choses extérieures les unes aux autres
 2)法則や軽量を許さない純粋持続の相互浸透として現れる。
    →意識は自己のうちに帰り、自己を捉えなおし、深めていく。【哲学的方法】
de l'autre sous forme d'une pénétration réciproque qui est pure durée, réfractaire
à la loi et à la mesure. Dans les deux cas, expérience signifie conscience
dans le second elle rentre en elle, se ressaisit et s'approfondit.
→それでさらにこの哲学的方法については、「このように自己を深めていくとき、意識は物質と生命と実在一般との中に入り込むことができないでしょうか?」(En sondant ainsi sa propre profondeur, pénètre-t-elle plus avant dans l'intérieur de la matière, de la vie, de la réalité en général ?)などというわけです。

 それで、さらに、「世界を満たす物質と生命とは、同時に私たちをも満たしています。私たちは、あらゆるものに働く力を私たちのうちにも感じます。存在するもの、作られるものの究極の本質が何であれ、私たちもその本質にあずかっています。したがって私たちは、私たち自身の内部へ降りてゆきましょう。私たちがふれる点が深ければ深いだけ、私たちを表面へ押し戻す力も強いでしょう。哲学的直観とはこの接触であり、哲学とはこの躍動なのです。奥底からの衝動によって外界へ押し戻される時、私たちは思想が分散しつつ広がるにつれて、だんだんと科学に帰ってゆくはずです。」(Descendons alors à l'intérieur de nous-mêmes : plus profond sera le point que nous aurons touché, plus forte sera la poussée qui nous renverra à la surface. L'intuition philosophique est ce contact, la philosophie est cet élan. Ramenés au dehors par une impulsion venue du fond, nous rejoindrons la science au fur et à mesure que notre pensée s'épanouira en s'éparpillant.)というようなことが言われる。

 それで問題なのは、この「?外部/?内部」、「?表層/?奥底」という二分法です。?が科学にかかわり、?が哲学に関わるわけですが、これはそれぞれなにを意味するか?ということです。いいですか、これをどう解するか、が天下の分かれ目なのです。
で、外部・表層を知覚世界、内部・奥底を「なにやら瞑想的・妄想的な外界から遠ざかった心的世界」と理解すると、ベルグソン的直観の通俗的誤解につながります。よくベルグソンの世界をなにやら瞑想的な記憶(たとえばマルセル・プルーストの小説のような)と捕らえる見かたがまさしくそれです。もう一度テクスト本文をじっくり読んでみてください。そんなことはひとことも言っていない。
外部=表層は、計測可能な多数性、空間性としての経験といっているのです。即ち科学的な見方、空間化された意識のことです。これに対して、内部=奥底とは、それを排した経験だ。即ち、現実的な知覚から逃避して、瞑想的状態に入ることだけを言っているのではない。なるほど瞑想的状態、それ自体は内部=奥底だ。しかし、われわれの経験は意識と内界との接触面である内的経験と意識と外界の接触面である外的経験の双方を合わせたものだとするならば、知覚はその両方のことなわけです。カントが外的現象界としての表象にも内感としての表象にも感性の直観形式及び純粋悟性の働きを認めて、その双方の向こう側に物自体を想定していたように、知覚自体は外界と内界の区別を持たない。ベルグソン的直観も内的知覚だけではなく、外的知覚に対しても向けられるわけです。この場合の外的知覚と先ほどの「外部・表層」をごっちゃにしてはいけない。この「外部・表層」というのは、外的知覚の世界を張り巡らされている「計測可能な空間化された意識」なのです。

 従って、この空間化された意識領域を排除して、知覚自体に浸透していけば、内部=奥底の世界に入り込めるわけです。たとえば、目の前の薔薇を「薔薇」という記号知、概念知によって知覚しているのが通常の知覚状態だが、この記号知、概念知を排除してみる。そうすると知覚自体が深化して、持続の世界が見えてくるというのです。これがベルグソン的直観=哲学の方法なわけです。

 僕が何を言わんとしているかご理解いただけますか?

 だから、ベルグソン哲学をして、内面的逼塞状態とか、瞑想的世界とかいうイメージで、現実から遊離した夢想的な哲学とするのはまったくの濡れ衣なのです。サルトルの哲学が人口に膾炙して以来、通俗的にはそういったイメージでベルグソン哲学を語るひとが多いが、それは正しくない。ベルグソンと現象学的方法との間に対立点があるとすればそれはベルグソンの意識の捕らえ方が自然的態度を脱していないということにあるわけです。(ベルグソンは意図的に認識論の問題を回避しているわけですが。)

【次回予習範囲】
第11回(10月9日(日))まで、以下のとおり読んでおいてください。
  ?Quadrige版:
    始め:p138 20行目〜 La scienceから
    終り:p140 17行目〜 devant elles.まで。
  ?世界の名著版:
    始め:p129 上段 09行目〜
    終り:p130 上段 06行目「考え方です。」まで

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