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和装自由論コミュの自由和装小論

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文:ゐはらさん

偖(さて)、こゝに「自由な和装」といふものを提案させて頂きたく思ひます。
まづなぜ「自由」なのかと申しますと、洋装に比して和装があまりに「不自由」だと思ふからでございます。
そしてその「不自由さ」こそが和装の普及を妨げてゐる最大の理由でありまして、和装が日本人の日常着としての地位を奪還するには、まづなによりこの「不自由さ」といふものを解体せしめねばならぬと思ふからであります。

和装の「不自由さ」とは具体的には数々のルールであります。
たとへば何月から何月マデは「単(ひとへ)」で何月からは「袷(あはせ)」を着るべし、であったりとか、鼻緒の色は何色でなければならぬ、であるとか、白足袋は正式なものであるから云々カンヌン、などなど、ハナから気軽に着る気をなくさせるやうな煩雑なルールがあたかもさういふ法律でも存在するかの如くに幅を利かせてをります。

が、しかし、多くの人が指摘するやうにさういふ煩瑣な「ルール」といふのは大方、戦後期の着付教室によって勝手に設定されたものであって、さして歴史があるものでもなく、またそれホドの合理性に基づいてをるわけでもないのでありまして、従ってまたそれらを恒久不変の「決まりごと」として絶対視する理由など、その実、全くないのでありせぬか。

そもそも我々が日常尋常に着用してゐる洋装に関していへば「ルール」などといふものはありません。
真夏に革ジャンを羽織らうが、真冬にショートパンツを履かうが、ミニスカートを履かうが全く自由であります。
ベルトをしようがしまいが、シャツを入れようが出さうが、赤い靴下を履かうが、素足で革靴を履かうが、パンツを見せようが見せまいが、お腹を出さうが、ポロシャツにネクタイしようが、YシャツのなかにTシャツを着ようが、全く以て自由なんです。
たゞそこにあるのは美的且つ機能的な相対的制限のみでありまして、絶対的なルールなどないのであります。

ぢゃァ何故和装は不自由なのか。
なんとなれば、今や和装は正装として、フォーマルウェアとしてしか着られなくなってしまったからなのであります。
つまり普段着として、カヂュアルウェアとして着る人が殆どゐなくなってしまったから、冠婚葬祭やお稽古事くらゐでしか着られなくなってしまったからこそ、色々とうるさいことをいはれるやうになったのであります。
確かにフォーマルウェアであるとするのであれば、装ふ上でのルールといふものがあって然るべきでございませう。
結婚式に黒ネクタイを着用すること、葬式に白ネクタイを着用することが非常識であるやうに、正式な場に於ける和装に於いて相応の「決まりごと」が存在するのは当然のことであり、またさうすることが礼儀であり、ケジメといふことになりませう(もっともその多くの「ルール」の正当性も疑問ではありますが)。

ではフォーマルな和装であればいざ知らず、カヂュアルな和装マデも煩雑なルールで持ってガンジガラメに束縛する必要はあるかといへば、断じてありませんでせう。
寧ろさういふ「なし崩し的に」形成された根拠薄弱なルールといふものに対しては大いに疑問を持つべきではございませぬか。
そのうるさい「ルール」が、多くの人に気軽に着物に袖を通す気をなくさせるホドのものであれば、モハヤそれは弊害でなくて、何でありませうか。

だからこゝで暴論を吐かせてもらひたく思ひます。
とりあへず和装に於けるルールなどといふものを一旦全て撤廃してしまっては如何でせう。
和装に関する一切の固定観念を放棄して、全く自由な見地から和装といふものを再認識してみるのです。
モウ何だって良い。
足袋や鼻緒の色どころではない。
真冬に単(ひとへ)を着るくらゐの騒ぎではない。
襦袢の代はりにTシャツを着たり、帯の代はりにベルトをしたり、草履の変はりにスニーカーを履いちゃったりして、全くの無限定且つアナーキーで、何でもありとしませう。
全くの自由です。
完全に自由なものとして考へてみて下さい。

さうすると……。

さうすると、どうしても「いや、それはオカシイのではないか」「変なのではないか」「格好悪いのではないか」といふ判断が誰れに指摘されるマデもなく、ぞれぞれの感性で判断されることとなり、それぞれの中におのづから自然な「ルール」、「譲れない一線」といふものが形成されることになるのではないかと思ふのであります。
「自由に着ると云ってもこゝマデであらう」といふ一線であります。
またさうすることで、伝統的に形作られて来た「着方」といふものゝ合理性や、格好良さ、美しさといふものが改めて理解されるやうにもなるのではないかと思はれます。
幾ら自由であるべきだと云ってもたとへば角帯を締めるに際して、伝統的な「貝の口」や「浪人結び」を美的、機能的に凌駕するやうな新しい結び方を発見出来る訳でもないでせうし、暑い季節にわざわざ袷の着物を着ることには何らの積極的意義も見出せないことでありませう。

結局、着付けのルールと云ったやうな理由もよく判らぬ外在的な基準に依ることなしに、それぞれの美的、機能的な観点から自由に判断され、自由に着られるべきであるといふことでありまして、それは洋装に於けると和装に於けると何ら異なるべきことではない、と思はまして、それを大仰にも「和装自由論」などとブッてみましたが………まァ卑近な例で申上げれば「黒足袋履くのは田舎モンだ、紺足袋が粋なんだ」などといはれても自分には黒足袋の方が格好よく思はれる以上、そんな意見には聞く耳は持たぬ、といふことでございます。
悪しからず。


ここから盛り上がりました!
http://www.romantica.jp/data/menu.asp?QSpageNo=2&QStype=Fas&QSpageSize=5

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