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万葉集コミュの万葉集 巻4(484〜792)521

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4 521;相聞,作者:常陸娘子,藤原宇合、餞別

[題詞]藤原宇合大夫遷任上京時常陸娘子贈歌一首
(藤原宇合大夫が遷任して京に上った時、常陸娘子が贈った歌一首)

庭立 麻手苅干 布<暴> 東女乎 忘賜名

庭に立つ 麻手刈り干し 布曝す 東女を 忘れたまふな 

にはにたつ あさでかりほし ぬのさらす あづまをみなを わすれたまふな
・・・・・・・・・・・・・
庭植の麻を刈って干し

布にしてさらしたりする

この東国の女を どうぞ

お忘れにならないでください
・・・・・・・・・・・・・
藤原宇合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

藤原 宇合(ふじわら の うまかい、持統天皇8年(694年) - 天平9年8月5日(737年9月7日))
奈良時代の政治家。藤原不比等の三男。初めは「馬養」と名乗るが、遣唐使の副使として入唐後、「宇合」に改めたか。官位は正三位勲二等参議式部卿兼大宰帥。

霊亀2年716年8月正六位下で遣唐副使に任命。これが史料の初見。翌月従五位下に。
養老元年(717年)入唐。翌年10月に帰国。
養老3年(719年)正月には正五位下と見え、遣唐副使の功により正五位上となる。同年7月の按察使設置時に、常陸守として安房・上総・下総3国の按察使に任命。
養老5年(721年)に四階進んで正四位上。
神亀元年(724年)4月式部卿で持節大将軍に任命され出兵。蝦夷の反乱を平定し11月帰還。この功により翌年位階勲等を進められ従三位勲二等となる。
神亀3年(726年)式部卿のまま知造難波宮事。後期難波宮造営の責任者となる。
この後天平元年(729年)の長屋王の変時も式部卿として対応。
天平4年(732年)には、参議・式部卿として西海道節度使となる。この時の詩が懐風藻にあり、高橋虫麻呂の見送る歌が万葉集に残る。
なお、宝亀11年(780年)に、宇合の時の警固式を用いるようにとの命令が出ている。
天平9年(737年)8月5日参議式部卿兼大宰帥正三位で没。長男藤原広嗣が反乱を起こすのはこれから3年後のこと。藤原式家の祖。

(系譜)
父:藤原不比等
母:蘇我娼子(蘇我連子の娘)
妻:石上麻呂の娘
長男:藤原広嗣(?-740)
次男:藤原良継(716-777)
妻:高橋阿禰娘(高橋笠朝臣の娘)
三男:藤原清成
妻:小治田功麿男牛養女
四男:藤原田麻呂(722-783)
妻:久米若女(久米奈保麻呂の娘?)
六男:藤原百川(732-779)
妻:家主娘(佐伯徳麻呂の娘)
七男:藤原蔵下麻呂(733-775)
妻:
五男:藤原綱手(?-740)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<転載記事>『旅人』より「高橋虫麻呂ー1、宇合と」。
http://blogs.yahoo.co.jp/chiyokokkk/8137118.html
高橋連虫麻呂は、養老年間(717〜724)、藤原朝臣宇合が常陸守だった頃から仕えていた。
養老 3年(719) 7月、宇合は、按察使となり安房・上総・下総3国を管轄した。
その頃、虫麻呂は文章力を買われ、宇合の属官となった。(佐々木信綱)
天平 4年(732)宇合が、西海道節度使として出発する時うたった。
この歌は、戦時中、出征兵士を送る歌として転用された。
(敵は幾万ありとても、弱音を吐かずとりひしぐ、君こそつわもの、いざや征きませ、、、)

♪千万(ちよろず)の 軍(いくさ)なりとも 言挙(ことあげ)せず 取りて来ぬべき 男とぞ思ふ
                                     (万葉集・巻6・972)
 (千万の 敵であろうと とやかく言わず 黙って討取って来られる 男子だと思っています)

節度使は、唐の制度にならって日本でもこの天平 4年初めて置かれた令外の官。
節度使は、軍事体制の視察と統括にあたるもので、全国を4つに分け、それぞれ実力者が派遣された。
藤原政権軍事力強化のための、お目付け役だった。(治安維持政策)
東海道・東山道に、藤原房前。山陰道に、多治比県守。西海道に、藤原宇合。(『続日本紀』)
西海道は、「筑紫」のこと、九州の九国三島をさす。
この時、判官佐伯宿禰東人夫婦の唱和の歌も作られた。

「西海道節度使判官佐伯宿禰東人が妻、夫の君に贈れる歌一首」
♪間無く 恋ふれにかあらむ 草まくら 旅なる君が 夢(いめ)にし見ゆる  (万葉集・巻4・621)
 (絶え間なく お慕いしているからでしょうか クサマクラ 旅行中のあなたが 夢に見えます)
♪草まくら 旅に久しく なりぬれば 汝をこそおもへ な恋ひそ吾妹     (万葉集・巻4・622)
 (クサマクラ 旅にも久しく なったので おまえのことばかり思う そう恋しがるないとしの妻よ)
東人は、宇合配下の判官(第三等官)の一人で、任官と同時に外従五位下を授けられた。

藤原朝臣宇合は、不比等の第3子。式家の祖。
霊亀 2年(718)遣唐副使となり、養老 2年(718)帰朝。翌 3年、正五位上常陸守として、安房・上総・下総の按察使となり、神亀元年(724) 4月式部卿時節大将軍として、蝦夷を討った。
( 3月に、陸奥国府から、蝦夷が反乱をおこして、大橡佐伯児屋麻呂を殺したとの報告を受けて)
神亀 3年、式部卿従三位として知造難波宮事となり、さらに参議、西海道節度使などを経て、天平 6年(734)正三位兼太宰帥となり天平 9年 8月、44才で

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