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万葉集コミュの万葉集巻三(235〜483)364・365・366・367

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364;雑歌,作者:笠金村,滋賀県,羈旅

[題詞]笠朝臣金村塩津山作歌二首(笠金村、塩津山で作る歌二首)

大夫之  弓上振起  射都流矢乎  後将見人者  語継金

ますらをの 弓末振り起し 射つる矢を 後見む人は 語り継ぐがね

ますらをの ゆずゑふりおこし いつるやを のちみむひとは かたりつぐがね

* 旅の安全を祈願して大樹に矢を射かけた
* 「がね」は願望をあらわす。
・・・・・・・・・・・・・・・
勇士が弓末を勢いよく振り起こし

射った矢を後に見る人は

語り継いでほしいものだなあ
・・・・・・・・・・・・・・・

365;雑歌,作者:笠金村,滋賀,羈旅,

[題詞](笠朝臣金村塩津山作歌二首)

塩津山  打越去者  我乗有  馬曽爪突  家戀良霜

塩津山 打ち越え行けば 我が乗れる 馬ぞつまづく 家恋ふらしも

しほつやま うちこえゆけば あがのれる うまぞつまづく いへこふらしも
・・・・・・・・・・・
塩津山を越えて行くと

乗っている馬がつまづいた

家族が私を思っているらしいな
( 家を恋しがるらしい)
・・・・・・・・・・・

【主な派生歌】

磯のうへは 心してゆけ 真砂ぢや 根はふつままに 駒ぞつまづく  (藤原信実)

秋風に 雲のかけはし 吹き断えて 駒そ跌(つまづ)く 家思ふかも  (岡倉天心)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・

366;雑歌,作者:笠金村,敦賀,福井,羈旅,望郷,地名,枕詞

[題詞]角鹿津乗船時笠朝臣金村作歌一首[并短歌]
(角鹿津にして船に乗ったとき、笠金村が作った歌一首)

[原文]ー[仮名ー[訓読]  [ ]枕詞など
越海之ーこしのうみのー越の海の
角鹿乃濱従ーつのがのはまゆー角鹿の浜ゆー角鹿の浜から
大舟尓ーおほぶねにー大船にー大舟に
真梶貫下ーまかぢぬきおろしー真楫貫き下ろしー立派な梶を貫きおろして
勇魚取ーいさなとりー[鯨魚取り]
海路尓出而ーうみぢにいでてー海道に出でてー海に出て
阿倍寸管ーあへきつつー喘きつつー苦しみながら
我榜行者ーわがこぎゆけばー我が漕ぎ行けばー漕ぎいくと
大夫乃ー[ますらをの]
手結我浦尓ーたゆひがうらにー手結が浦に
海未通女ーあまをとめー海女娘子ー海女おとめが
塩焼炎ーしほやくけぶりー塩焼く煙ー塩を焼く煙が
草枕ーくさまくらー[草枕]
客之有者ーたびにしあればー旅にしあればー旅の身なので
獨為而ーひとりしてー一人で 
見知師無美ーみるしるしなみー見る験なみー見ても甲斐なく
綿津海乃ーわたつみのー[海神の]
手二巻四而有ーてにまかしたるー手に巻かしたるー手に巻く
珠手次ーたまたすきー[玉たすき]ー玉襷のように < 「懸けて」を導く序詞。>
懸而之努櫃ーかけてしのひつー懸けて偲ひつー心にかけて偲ぶ
日本嶋根乎ーやまとしまねをー大和島根をー大和の郷里を

「角鹿」は現在の福井県敦賀市。越の国の玄関口である。その港から船に乗り、さらに北へと向かう時の詠。「手結が浦」は敦賀湾の東岸、田結(たい)のあたり。「手結」の名は、衣の紐を結んでくれた妻を思い出させるものである。海人の娘が塩を焼くエキゾチックな景色も、孤独な旅人には見甲斐がなく、ひたすら大和の故郷を偲ぶ心情を詠んでいる。「勇魚取り」「ますらをの」「草枕」と枕詞を重ね用いる。末尾近く「海神の手に巻かしたる玉たすき」は「懸けて」を導く序。「大和島根」は海上から眺めた陸地をこう呼んでいる。(千人万首)
・・・・・・・・・・・・・・
越の海の角鹿の浜から

大舟に立派な梶を貫きおろし海に出て

苦しみながら漕ぎ進むと

田結の浦では海女乙女が塩を焼く煙が見える

旅の身なので 一人で見ても甲斐なく

心にかけて偲ぶは大和の郷里よ
・・・・・・・・・・・・・・

367;雑歌,作者:笠金村,敦賀,羈旅,望郷

[題詞](角鹿津乗船時笠朝臣金村作歌一首[并短歌])反歌

越海乃  手結之浦<矣>  客為而  見者乏見  日本思櫃

越の海の 手結が浦を 旅にして 見れば羨しみ 大和偲ひつ

こしのうみの たゆひがうらを たびにして みればともしみ やまとしのひつ
・・・・・・・・・・
越の海の手結が浦を

旅の身として眺めると

ひときわ心惹かれる懐かし大和よ 
・・・・・・・・・・
(千人万首)より

笠金村 かさのかなむら 生没年未詳

元正朝末から聖武朝初期にかけて活躍した歌人。官人としての経歴は不明。
養老七年(723)五月の元正天皇の吉野離宮行幸、
神亀元年(724)十月の聖武天皇の紀伊行幸、同二年三月の三香原行幸、同年五月の吉野行幸、同年十月の難波宮行幸、同三年九月の播磨国行幸に従駕して歌を詠む。以上はほぼ長歌に反歌二首を添えた整然たる形をとる。
天平五年(733)閏三月、入唐使に長短歌を贈る。また天平初め頃、伊香山(滋賀県伊香郡)での短歌二首、塩津山(伊香山の北西)を越える時の短歌二首、角鹿津(福井県敦賀市)で船に乗るときの長短歌があり、京から北陸へ下ったことが窺われる。
万葉集には計三十首が載る(うち長歌八首)。


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