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万葉集コミュの万葉集巻三(235〜483)264

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264;雑歌,作者:柿本人麻呂,羈旅,不安,宇治

[題詞]柿本朝臣人麻呂従近江國上来時至宇治河邊作歌一首
(柿本朝臣人麻呂、近江の国より上り来る時に、宇治川の辺(ほとり)に至りて作る歌一首)

物乃部能  八十氏河乃  阿白木尓  不知代經浪乃  去邊白不母

もののふの 八十宇治川の 網代木に いさよふ波の ゆくへ知らずも 
[もののふの] やそうぢかはの あじろきに いさよふなみの ゆくへしらずも

* もののふの は枕詞。
* もののふの八十 ここまでが「宇治」を起こす序詞。
* 網代木(あじろき) 川魚を捕るために両岸などに打ち込んだ、仕掛け網代の杭。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
宇治川の

網代木に漂う波のように

行く末がわからないことだよ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
枕詞、序詞は。

さざ波をたてながら かたわらを行く川の流れと

川瀬に立つ網代木は

親しい人とそして自分自身。
・・・・・
いさよふ波の ゆくへ知らずも 

朝廷に仕えていた多くの氏族、もののふたちは、いさよふ波が宇治川の流れに乗って消えたように、その行方はわからない。
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* 万葉集歌264 物部(もののふ)の八十氏河の歌
ブログ「人麻呂と高市皇子」より
http://blogs.yahoo.co.jp/dokatakayo/12701401.html
* 柿本人麻呂考
ブログ「ギャラリー・ベガサポ 」より
http://blogs.yahoo.co.jp/ming_sunfield/34565254.html

【主な派生歌】

おちたぎつ 八十宇治川の 早き瀬に 岩こす浪は 千世の数かも  
 (源俊頼[千載])
網代木に こほればやがて くだくなり 八十宇治川の 水の白波  
 (藤原家隆)
つきせじな 八十宇治川の 網代守 よる年波の ひをかぞふとも  
 (〃)
あじろ木や 波のきりまに 袖見えて 八十氏人は 今かとふらん  
 (藤原定家)
すみわたる 八十氏河の 網代木に 月の氷も くだけてぞ行く   
 (西園寺実氏[続後拾遺])
嵐吹く 八十宇治河の 波のうへに 木の葉いさよふ 瀬々の筏木  
 (惟明親王[玉葉])
もののふの 八十宇治川の 冬の月 いるてふ名をば ならはざらなん
 (西園寺公相[風雅])
音はして いさよふ波も かすみけり 八十宇治川の 春の明ぼの  
 (後宇多院[新後撰])
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<転載記事>[火山の独り言 ]より。
http://blogs.yahoo.co.jp/kome_1937/36692431.html
もののふの 八十氏河の 網代木に いさよふ波の 行く方知らずも(柿本人麻呂・巻3−264)

「宇治は大和と山城とを結ぶ道にあって、かつ宇治川の急流を渡らなければならなかったところだから、古来旅の歌に多くよまれてきた」と中西進「万葉を旅する」(ウエッジ選書・168頁)。

「源氏物語」の中には子どもが溺れて死んだという話が出てくるという。渡るのが難しく。旅人が流れの静まるのを待って川岸に泊まることも多かったらしい。朝廷の離宮もいとなまれたらしく<宇治の京(みやこ)>と額田姫王も詠んでいる。

秋の野の み草刈り葺き 宿れりし 宇治の京 仮廬(ほ)し 思穂湯(巻1−7)

宇治には藤原頼通が造営した平等院、鳳凰堂もある。池を隔てて見る、優美、華麗な姿は万葉とは異なるが、素晴らしい眺望だ。

宇治川は人麻呂が渡ったころから、すでに網代を仕掛けて氷魚(ひお)を獲るということがあったらしい。人麻呂は近江の旧都の荒廃を見た後、この宇治川に来た。川の水は網代にからまってはたゆたい、また流れ去る。宇治川は激しい水流。この一瞬のたゆたいとは激しい落下が人麻呂の心を捉えた。近江の荒廃、呆然とした彼は歴史の重み、滅び去った武者たちの姿を思ったのであろう。

今という一瞬に自分はいる。それは止まった時間のようでいて、実は永遠の未来につながっている。「たゆみなく流れ去ってゆく時間というものへの不安を、これほどみごとにとらえた歌も、少ない」(169頁)という。
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<転載記事>[気ままに万葉集]より。
http://blogs.yahoo.co.jp/taikutudaiou/21918751.html
柿本人麻呂が近江の国(今の滋賀県)から都に上り来る時に、宇治川のほとりで(今の京都府宇治市)作った歌という題詞がついています。人麻呂がなぜ近江の国に出かけたのかは不明ですが、おそらくこの時に有名な「近江荒都歌」(巻1・29)を詠んだのでしょう。近江の荒都は、人麻呂の時代からはおよそ二十年ほどの昔に、壬申の乱によって灰燼に帰した天智天皇の近江大津の宮です。近江荒都歌は、その都の跡地に立った人麻呂の感慨を歌うものです。これは人麻呂の作品の中でもかなり初期のもので、もしかすると、宮廷で初めて披露した歌(いわばデビュー作)なのではないかという説もあります。その「近江荒都歌」同じ折の歌ということになりますから、上に掲げた「もののふの」の一首も人麻呂の極初期の作品といえるでしょう。(「近江荒都歌」は長歌ですから、荒都の印象を思い出しつつ帰京後に作ったとも考えられます。だとすると、完成した作品としては、この「もののふの」の歌の方が早かったのかもしれません。)
 作家のすべてが彼のデビュー作にはある、という批評をどこかで読んだことがあります。この一首も人麻呂ならではの歌です。歌の言葉を見てゆきましょう。
 宮廷に職能をもって仕える部族を「もののふ」といいます。「八十」は80という数ですが、数の多いことを象徴的にあらわします。「天皇におつかえする数多くの氏(うぢ)」ということで、同音の「宇治(うぢ)川」にかかってゆきます。「もののふの八十」が「宇治川」に掛かる序詞(じょことば)ということです。序詞は、枕詞と同様に、ある語を導き出すために用いられる慣用的な修飾句なので、現代語に写し取ることがなかなか難しいものです。昔、高校の国語の先生は「枕詞・序詞は訳さなくていい」と説明してくれました。受験対策という意味では確かに訳さないほうがよいのですが(訳しようのないものも多いですし)、意味のない言葉というわけではありません。この歌の場合も、掛かってゆくのが「宇治川」であるということが大切な意味を持つのだと思います。
 網代は、氷魚を採るための仕掛け。川の中に杭を打ち、その杭と杭の間を木や竹で作った簀の子を設置して、網を張ったようにします。水は簀の子の間を流れてゆきますが、魚は行き場を失い川の中央に設けた簀で捕まえられてしまうというわけ。漁の季節は主に秋から冬で、それ以外の時期は、川の中に杭だけが侘しく立っているという光景になります。その杭が「網代木」です。
 「いさよふ」は移動するものがある場所に引っかかって同じところにいることです。山陰に隠れてなかなか出てこない月を「いざよいの月」といったりもします。「いさよふ波のゆくへ知らずも」というのは具体的にはどのような景色なのでしょうか。川中に立つ木の杭に川の流れがぶつかって、波が立ちます。ちょうど船の舳先から左右後方へ伸びる波のようです。水は常に流れ去っているのですが、その波は、網代木を先頭にしてずっとそこに留まったままのように見えます。それが、「網代木にいさよふ波」なのだと思います。
 そうした風景を実際に見ているとわかるのですが、なにかの拍子にこの波がすっと消えることがあります。川風が吹いて、波を打ち消すのでしょうか。すぐにまた波立つのですが、すっと消えた時、その波はまるで川の流れにながされたかのようにも見えます。でも、流された先を目で追っても、もはやどこにもその波の名残はないのです。「網代木にいさよふ波のゆくへ知らずも」。人麻呂の視線は、消えた波を追って遥かな下流へと注がれつづけたことでしょう。
 神代の昔から宮廷にお仕えしてきた多くの氏族。ああ、この宇治川の網代木に立つ波の、その消えてゆく先は、誰にもわからない。
 こうして見ると、「もののふの八十氏」は「宇治川」引っ張り出すだけの序ではないことが感じ取られます。大岡信さんの『私の万葉集』には、この歌が近江荒都を見ての帰り道での詠であることに注意して、「網代木にさえぎられていざよっている波また波は、同時にあの幻と消えた琵琶湖畔近江朝廷の文武百官のイイメージをも運んでいるのです」と述べられています。先にただの序ではないと言ったのは、この意味です。
 人麻呂は、琵琶湖畔の大津宮の現在の姿と消え去った人々のことを思い起しつつ、琵琶湖から流れ出た宇治川に立つ波をみつめているのでしょう。もののふの八十宇治川は、今も変わらず流れているのです。時代の大きな流れに変わりはないのですが、その時代という大河の中で網代木にぶつかって波を立てている一人ひとりは、すぐに流れ去って、大きな時の流れの中に飲み込まれてゆくのです。
 この歌は古くから、無常観を歌ったものだ、いや、景色を詠んだまでで、無常ということを歌にしようとしたのではない、とさまざまに議論されてきました。近年では、景色を詠んだ歌なのだが、そこにおのずと無常観が立ち現れたとみるのが一般的になっているようです。私もそう思います。万物の無常が感じられる歌ですが、決して理屈を歌にしたのではないと思います。、脳裏に浮かぶあの人、この人を惜しみつつ、ひとりひとりの人間という存在の小ささ、はかなさを悲しんでいるのがこの歌なのだと思います。

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