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万葉集コミュの万葉集44首目

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44;作者:石上麻呂,伊勢,行幸,三重,羈旅,望郷,枕詞,地名
持統天皇の伊勢国行幸に従駕した時の歌。「高みかも。大和の見えぬ。」と、三句・四句で切れる。

[題詞](幸于伊勢國時)石上大臣従駕作歌(石上大臣の従駕(おほみとも)にして作る歌)

[原文] 吾妹子乎  去来見乃山乎  高三香裳  日本能不所見  國遠見可聞

[仮名] ,わぎもこを , いざみのやまを ,たかみかも ,やまとのみえぬ ,くにとほみかも

[訓読] 我妹子を いざ見の山を 高みかも 大和の見えぬ 国遠みかも
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【通釈】

妻を「さあ見よう」という「いざ見」の山ではあるが
高々と聳えているためか
大和は見えない
それもこれも 国遠く離れてしまったためか


いとしい妻をいざ見よう
という名の去来見(いざみ)山が高すぎるのかな
大和の国が見えないよ
それとも国が遠すぎるのかな
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石上麻呂 いそのかみのまろ 舒明十二〜霊亀三(640〜717)
宇麻呂の子。乙麻呂の父。氏姓は初め物部連。天武十三年の八色の姓の制定によって物部朝臣となり、のち石上に改姓した。

壬申の乱では最後まで近江方につき、皇子の首を吉野方に引き渡した。天武朝でも重用され、天武五年(676)、遣新羅大使。持統四年(690)一月、持統天皇即位の際、大楯を立てる。同六年三月、伊勢行幸に従駕し、歌を詠む(万葉1-44)。持統十年(696)十月、舎人50人の私用を許される。大宝元年(701)三月、藤原不比等・紀麻呂と共に大納言となる。同二年八月、兼大宰帥。同四年一月、右大臣。和銅元年(708)一月、正二位。同年三月、左大臣。同三年三月、平城京遷都の際、留守官。霊亀三(717)三月、薨ず(78歳。贈従一位)。「百姓追慕して痛み惜しまずといふこと無し」(続日本紀)。
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【主な派生歌】
雲もゐず秋の月夜はてらせれどやまとは見えず国とほみかも(本居宣長)
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吾妹子乎ーわぎもこをー我妹子をーいとしい妻を  
去来見乃山乎ーいざみのやまをーいざ見の山をー。「いざ見」(さあ見よう)が掛けてある。三重県飯南郡の秀峰、高見山かという。イは添辞として「佐見の山」と考え、三重県度会郡の二見ヶ浦の山とする説もある。 
高三香裳ーたかみかもー高みかもー高すぎるのかな。  
日本能不所見ーやまとのみえぬー大和の見えぬー大和の国が見えな 
國遠見可聞ーくにとほみかもー国遠みかもーそれとも国が遠すぎるのかな。
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